「仕事として、来た」
水曜日の午前中は、窓口当番だった。
ハルトは受付カウンターに座った。マグカップは持ってこなかった。窓口当番のときは書類だけ手元に置く。それがハルトのやり方だった。
午前中の申請件数は少なかった。
個人の申請が二件、法人の事前相談が一件。手続きは滞りなく進んだ。
昼前に、もう一件来た。
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カウンターに近づいてくる人間を、ハルトは書類を見ながら確認した。
足音のリズムが、どこか聞き覚えがあった。
顔を上げた。
スーツ姿の女性が立っていた。黒のジャケット、白いシャツ、手にバインダーを持っていた。髪をきっちりまとめていた。腕輪はなかった。
一秒、間があった。
「神崎さん」とサクは言った。
「佐久間さん」とハルトは言った。
サクは少し目を細めた。「佐久間さん、か」
「仕事で来ているので」
「それはそうだけど」サクは小さく笑った。
それからすぐに表情を戻した。「私もそう。仕事で来た」
「はい。どのようなご用件ですか」
サクはバインダーをカウンターに置いた。
「株式会社サイエンスアークの佐久間と申します。魔法科学系の技術申請に参りました」
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面談室に案内した。
サクは会社名義の申請書類を取り出した。きちんと揃っていた。さすが技術顧問だと思った。
「申請名は『電気魔力変換補助素子・試作一号』です」
ハルトは書類を受け取った。読んだ。
電気エネルギーを魔力変換する際の補助素子。変換効率を安定させるための回路設計。術式との接続インターフェースを標準化したもの。
秋葉原で買ったコンデンサと銅線と、オシロスコープが頭の中に浮かんだ。
「これは」とハルトは言った。
「サイエンスアークの名義で出す。私が設計した技術だけど、会社の業務として進めることになったので」
「会社の業務として」
「そう」サクは言った。「個人の研究じゃなくて、正式に」
ハルトは書類に目を戻した。
変換補助素子。電気から魔力への変換を助ける素子。これが成立すれば、変換効率の改善につながる。サクが目指しているものへの、一つ手前の技術だった。
「申請内容に問題はありますか」とサクは聞いた。仕事の声だった。
「確認します。少しお時間をいただけますか」
「はい」
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ハルトは書類を読み込んだ。
回路設計の詳細図、変換効率のデータ、安全性の確認資料。全部揃っていた。技術的な精度も高かった。
先行特許を照合した。電気魔力変換系の特許は現在二十三件。類似するものを確認した。
一件、近い構造のものがあった。三年前の登録特許で、申請者はアルカナ・テックだった。
ハルトは二つを並べた。
構造は似ていたが、設計思想が違った。アルカナ・テックの特許は魔力を蓄積することを目的にしていた。サクの申請は変換効率の安定化を目的にしていた。重なる部分はあったが、棲み分けができていた。
問題なかった。
「確認が取れました」とハルトは言った。「先行特許との類似はありますが、目的と設計が異なるため申請可能です。ただし一点、書類の補記が必要な箇所があります」
「どこですか」
「安全性確認資料の第三項、変換素子の耐久試験データが不足しています。試作一号とのことなので、試験回数が少ない点を補足していただく必要があります」
「わかりました」サクはバインダーにメモを取った。「追加して再提出します」
「はい。再提出後、正式受理の手続きに入ります」
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手続きの説明が終わった。
サクはバインダーを閉じた。書類をまとめた。
仕事の顔のまま、少し間があった。
「神崎さん」
「はい」
「先行特許、アルカナ・テックのやつが引っかかりましたか」
「はい。ただ問題ありません」
「そう」サクは手元を見た。「なんか、そこだけ確認したかった」
「問題ありません」
「うん」
サクは立ち上がった。
「ありがとうございました」と言った。完全に仕事の言い方だった。
ハルトも立ち上がった。
「こちらこそ」
二人で面談室を出た。廊下を歩いた。エレベーターの前まで来た。
ボタンを押した。エレベーターを待った。
「一つ聞いていいですか」とハルトは言った。
「何」
「これは個人の研究と別ですか」
サクは少し間を置いた。
「別、ではない」サクは言った。「会社の業務として進めることになったけど、この技術がないと次に進めないから。段階として必要なものを、形にした」
「個人の研究の途中にあるもの、ということですか」
「そう」
「わかりました」
「それだけ?」
「はい」
サクは少しハルトを見た。
「会社の申請として来たのに、個人の研究の話まで聞くんだ」
「気になったので」
「なんとなく?」
「なんとなくではないです」
サクは小さく笑った。仕事の顔が少し崩れた。
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エレベーターが来た。
サクが乗った。ハルトは乗らなかった。
「補記の資料、なるべく早く出します」とサクは言った。
「お待ちしています」
ドアが閉まりかけた。
サクが、ドアの端を手で押さえた。
「ねえ、神崎さん」
「はい」
「私、この申請が通ったら、次の段階に進む。もう少し、大きい申請になる」
「はい」
「そのとき、また来てもいいですか」とサクは言った。
「もちろんです」
「仕事として」
「はい」
サクはドアから手を離した。
「仕事として、来ます」
ドアが閉まった。
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ハルトは閉まったドアを、少しの間見ていた。
電気魔力変換補助素子・試作一号。サイエンスアーク名義。佐久間サク設計。
個人の研究の途中にある技術が、今日、仕事として形になった。
次の段階、とサクは言った。もう少し大きい申請、と言った。
ハルトは廊下を歩いた。窓口に戻った。カウンターに座った。書類を手に取った。
窓の外は、冬の午後の光だった。
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第十五話 了




