「変えられること」
その日は、実験を休みにした。
エマも、サクも、少し疲れていた。
たまには、休むのも仕事だった。
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夕方、二人で、お茶を飲んだ。
窓の外の山が、赤く染まっていた。
穏やかな時間だった。
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「聞いても、いいですか」エマが言った。
「はい」
「サクさんは、どうして」エマは言った。「非適合者のための研究を、始めたんですか」
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サクは、カップを、両手で包んだ。
少し、考えた。
昔のことだった。
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「大学のころに」サクは言った。「一人、変わった人がいたんです」
「神崎さん、ですか」
「はい」サクは言った。
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サクは、思い出した。
大学の、図書館の隅。
いつも同じ席に、その人はいた。
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「私、あのころ」サクは言った。「自分のことを、隠していました」
「隠す」
「うちは、魔法使いの家系で」サクは言った。「私も、才能はある方でした」
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「だから、目立つのが、嫌だったんです」サクは言った。
「才能があるのに、ですか」
「才能があるから、です」サクは言った。
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名前を言えば、家のことを聞かれた。
魔法を使えば、比べられた。
だから、サクは、何もできないふりをした。
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授業でも、後ろの席に座った。
術式の実技も、わざと、力を抜いた。
目立たないように、息をひそめていた。
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「そんなとき」サクは言った。「神崎くんを、見つけたんです」
「どんな人でしたか」エマは言った。
「無機質でした」サクは言った。「何を考えているか、わからない」
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まわりからは、冷たい人だと思われていた。
とっつきにくい、変わり者だと。
誤解されやすい人だった。
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「でも」サクは言った。「誰より、勉強していました」
「勉強」
「術式の記録も、特許も」サクは言った。「魔法が、使えないのに」
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サクは、それが、不思議だった。
魔法を使えない人が、なぜ魔法のことを、あんなに調べるのか。
使えないのに、なぜ、諦めないのか。
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ずっと、遠くから、見ていた。
ある日、サクは、我慢できなくなった。
自分から、話しかけた。
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「ねえ」サクは言った。
その人が、顔を上げた。
「なんで」サクは言った。「魔法が使えないのに、そんなに頑張れるの?」
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失礼な質問だった。
今なら、わかる。
でも、あのときは、本気で知りたかった。
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神崎くんは、少し、考えた。
それから、こう言った。
「魔法が使えないことは、事実です」
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「変えられません」神崎くんは言った。
「変えられないことを、悩んでも、仕方ない」
「だから、変えられることを、やっています」
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「変えられること?」サクは言った。
「記録です」神崎くんは言った。「記録なら、私にもできます」
「それだけです」
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サクは、その場に、立ちつくした。
胸の奥を、押されたような感覚だった。
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「変な質問して、ごめん」サクは言った。
「いえ」神崎くんは言った。「よく聞かれます」
そして、また術式の本に、目を戻した。
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淡々としていた。
でも、その淡々の中に、芯があった。
サクには、それが、まぶしかった。
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自分は、才能があるのに、隠していた。
変えられるものを、変えずに、逃げていた。
この人は、何もないのに、逃げていなかった。
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変えられないことは、悩まない。
変えられることを、やる。
それだけの人だった。
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それから、少しずつ、話すようになった。
術式のこと。特許のこと。研究のこと。
神崎くんは、いつも事実だけを返した。
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その事実の返し方が、サクには心地よかった。
比べない。値踏みしない。
ただ、記録として受け取る人だった。
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「あるとき」サクは言った。「聞いてみたんです」
「何を、ですか」エマは言った。
「魔法、使えるようになりたい?、って」
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サクは、そのときの神崎くんの顔を、覚えていた。
少し考えて、こう言った。
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「なりたくない、と言えば嘘になります」神崎くんは言った。
「ただ、魔法が使えるというのが」神崎くんは言った。「どういうことなのか、知りたい」
「それだけです」
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サクは、返事ができなかった。
自分の左手首を、見た。
そこに、腕輪があった。
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「腕輪?」エマが言った。
「魔法使いの証です」サクは言った。「つけていれば、魔法使いだとすぐわかる」
「つけていない人は、そうじゃない、と」
「はい」サクは言った。
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腕輪一つだった。
たったそれだけで、魔法使いかそうでないかが、決まる。
同じ人間なのに、そこで格差がつく。
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神崎くんは、その線の、向こう側にいた。
使えるようになりたい、のではなく。
ただ、どういうことなのか知りたい、と言った。
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サクは、線のこちら側で、腕輪をつけて隠れていた。
才能を隠して、格差の、上の方で。
急に、それが、恥ずかしくなった。
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「その夜」サクは言った。「腕輪を外しました」
