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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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156/199

「変えられること」

その日は、実験を休みにした。


エマも、サクも、少し疲れていた。


たまには、休むのも仕事だった。


---


夕方、二人で、お茶を飲んだ。


窓の外の山が、赤く染まっていた。


穏やかな時間だった。


---


「聞いても、いいですか」エマが言った。


「はい」


「サクさんは、どうして」エマは言った。「非適合者のための研究を、始めたんですか」


---


サクは、カップを、両手で包んだ。


少し、考えた。


昔のことだった。


---


「大学のころに」サクは言った。「一人、変わった人がいたんです」


「神崎さん、ですか」


「はい」サクは言った。


---


サクは、思い出した。


大学の、図書館の隅。


いつも同じ席に、その人はいた。


---


「私、あのころ」サクは言った。「自分のことを、隠していました」


「隠す」


「うちは、魔法使いの家系で」サクは言った。「私も、才能はある方でした」


---


「だから、目立つのが、嫌だったんです」サクは言った。


「才能があるのに、ですか」


「才能があるから、です」サクは言った。


---


名前を言えば、家のことを聞かれた。


魔法を使えば、比べられた。


だから、サクは、何もできないふりをした。


---


授業でも、後ろの席に座った。


術式の実技も、わざと、力を抜いた。


目立たないように、息をひそめていた。


---


「そんなとき」サクは言った。「神崎くんを、見つけたんです」


「どんな人でしたか」エマは言った。


「無機質でした」サクは言った。「何を考えているか、わからない」


---


まわりからは、冷たい人だと思われていた。


とっつきにくい、変わり者だと。


誤解されやすい人だった。


---


「でも」サクは言った。「誰より、勉強していました」


「勉強」


「術式の記録も、特許も」サクは言った。「魔法が、使えないのに」


---


サクは、それが、不思議だった。


魔法を使えない人が、なぜ魔法のことを、あんなに調べるのか。


使えないのに、なぜ、諦めないのか。


---


ずっと、遠くから、見ていた。


ある日、サクは、我慢できなくなった。


自分から、話しかけた。


---


「ねえ」サクは言った。


その人が、顔を上げた。


「なんで」サクは言った。「魔法が使えないのに、そんなに頑張れるの?」


---


失礼な質問だった。


今なら、わかる。


でも、あのときは、本気で知りたかった。


---


神崎くんは、少し、考えた。


それから、こう言った。


「魔法が使えないことは、事実です」


---


「変えられません」神崎くんは言った。


「変えられないことを、悩んでも、仕方ない」


「だから、変えられることを、やっています」


---


「変えられること?」サクは言った。


「記録です」神崎くんは言った。「記録なら、私にもできます」


「それだけです」


---


サクは、その場に、立ちつくした。


胸の奥を、押されたような感覚だった。


---


「変な質問して、ごめん」サクは言った。


「いえ」神崎くんは言った。「よく聞かれます」


そして、また術式の本に、目を戻した。


---


淡々としていた。


でも、その淡々の中に、芯があった。


サクには、それが、まぶしかった。


---


自分は、才能があるのに、隠していた。


変えられるものを、変えずに、逃げていた。


この人は、何もないのに、逃げていなかった。


---


変えられないことは、悩まない。


変えられることを、やる。


それだけの人だった。


---


それから、少しずつ、話すようになった。


術式のこと。特許のこと。研究のこと。


神崎くんは、いつも事実だけを返した。


---


その事実の返し方が、サクには心地よかった。


比べない。値踏みしない。


ただ、記録として受け取る人だった。


---


「あるとき」サクは言った。「聞いてみたんです」


「何を、ですか」エマは言った。


「魔法、使えるようになりたい?、って」


---


サクは、そのときの神崎くんの顔を、覚えていた。


少し考えて、こう言った。


---


「なりたくない、と言えば嘘になります」神崎くんは言った。


「ただ、魔法が使えるというのが」神崎くんは言った。「どういうことなのか、知りたい」


「それだけです」


---


サクは、返事ができなかった。


自分の左手首を、見た。


そこに、腕輪があった。


---


「腕輪?」エマが言った。


「魔法使いの証です」サクは言った。「つけていれば、魔法使いだとすぐわかる」


「つけていない人は、そうじゃない、と」


「はい」サクは言った。


---


腕輪一つだった。


たったそれだけで、魔法使いかそうでないかが、決まる。


同じ人間なのに、そこで格差がつく。


---


神崎くんは、その線の、向こう側にいた。


使えるようになりたい、のではなく。


ただ、どういうことなのか知りたい、と言った。


---


サクは、線のこちら側で、腕輪をつけて隠れていた。


才能を隠して、格差の、上の方で。


