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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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152/199

「一人ではない」

夕方、庁舎を出る前にスマートフォンが震えた。


神宮寺ソウからだった。


メッセージではなく電話だった。


---


「神崎。今、どこだ」ソウは言った。


声がいつもより低かった。


「庁舎です」ハルトは言った。「これから帰ります」


---


「今日は一人で帰るな」ソウは言った。


「何かあったんですか」


「協会の周りがきな臭い」ソウは言った。「お前の名前が出てる」


---


ハルトは少し黙った。


「私の名前が、どう出ているんですか」


「定義の件で、お前を目障りに思ってる連中がいる」ソウは言った。「ただの噂だ。ただ、いつもの噂とは質が違う」


---


「わかりました」ハルトは言った。


「誰かと一緒に出ろ」ソウは言った。「何かあれば、すぐ連絡しろ」


電話が切れた。


---


ハルトはフロアを見た。


岸本が帰り支度をしていた。


「岸本さん」ハルトは言った。「途中まで一緒にいいですか」


---


「もちろんです」岸本は言った。


二人で庁舎を出た。


駅までいつもの道を歩いた。


---


「主任、何かありました?」岸本は言った。


「用心です」ハルトは言った。「念のため」


岸本はそれ以上聞かなかった。


---


改札で岸本と別れた。


そこから家までは一人だった。


ハルトはソウの言葉を頭に置いた。


---


いつもの道を少し変えた。


人通りの多い大通りを選んだ。


街灯が明るかった。


---


だが、アパートの手前で。


大通りから細い道に入らなければならなかった。


そこだけは暗かった。


---


道の先に、人影が二つあった。


ハルトは足を止めた。


後ろにも一人いた。


---


三人がハルトを囲んだ。


顔は見えなかった。


一人がゆっくりと手を上げた。


---


構えだった。


ハルトはその構えを見た。


頭の中の六百件の術式記録と照らした。


---


火系。基本術式。正面に来る。


ハルトは横に飛んだ。


炎がすぐ横の壁を焦がした。


---


熱が頬をかすめた。


まともに当たっていたら。


そう考える暇もなかった。


---


「余計な記録を残す男か」一人が言った。


「お前が、線を引き直そうとしている」


「線は動かさせない」


---


ハルトは魔法を使えなかった。


三人は魔法使いだった。


まともにやれば、勝ち目はなかった。


---


でも、ハルトは全部の術式を知っていた。


構えを見れば、次が読めた。


自分が三島たちに言ったことだった。


---


肩を見ろ。術式の向きは肩で決まる。


ハルトは正面の男の肩を見た。


風系。右から来る。


---


半歩、身を引いた。


風の刃が左肩をかすめた。


服が切れた。


---


ハルトは声を上げた。


「誰か」


大通りの方へ後ずさった。


---


だが、後ろの一人が風を放った。


足を払われた。


ハルトは地面に倒れた。


---


手をついた。


手のひらがアスファルトで切れた。


血がにじんだ。


---


男が近づいてきた。


もう一度、手を上げた。


ハルトは立ち上がろうとした。間に合わない。


---


そのとき、風が変わった。


横の路地から突風が来た。


三人がまとめて吹き飛ばされた。


---


風の質が違った。


桁が違った。


ハルトはその風を知っていた。


---


神宮寺ソウだった。


路地から歩いて出てきた。


ハルトの前に立った。


---


「遅くなった」ソウは言った。


攻撃者たちが体勢を立て直した。


ソウが右手を軽く上げた。


---


もう一度、風が渦を巻いた。


一人が壁に叩きつけられた。


残る二人が後ずさった。


---


「Sクラスだ」ソウは言った。「お前たちの手には負えない」


低い声だった。


「今日は引け。次はない」


---


三人は顔を見合わせた。


そして暗い道の奥へ走って消えた。


風の音が止んだ。


---


ソウが振り返った。


ハルトの手を見た。


血が垂れていた。


---


「立てるか」ソウは言った。


「はい」ハルトは言った。


ソウが手を貸した。ハルトは立った。


---


二人で大通りまで歩いた。


明るい場所に出た。


ソウがハンカチをハルトの手に巻いた。


---


「神宮寺さん」ハルトは言った。「なぜ、ここがわかったんですか」