「外した」
「それきり、つけていません」サクは言った。「今も」
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エマが、サクの左手首を見た。
そこには、何もなかった。
「神崎さんは、知っているんですか」エマは言った。
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「いいえ」サクは言った。「話していません」
「どうして」
「私が、決めたことだから」サクは言った。
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本当は、少し違った。
あの一言で決めた、と知られるのが。
なぜか、照れくさかった。
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「でも」サクは言った。「外した翌日が、大変で」
「大変?」エマは言った。
「まず、家族が気づいて」サクは言った。
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サクは、そのときのことを思い出して、少し笑った。
「父に、言われました」サクは言った。「『魔法使いとしてのプライドは、ないのか』って」
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「祖父は、もっとです」サクは言った。「『佐久間の名に、泥を塗る気か』って」
エマが、噴き出した。
「厳しいですね」エマは言った。
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「母は、母で」サクは言った。「『腕輪くらい、つけときなさい。みっともない』って」
「三人とも、ですか」
「三人ともです」サクは言った。「家では、しばらく冷戦でした」
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エマは、笑いをこらえていた。
「外でも、面白かったんです」サクは言った。
「外?」
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「腕輪がないと」サクは言った。「初めて会う人には、非適合者だと思われるんです」
「あ」エマは言った。
「『魔法、使えない方なんですね』って」サクは言った。「急に気を使われたり、下に見られたり」
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「今まで、一度もされたことのない扱いでした」サクは言った。
エマは、もう、笑っていなかった。
「どうでしたか」エマは言った。
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サクは、少し、真顔になった。
「勉強に、なりました」サクは言った。
「非適合者が、どんな目で見られているか」サクは言った。「腕輪を外して初めて、体でわかったんです」
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「たった、腕輪一つで」サクは言った。「見える世界が、まるごと変わりました」
「一つで、ですか」
「一つで、です」サクは言った。
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「あの一年で」サクは言った。「価値観が、全部変わりました」
「魔法が使える側の景色しか知らなかった私が」サクは言った。「反対側の景色を、知ったんです」
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「今の研究の半分は」サクは言った。「あの腕輪一つから、始まっています」
エマは、笑って、それから頷いた。
「腕輪一つ、ですか」エマは言った。
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「腕輪一つです」サクは言った。「人生、変わるものですよ」
二人で、笑った。
久しぶりに、声を出して笑った。
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「その日から」サクは言った。「隠すのを、やめました」
エマは、黙って聞いていた。
「才能を、隠す代わりに」サクは言った。「使うことにしたんです」
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「何に、ですか」
「魔法が使えない人が、使えるようになる研究に」サクは言った。
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「神崎くんみたいな人が」サクは言った。「使えるように」
エマは、少し目を伏せた。
それから、微笑んだ。
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「素敵な、はじまりですね」エマは言った。
「はい」サクは言った。「今も、続いています」
窓の外の山が、暗くなっていった。
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「私も」エマは言った。「父の続きを、頑張ります」
「はい」サクは言った。「一緒に」
二人は、少し、笑った。
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夜、エマが、部屋に戻った。
サクは、研究室に、寄った。
明日の実験の、準備をした。
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久しぶりに、昔のことを話した。
話すと、力が戻ってきた。
原点は、いつも、あの図書館の隅にあった。
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行き詰まったとき、いつも、あの言葉に戻る。
変えられないことは、悩まない。
変えられることを、やる。
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今、変えられることは、目の前にあった。
エマとの、実験。
教授のノートの、続き。
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サクは、自分の左手首を見た。
今も、腕輪はなかった。
あの夜に外したものは、二度と戻さなかった。
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腕輪一つで、線を引かれる世界。
その線を、意味のないものにしたい。
それが、私のやることだった。
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ハルトくんは、記録で、その線を薄くしている。
私は、研究で、薄くする。
やり方が違うだけで、同じことをしていた。
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サクは、自分のノートを、開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「今日は、休みにした。エマと、お茶を飲んだ」
「大学のころの話をした。神崎くんに、初めて話しかけた日のこと」
「腕輪を外した夜の話も、した。ハルトくんには、今も言っていない」
「『変えられないことは悩まない。変えられることをやる』。あれが原点」
「話したら、力が戻った。明日から、また進める」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目を、もう一度、読んだ。
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窓の外を、見た。
山の上に、星が出ていた。
日本は、もう夜だろう。
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ハルトくんは、今でも、変えられることをやっているだろう。
あのころと、同じように。
サクは、しばらく、その想像をした。
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「私も、やるよ」
小さく、声に出した。
明かりを消して、ベッドに入った。
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第百五十六話 了




