「一人と、百三人」
役員会の日が来た。
朝、いつもより早く、庁舎に着いた。
資料は、頭の中に全部あった。
---
会議室の前で、リアと合流した。
「準備は」リアは言った。
「できています」ハルトは言った。
---
「私が、案の全体を説明します」リアは言った。「数字の話になったら、神崎さんが、答えてください」
「はい」
---
会議室に入った。
役員が、並んでいた。
その中に、昨日の二人がいた。
---
古株の役員。
業界団体の出身の役員。
ハルトは、二人の顔を、記録に重ねた。
---
リアが、案を説明した。
制度見直しの、三本柱。
申請区分の補足。装置関連記録の一元化。法的地位の整理。
---
「問題は、三つ目です」リアは言った。「現在の定義が、実態と合っていません」
「現在の定義」古株の役員が言った。「『発現投与に適合した者』だな」
「はい」リアは言った。
---
「これを、『術式の発動が記録によって確認された者』に変える」リアは言った。
会議室が、少し、ざわついた。
---
「それは、区分を、崩す話だ」古株の役員が言った。
「区分は、残ります」リアは言った。「定義を、実態に合わせるだけです」
---
「実態とは、何だ」業界団体出身の役員が言った。
リアは、ハルトを見た。
ハルトは、立ち上がった。
---
「非適合者が、術式を発動した記録があります」ハルトは言った。「私です」
役員たちが、ハルトを見た。
---
「ホワイトハウスで、コール大統領の前で発動しました」ハルトは言った。「持続時間は、二分を超えています。すべて、記録されています」
「一例だな」古株の役員が言った。「君という、特殊な一人の話だ」
---
ハルトは、少し間を置いた。
「私は、一人です」ハルトは言った。
「だろう」
---
「でも、問い合わせは、一人ではありません」ハルトは言った。
「問い合わせ」
「論文の公開から、今日まで」ハルトは言った。「非適合者からの問い合わせが、百三件あります」
---
会議室が、静かになった。
「自分も使えるようになるか」ハルトは言った。「その問いが、百三件です。すべて、記録に残っています」
---
「百三件か」業界団体出身の役員が言った。「だが、それは、ただの問い合わせだ。使えるという証明ではない」
「証明は、私の記録です」ハルトは言った。「百三件は、必要としている人の数です」
---
古株の役員が、口を開いた。
「定義を変えれば」役員は言った。「魔法使いの価値が、下がる」
ハルトは、その言葉を、待っていた。
---
「価値の話では、ありません」ハルトは言った。
「何だと」
「使える人が増えても、魔法使いの価値は、下がりません」ハルトは言った。「これは、価値の話ではなく、数の話です」
---
「増えれば、特別ではなくなる」役員は言った。
「特別かどうかを決めるのは」ハルトは言った。「定義ではありません」
役員は、少し、口を閉じた。
---
古株の役員が、ハルトを見た。
「君は、非適合者だな」役員は言った。
「はい」
---
「当事者だ」役員は言った。「自分に有利な定義を、作ろうとしているのではないか」
会議室が、少し、動いた。
---
ハルトは、その言葉を、受け止めた。
「はい。私は、非適合者です」ハルトは言った。
「認めるのか」
---
「事実ですから」ハルトは言った。「でも、私が出しているのは、私情ではありません」
「では、何だ」
---
「数字です」ハルトは言った。「百三件という数字に、私の都合は、入っていません。一件ずつ、別の人の問い合わせです」
役員は、何も言わなかった。
---
「私が非適合者であることと」ハルトは言った。「この数字が正しいことは、別の話です」
---
少し、間があった。
別の役員が、口を開いた。
「百三件の内訳は、確認できるのか」
「できます」ハルトは言った。「日付、内容、すべて記録しています」
---
「……検討の余地は、あるな」その役員は言った。
古株の役員が、その役員を見た。
「軽々しく、決める話ではない」古株の役員は言った。
---
議論は、長くなった。
賛成も、反対も、出た。
採決には、至らなかった。
---
最後に、議長が、まとめた。
「定義の変更は、継続審議とする」議長は言った。「ただし、装置関連記録の一元化は、先に進める」
---
「記録の一元化は、承認ですか」リアは言った。
「異論がなければ」議長は言った。
異論は、出なかった。
---
会議室を、出た。
廊下で、リアが言った。
「定義は、持ち越しになりました」
「はい」
---
「ただ」リアは言った。「『検討の余地はある』と言った役員がいました。前は、いなかった反応です」
「はい」
---
「神崎さん」リアは言った。「今日のは、負けではありません」
「わかっています」ハルトは言った。「問いは、残りました」
---
「問い」
「『百三件を、どうするのか』という問いです」ハルトは言った。「一度出た数字は、消えません。次も、出てきます」
---
リアは、頷いた。
「定義を、一度、議題に乗せました」リアは言った。「次は、ゼロからではありません」
「はい」ハルトは言った。「今日の議事録も、記録に残ります」
---
「議事録も、ですか」リアは言った。
「『当事者だ』と言われたことも」ハルトは言った。「『検討の余地はある』と言われたことも。全部、残ります」
---
リアは、少し、笑ったように見えた。
「集計を、続けてください」リアは言った。
「はい」
---
午後は、いつもの業務をした。
窓口に、一件、問い合わせがあった。
非適合者だった。
---
百四件になった。
ハルトは、その一件も、記録に加えた。
数字は、止まらなかった。
---
夕方、岸本と庁舎を出た。
「主任、役員会、どうでした」岸本は言った。
「定義は、持ち越しです」ハルトは言った。「記録の一元化は、通りました」
---
「半分は、通ったんですね」
「はい」ハルトは言った。「もう半分は、次です」
---
家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。
八時を過ぎていた。
---
サクに電話した。
呼び出し音は鳴らなかった。
同じ案内が流れた。
---
ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
---
「役員会。定義の変更は、継続審議。記録の一元化は、承認された」
「『当事者が有利な定義を作るのか』と言われた。私情ではなく数字だ、と答えた」
「『検討の余地はある』と言う役員が、一人出た」
「窓口で、百四件目。数字は止まらない」
「電話、まだ繋がらない」
---
五行、書いた。
ペンを置いた。
一行目は、半分の勝ちだった。
三行目は、小さな前進だった。
---
今日のことを頭の中に入れた。
「君は特殊な一人だ」という言葉。
「私は一人です。でも、問い合わせは百三件あります」という自分の言葉。
「当事者だ」と言われたこと。
「検討の余地はある」と言った役員。
窓口で増えた、百四件目。
全部、残った。
定義は、まだ変わっていない。
でも、問いは、机の上に残った。
一度出た数字は、消えない。
窓の外に、六月の夜があった。
風が、少し強かった。
寝た。
---
第百四十三話 了




