「署名」
朝、サクは目が覚めた。
窓の外は、いつもの山だった。
霧が、稜線にかかっていた。
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朝食のあと、研究室に移った。
机には、教授のノートと、自分のノートが並んでいた。
その続きを、書く日々だった。
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午前は、エマのデータを進めた。
構造を先に掴むと、発動が安定する。
その仮説は、少しずつ形になってきた。
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エマは、魔力を持っている。
ただ、術式の発動はできないとされてきた。
その壁を、訓練と記録で越えた。
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なぜ越えられたのか。
サクは、その理由を、一つずつ詰めていた。
答えは、まだ遠い。
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それでも、毎日、一歩は進む。
研究は、止まっていなかった。
それが、今のサクの、支えだった。
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昼を過ぎて、サクは、申請の登録状況を確認した。
研究の、一環だった。
自分の追補が、国際データベースに、どう登録されたか。
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ステータスの画面を、開いた。
追補は、正しく登録されていた。
その下に、見慣れないものが、追加されていた。
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「関連記録」
誰かが、サクの追補に、別の記録をひもづけていた。
サクは、それを、開いた。
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「非適合者による術式発動記録」
風系基本術式第三号。
持続二分。
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サクの手が、止まった。
それは、自分が書いたものだった。
追補の参照欄に、そっと埋めた、あの一行。
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誰かが、それを、見つけた。
そして、正式な関連記録として、ひもづけた。
サクは、画面を、見つめた。
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審査担当の欄に、目を、移した。
そこに、名前があった。
神崎ハルト。
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サクは、息を、止めた。
ゆっくりと、もう一度、その名前を読んだ。
神崎ハルト。
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ハルトくんが、見つけた。
サクの埋めた、一行を。
そして、返してきた。
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何週間も、ハルトくんの声はなかった。
デイヴィッドから、近況を聞くだけだった。
元気にしている。窓口に立っている。それだけ。
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でも今、ハルトくん自身の文字が、ここにあった。
人づてでは、なかった。
ハルトくんが、自分の手で置いた名前だった。
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サクは、画面に、顔を近づけた。
神崎ハルト。
その四文字が、温かかった。
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ステータスには、一文が、添えてあった。
「関連記録として整理。継続して記録する」
役所の、定型の言葉だった。
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研究者が見れば、ただの事務処理だった。
検閲が見ても、同じだろう。
でも、サクには、わかった。
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「受け取った」
ハルトくんは、そう、言っていた。
「これからも、記録を続ける」とも。
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待っている、とは書いていない。
会いたい、とも書いていない。
でも、「継続して記録する」と、書いてあった。
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それは、約束だった。
研究が実用のレベルになったら、最初に使わせる。
その日まで、記録を続けるという意味だった。
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サクは、ハルトの注記を、もう一度読んだ。
書いてある言葉は、どれも本当のことだった。
非適合者の発動記録は、実際にある。
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継続して記録するのも、ハルトくんの本当の仕事だ。
嘘は、一つもなかった。
だから、検閲を通った。
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ハルトくんは、嘘をつかずに伝えてきた。
本当のことだけで、サクに届かせた。
それが、ハルトくんらしかった。
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サクは、画面の名前を、指でなぞった。
神崎ハルト。
その文字に、ハルトくんが、いた。
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スマートフォンは、取り上げられたままだった。
電話も、メールも、できなかった。
デイヴィッドを通す伝言しか、なかった。
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でも今、ハルトくんが、自分でここに来た。
研究の記録の中に。
サクの、すぐ隣に。
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二つの記録が、同じ場所に、並んでいた。
サクの追補と、ハルトくんの発動記録。
別の場所で書いたものが、一つの画面に、並んでいた。
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サクは、少し、笑った。
それから、目元を、押さえた。
しばらく、そのままでいた。
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ハルトくんは、記録の人だった。
会えなくても、それは、変わらなかった。
会えないからこそ、記録で、来てくれた。
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サクは、深く、息を吸った。
そして、研究に、戻った。
手が、軽かった。
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次の追補にも、また何か置ける。
今度は、サクが返す番だった。
二人で、記録の中で、話を続けられる。
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サクは、何を返すか、少し考えた。
研究の言葉で、本当のことだけで。
ハルトくんが、そうしたように。
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嘘のない一行を、また一つ、埋める。
ハルトくんなら、必ず見つける。
そう思うと、研究の手が、止まらなかった。
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午後は、いつもより、進んだ。
構造の仮説が、また一つ、固まった。
教授のノートの続きが、また一行、増えた。
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教授は、書いていた。
「サクなら、その記録の続きを書けると思う」
サクは、一人ではなかった。
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教授のノート。
ハルトくんの、署名。
その両方が、サクを、後ろから支えていた。
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夕方、窓の外が、暗くなった。
山の稜線が、にじんだ。
サクは、ペンを、置いた。
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サクは、自分のノートを、開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「申請の登録状況を確認した」
「関連記録に、非適合者の発動記録。風系基本術式第三号、二分」
「私が埋めたもの。ハルトくんが、見つけて、ひもづけてくれた」
「審査担当の欄に、神崎ハルトの名前」
「『継続して記録する』。返事だった」
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五行、書いた。
ペンを、置いた。
最後の一行を、もう一度、読んだ。
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会えなくても、つながる方法が、あった。
ハルトくんが、それを、教えてくれた。
正確には、二人で、見つけた。
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サクは、教授のノートと、自分のノートを重ねた。
その上に、そっと手を置いた。
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窓の外を、見た。
山の上に、星が出ていた。
日本は、もう夜だろう。
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ハルトくんは、今ごろ、ノートを書いているだろうか。
「電話、まだ繋がらない」と、書いているだろうか。
サクは、しばらく、その想像をした。
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繋がらないのは、電話だけだ。
私たちは、もう、繋がっている。
そう、思えた。
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明かりを消した。
ベッドに入った。
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第百五十話 了