「きな臭いと言ったろ」ソウは言った。「だから近くにいた」


---


ハルトはソウを見た。


「あの人たちを知っているんですか」


ソウは少し黙った。


---


「昔の知り合いに近い連中だ」ソウは言った。


それ以上は言わなかった。


ハルトもそれ以上は聞かなかった。


---


ただ、一つだけ聞いた。


「なぜ、私を助けたんですか」ハルトは言った。


「神宮寺さんは、区分を守る側に近い人だと思っていました」


---


ソウは長いあいだ黙っていた。


大通りの車の音が流れていった。


それから口を開いた。


---


「わからん」ソウは言った。


「昔の俺なら、こっち側にはいなかった」


「魔法使いは特別だと、本気で思っていた」


---


「でも」ソウは言った。


「お前がたった一人で、記録を積んでるのを見て」


「魔法も使えないのに、線を変えようとしているのを見て」


---


ソウは少し笑った。


淋しい笑い方だった。


「放っておけなくなった」


---


「イデオロギーより」ソウは言った。「お前の方が重かった」


「それだけだ」


ハルトは何も言えなかった。


---


「ありがとうございます」ようやくハルトは言った。


「礼はいい」ソウは言った。


そして、少し間を置いた。


---


「俺はまだ、お前に返しきれてないものがある」ソウは言った。


「返しきれてない、というのは」


「いつか話す」ソウは言った。「今日は帰れ」


---


ハルトはソウの顔を見た。


何か言いかけて、やめた。


聞くべき時ではなかった。


---


ソウは背を向けた。


「神崎」ソウは言った。「これで、はっきりした」


「何がですか」


---


「向こうは、線を守るために暴力を使う」ソウは言った。


「記録だけじゃ、間に合わないこともある」


「気をつけろ」


---


ソウは歩いて消えた。


ハルトはその背中を見送った。


なぜ、あの人はあんなに詳しいのか。


---


その問いは心の隅に残った。


でも、今夜は置いておいた。


手のひらがまだ痛かった。


---


家に帰った。


手を洗った。


傷を消毒した。


---


リアに電話した。


事件のことを伝えた。


「今、警察に連絡します」リアは言った。「神崎さん、無事ですか」


---


「無事です」ハルトは言った。「神宮寺さんが助けてくれました」


「神宮寺さんが」リアは言った。


少しの間、リアは何も言わなかった。


---


「明日、詳しく聞きます」リアは言った。「今日は休んでください」


「はい」


「神崎さん」リアは言った。「無事で、よかった」


---


電話を切った。


デイヴィッドにも報告が回るだろう。


事件は大きくなる。


---


研究に反対する側の暴力が、日本にも及んだ。


海の向こうでは、教授が殺された。


今度は日本で、自分が狙われた。


---


これは、もう隠せない。


ニュースになる。


世論が動く。


---


ハルトは椅子に座った。


手のひらの傷を見た。


今まで、記録を積んで待っていた。


---


でも、向こうは暴力に出た。


待っているだけでは守れない。


サクも、自分も。


---


ハルトは目を閉じた。


コールの問いが戻ってきた。


「君は、どうする」


---


今までの答えは、記録を積むことだった。


それは間違いではない。


でも、それだけでは足りなかった。


---


動く。


記録を積みながら、動く。


区分を機能させなくして、サクを連れ戻す。


---


守るのではなく、進む。


それが答えだった。


もう迷いはなかった。


---


ハルトはノートを開いた。


新しいページに日付を書いた。


その下に書いた。


---


「神宮寺さんから警告。協会の周りがきな臭い、と」


「帰り道で三人に襲われた。魔法使い。定義の件で狙われた」


「読み方で時間を稼いだ。手を切った。それだけで済んだ」


「神宮寺さんが助けてくれた。『イデオロギーより、お前の方が重かった』と」


「待っているだけでは守れない。動く」


---


五行、書いた。


ペンを置いた。


最後の一行を、長く見ていた。


---


今日のことを頭の中に入れた。


暗い道の、三つの人影。頬をかすめた炎。「線は動かさせない」という声。神宮寺さんの風。「放っておけなくなった」という言葉。「返しきれてないものがある」という言葉。そして、手のひらの傷。


全部、残った。


向こうは、暴力に出た。


こちらは、記録を積みながら動く。


もう、待っているだけの日々は終わった。


窓の外に、六月の夜があった。


雨が強くなっていた。


寝た。


---


第百五十二話 了

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