急に、それが、恥ずかしくなった。


---


「その夜」サクは言った。「腕輪を外しました」


「外した」


「それきり、つけていません」サクは言った。「今も」


---


エマが、サクの左手首を見た。


そこには、何もなかった。


「神崎さんは、知っているんですか」エマは言った。


---


「いいえ」サクは言った。「話していません」


「どうして」


「私が、決めたことだから」サクは言った。


---


本当は、少し違った。


あの一言で決めた、と知られるのが。


なぜか、照れくさかった。


---


「でも」サクは言った。「外した翌日が、大変で」


「大変?」エマは言った。


「まず、家族が気づいて」サクは言った。


---


サクは、そのときのことを思い出して、少し笑った。


「父に、言われました」サクは言った。「『魔法使いとしてのプライドは、ないのか』って」


---


「祖父は、もっとです」サクは言った。「『佐久間の名に、泥を塗る気か』って」


エマが、噴き出した。


「厳しいですね」エマは言った。


---


「母は、母で」サクは言った。「『腕輪くらい、つけときなさい。みっともない』って」


「三人とも、ですか」


「三人ともです」サクは言った。「家では、しばらく冷戦でした」


---


エマは、笑いをこらえていた。


「外でも、面白かったんです」サクは言った。


「外?」


---


「腕輪がないと」サクは言った。「初めて会う人には、非適合者だと思われるんです」


「あ」エマは言った。


「『魔法、使えない方なんですね』って」サクは言った。「急に気を使われたり、下に見られたり」


---


「今まで、一度もされたことのない扱いでした」サクは言った。


エマは、もう、笑っていなかった。


「どうでしたか」エマは言った。


---


サクは、少し、真顔になった。


「勉強に、なりました」サクは言った。


「非適合者が、どんな目で見られているか」サクは言った。「腕輪を外して初めて、体でわかったんです」


---


「たった、腕輪一つで」サクは言った。「見える世界が、まるごと変わりました」


「一つで、ですか」


「一つで、です」サクは言った。


---


「あの一年で」サクは言った。「価値観が、全部変わりました」


「魔法が使える側の景色しか知らなかった私が」サクは言った。「反対側の景色を、知ったんです」


---


「今の研究の半分は」サクは言った。「あの腕輪一つから、始まっています」


エマは、笑って、それから頷いた。


「腕輪一つ、ですか」エマは言った。


---


「腕輪一つです」サクは言った。「人生、変わるものですよ」


二人で、笑った。


久しぶりに、声を出して笑った。


---


「その日から」サクは言った。「隠すのを、やめました」


エマは、黙って聞いていた。


「才能を、隠す代わりに」サクは言った。「使うことにしたんです」


---


「何に、ですか」


「魔法が使えない人が、使えるようになる研究に」サクは言った。


---


「神崎くんみたいな人が」サクは言った。「使えるように」


エマは、少し目を伏せた。


それから、微笑んだ。


---


「素敵な、はじまりですね」エマは言った。


「はい」サクは言った。「今も、続いています」


窓の外の山が、暗くなっていった。


---


「私も」エマは言った。「父の続きを、頑張ります」


「はい」サクは言った。「一緒に」


二人は、少し、笑った。


---


夜、エマが、部屋に戻った。


サクは、研究室に、寄った。


明日の実験の、準備をした。


---


久しぶりに、昔のことを話した。


話すと、力が戻ってきた。


原点は、いつも、あの図書館の隅にあった。


---


行き詰まったとき、いつも、あの言葉に戻る。


変えられないことは、悩まない。


変えられることを、やる。


---


今、変えられることは、目の前にあった。


エマとの、実験。


教授のノートの、続き。


---


サクは、自分の左手首を見た。


今も、腕輪はなかった。


あの夜に外したものは、二度と戻さなかった。


---


腕輪一つで、線を引かれる世界。


その線を、意味のないものにしたい。


それが、私のやることだった。


---


ハルトくんは、記録で、その線を薄くしている。


私は、研究で、薄くする。


やり方が違うだけで、同じことをしていた。


---


サクは、自分のノートを、開いた。


新しいページに、日付を書いた。


その下に書いた。


---


「今日は、休みにした。エマと、お茶を飲んだ」


「大学のころの話をした。神崎くんに、初めて話しかけた日のこと」


「腕輪を外した夜の話も、した。ハルトくんには、今も言っていない」


「『変えられないことは悩まない。変えられることをやる』。あれが原点」


「話したら、力が戻った。明日から、また進める」


---


五行、書いた。


ペンを置いた。


三行目を、もう一度、読んだ。


---


窓の外を、見た。


山の上に、星が出ていた。


日本は、もう夜だろう。


---


ハルトくんは、今でも、変えられることをやっているだろう。


あのころと、同じように。


サクは、しばらく、その想像をした。


---


「私も、やるよ」


小さく、声に出した。


明かりを消して、ベッドに入った。


---


第百五十六話 了

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