「続き」
朝、サクは目が覚めた。
カーテンの隙間から、光が入っていた。
窓の外は、山だった。
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新しい施設に来て、何日かが過ぎた。
部屋には、慣れた。
静かすぎることにも、少し慣れた。
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朝食のあと、研究室に移った。
設備は、前より広かった。
一人で使うには、広すぎた。
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机の上に、教授のノートを置いた。
手書きの、ノートだった。
教授が、最後に託したものだった。
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ページを開いた。
何度も読んだところを、また読んだ。
「装置なしで、魔法が使えるか」
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教授の字で、そう書いてあった。
その下に、短く、こう続いていた。
「わからない。サクなら、その記録の続きを書けると思う」
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サクは、その一行を、指でなぞった。
続きを書く。
それが、教授が、残した宿題だった。
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サクは、エマのデータを、画面に出した。
魔力保有者が、装置なしで、術式を発動した記録。
持続時間は、三分間。
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安定していた。
装置は、使っていなかった。
それでも、術式は、立ち上がっていた。
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なぜ、エマは装置なしで使えたのか。
サクは、その問いの前に座っていた。
答えは、まだ出ていなかった。
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エマは魔力保有者だった。
魔力は、持っている。
ただ、術式の発動はできないとされてきた。それが定説だった。
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でも、エマは発動した。
装置なしで。三分間。
何が変わったのか。
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サクは、実験の記録を最初からたどった。
エマは、術式を図として覚えるのを、やめていた。
全体の形を、先に掴んでいた。
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手順ではなく、構造として。
そのとき、発動が安定した。
記録と訓練が、センスの代わりをしている。
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サクは、その仮説をノートに書いた。
まだ、仮説だった。
でも、続きの、最初の一歩だった。
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昼前に、ドアをノックする音がした。
「佐久間さん」デイヴィッドの声だった。
「はい」
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ドアが開いた。
「お加減は、どうですか」デイヴィッドは言った。
「大丈夫です」サクは言った。
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「定例の報告に来ました」デイヴィッドは言った。
サクは、椅子を、勧めた。
デイヴィッドは、座った。
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「外の状況は、落ち着いてきています」デイヴィッドは言った。「デモも、縮小しています」
「はい」
「研究を続けることは、変わりません」デイヴィッドは言った。
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サクは、頷いた。
それから、少し、迷って、聞いた。
「ハルトくんは、どうしていますか」
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デイヴィッドは、少し、間を置いた。
「お元気です」デイヴィッドは言った。「いつも通り、勤務されています」
「いつも通り」
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「制度の見直しに、関わっているようです」デイヴィッドは言った。「定義を、変える動きがある、と聞いています」
「定義」サクは言った。
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「魔法を使える者の、定義だそうです」デイヴィッドは言った。「神崎さんが、根拠の記録を、まとめているとか」
サクは、その話を、聞いた。
ハルトくんらしい、と思った。
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「窓口にも、立っているそうです」デイヴィッドは言った。「問い合わせを、一件ずつ、記録しているそうです」
「一件ずつ」サクは言った。
「はい」
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サクは、少し、笑った。
ハルトくんは、記録の人だった。
会えなくても、それは、変わっていなかった。
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「ありがとうございます」サクは言った。「元気だと、わかって、よかったです」
「お伝えしておきます」デイヴィッドは言った。「神崎さんにも、佐久間さんがお元気だと」
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「もう一つ、伝言があります」デイヴィッドは言った。「カーター・エマさんからです」
サクは、顔を上げた。
「エマから」
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「体調が、戻ってきたそうです」デイヴィッドは言った。「早く、研究に戻りたい、と」
サクは、少し、笑った。
エマらしい、と思った。
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「伝えてもらえますか」サクは言った。「無理は、しないで、と」
「はい」
「データは、大事に進めている」サクは言った。「あなたの戻る場所は、ちゃんとある、と」
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「お伝えします」デイヴィッドは言った。
エマとの連絡も、デイヴィッドを通すしか、なかった。
それでも、声が、届いた気がした。
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デイヴィッドが、帰った。
部屋に、また、サク一人になった。
でも、さっきまでより、静かではなかった。
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ハルトくんは、定義を、変えようとしている。
魔法を使える者の、定義を。
サクは、自分の論文のことを、思い出した。
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論文には、実験のデータが、ある。
申請の書類も、ある。
それは、今も、世界に向けて、公開されている。
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直接の連絡は、できない。
スマートフォンは、取り上げられている。デイヴィッドさんを通す伝言も、検閲を通る。
でも、研究の記録は、別だった。
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論文も、申請も、データも。
それは、検閲の外で、ずっと、残っている。
ハルトくんなら、それを、全部、読める。
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サクは、机に、向き直った。
教授のノートの、続き。
それを書けば、記録として、残る。
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そして、それは、ハルトくんに届く。
検閲を通さずに。
研究という形で。
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サクは、少し考えた。
ハルトくんは、私の論文を全部覚えている。
特許番号も、術式の参照も、一字残らず。
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もし、申請の追補に、何かを書いたら。
普通の人には、ただの記録に見えるもの。
でも、ハルトくんなら、気づくもの。
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それは、伝言になるかもしれない。
検閲を、通る伝言に。
サクは、その考えを、ノートの隅に書いた。
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「ハルトくんに、伝えたい」
前にも、同じことを書いた。
今度は、その方法が、見え始めていた。
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サクは、ペンを、取った。
ノートの、新しいページを開いた。
教授の問いの、続きを、書き始めた。
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「装置なしで、魔法が使えるか」
その問いに、エマのデータを、並べた。
少しずつ、輪郭が、見えてきた。
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午後は、ずっと、研究をしていた。
時間が、経つのが、速かった。
久しぶりの、感覚だった。
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夕方、窓の外が、暗くなった。
山の稜線が、紫色になった。
サクは、ペンを、置いた。
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ハルトくんに、電話は、できなかった。
スマートフォンは、手元にない。
声を聞く手段は、何も、残っていなかった。
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それでも、サクは、自分のノートを、開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に、書いた。
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「教授のノートの続きを、書き始めた」
「デイヴィッドさん経由で、エマの伝言。研究に戻りたい、と」
「デイヴィッドさんが、ハルトくんの近況を教えてくれた」
「定義を変えようとしている。窓口で、問い合わせを記録している」
「ハルトくんは、やっぱり、記録の人だった」
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五行、書いた。
ペンを、置いた。
最後の一行を、もう一度、読んだ。
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会えなくても、ハルトくんが、何をしているかは、わかった。
記録を、積んでいる。
私と、同じだった。
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サクは、教授のノートを、そっと閉じた。
その横に、自分のノートを、重ねた。
二冊が、机の上に、並んだ。
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窓の外を、見た。
山の上に、星が出ていた。
日本は、もう、夜中だろう。
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ハルトくんは、今ごろ、ノートを書いているだろうか。
サクは、しばらく、その想像をした。
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明かりを消した。
ベッドに入った。
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第百四十五話 了




