「二分」
朝、庁舎に着いた。
役員会で通った記録の一元化が、動き始めていた。
ハルトが担当だった。
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装置に関する記録を、一つにまとめる。
国内の申請。海外の申請。
IMPOの共通データベースから、海外の分も入ってくる。
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ハルトは一件ずつ確認した。
頭の中に入れていった。
地道な作業だった。
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午前が過ぎた。
昼をはさんだ。
午後も作業を続けた。
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ある申請の追補が流れてきた。
アメリカからだった。
申請者の欄に、名前があった。
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佐久間サク。
カーター・ジェームズ。
ハルトの手が止まった。
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サクの申請の追補だった。
ハルトは内容を開いた。
装置の変換機構に関する補足だった。
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技術的な追補だった。
一字ずつ読んだ。
元の論文と、頭の中で照らした。
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数式。素子の構造。変換効率の更新。
どれも正しかった。
サクの研究だった。
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参照欄に進んだ。
引用された先行例が、並んでいた。
そこに一つ、見慣れないものがあった。
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「風系基本術式第三号」
ハルトは、その行で止まった。
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なぜ、これがここにあるのか。
装置の追補に、術式番号の参照は要らない。
科学的に関係なかった。
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でも、書いてあった。
その横に、小さく数字があった。
「二分」
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ハルトは、それを見ていた。
風系基本術式第三号。
二分。
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ハルトは元の論文を、頭の中で開いた。
最初の版に、この参照はなかった。
追補で新しく加えられたものだった。
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偶然ではなかった。
「二分」という数字も、変換効率の値ではなかった。
どの数式にも出てこない数字だった。
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意味のない数字を、サクが書くはずがなかった。
サクは、一つ一つの数字に意味を込める人だった。
ハルトは、それを知っていた。
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それは自分のことだった。
自分が初めて発動した術式。
自分の持続時間。
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サクの研究室で、手のひらの中で風が動いた。
ホワイトハウスで、二分を超えた。
その二つだった。
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ほかの誰にも、この組み合わせの意味はわからない。
ただの参照に見える。
審査官が見ても、見過ごす。
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でも、ハルトにはわかった。
これは伝言だった。
サクからの伝言だった。
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検閲を通る形で。
研究の記録として。
申請の参照欄の、片隅に。
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ハルトはもう一度読んだ。
間違いなかった。
風系基本術式第三号。二分。
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サクは覚えている。
あの日のことを。
自分が初めて魔法を使った日のことを。
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そして今も、研究を続けている。
追補が出されている。
つまり、サクは無事だった。
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動いている。
前に進んでいる。
その全部が、この一行に入っていた。
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ハルトはしばらく、画面を見ていた。
文字を指でなぞった。
息をゆっくり吐いた。
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言葉は一つも書いていなかった。
「元気ですか」もない。
「会いたい」もない。
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でも、伝わった。
サクは、ここにいる。
そう伝わった。
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ハルトは椅子にもたれた。
天井を見た。
少しの間、作業の手が止まった。
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何週間も、電話はつながらなかった。
ノートには毎晩、同じ一行を書いてきた。
「電話、まだ繋がらない」
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その一行の外側に、今日、別の一行が来た。
言葉ではなかった。
番号と数字だけだった。
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でも、それはサクの声だった。
ハルトはもう一度、画面を見た。
「風系基本術式第三号」
その文字の中に、サクがいた。
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それから考えた。
同じことが、自分にもできる。
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サクは研究の記録に、伝言を埋めた。
自分には審査の記録がある。
特許も、術式も、申請の参照も。
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その中に、サクなら気づくものを残せる。
普通の審査記録に見えて、サクだけがわかるもの。
それが返事になる。
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サクは論文を、一字残らず覚えている。
自分がサクの論文を覚えているように。
二人とも、記録の人だった。
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返事を書ける。
検閲を通る返事を。
サクが自分にしたように。
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ただ、今日はまず受け取った。
それだけで足りた。
返事は、しっかり考えてから書く。
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ハルトは追補の記録を、一元化のファイルに加えた。
正規の手続きとして。
誰が見ても、ただの一件だった。
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でも、その一件はハルトにとって特別だった。
百三件の問い合わせとも違った。
これは、サクからの一件だった。
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夕方、岸本と庁舎を出た。
「主任、今日は機嫌、いいですね」岸本は言った。
「そうですか」
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「はい」岸本は言った。「なんか、いつもより」
「いいことがありました」ハルトは言った。
「何かあったんですか」
「記録が一件、届きました」ハルトは言った。
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岸本は、首をかしげた。
「記録が、ですか」
「はい」ハルトは言った。「大事な一件です」
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岸本とは、駅で別れた。
電車に乗った。
窓の外を見た。
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家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。
八時を過ぎていた。
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サクに電話した。
呼び出し音は鳴らなかった。
同じ案内が流れた。
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いつもなら、ここで胸が重くなった。
今日は少し違った。
電話はつながらない。
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でも、今日つながった。
電話ではなく、記録の中で。
サクが先に、手を伸ばしてくれた。
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ハルトはノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「記録の一元化が始まった。担当になった」
「サクさんの申請の追補が届いた」
「参照欄に、風系基本術式第三号と、二分の文字」
「誰にもわからない。でも、自分にはわかった。サクさんからの伝言だ」
「電話は、まだ繋がらない。でも、今日、記録の中で繋がった」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
五行目を、もう一度読んだ。
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今日のことを頭の中に入れた。
申請の追補。参照欄の「風系基本術式第三号」と「二分」。言葉のない伝言。サクが無事で、研究を続けているという事実。そして、自分も同じ形で返事を書けるということ。
全部、残った。
サクは研究の中から、手を伸ばした。
自分は記録の側から、それを受け取った。
二人で同じ一行を、別の場所から書いていた。
その一行が、初めてつながった。
窓の外に、六月の夜があった。
少し暖かかった。
寝た。
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第百四十七話 了




