「一線」
朝、目が覚めた。
頭の中に、昨日の引っかかりが、残っていた。
二つの記録が、同じ形をしていた。でも、何かが、違った。
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着替えて、家を出た。
電車に乗った。
窓の外を、見た。
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庁舎に着いた。
岸本が、お茶を出してくれた。
「主任、おはようございます」岸本は言った。
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「おはようございます」
「役員会の準備、進んでますか」岸本は言った。
「進めています」ハルトは言った。
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午前、リアの部屋に行った。
机に、資料が、広がっていた。
「神崎さん」リアは言った。「一つ、確認したいことがあります」
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「はい」
「定義の案、根拠は、神崎さんの実例、一つです」リアは言った。「役員会で、これを、どう見られるか」
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ハルトは、少し、間を置いた。
「弱い、ということですか」
「『神崎さんという、特殊な一人の話』で、終わらせられる可能性があります」リアは言った。「向こうは、そう言うはずです」
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ハルトは、頷いた。
「もう一つ、実例が、必要ですか」
「あれば、強くなります」リアは言った。
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ハルトは、頭の中で、考えた。
サクの論文には、複数の実例が、あった。
非適合者の被験者、何人か。
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その記録は、頭の中に、全部、あった。
一字残らず。
引き出せば、すぐに、使える。
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ハルトは、その記録を、引き出そうとした。
途中で、止めた。
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サクの研究は、サクのものだ。
教授の遺志でもあった。
ここに、自分が、手を出してはいけない。
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「神崎さん」リアは言った。「何か、ありますか」
「サクさんの論文には、複数の実例があります」ハルトは言った。「ただ、それは、使いません」
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リアは、ハルトを、見た。
「理由を、聞いてもいいですか」
「あれは、サクさんの研究です」ハルトは言った。「自分の側からは、自分の記録だけを、使いたいです」
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リアは、少し、間を置いた。
「わかりました」リアは言った。「それなら、別の実例が、必要です」
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ハルトは、頭の中で、別の記録を、探した。
自分の実験記録。
特許の記録。
申請の記録。
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ふと、ある数字が、浮かんだ。
「論文発表後、窓口への問い合わせが、増えています」ハルトは言った。
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「はい」リアは言った。「その話は、前にも」
「その中に」ハルトは言った。「非適合者からの、問い合わせが、何件、含まれているか」
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リアは、ハルトを、見た。
「数えれば、わかります」ハルトは言った。「私は一人ですが、問い合わせは、一人ではありません」
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リアは、少し、考えた。
「神崎さんと、同じ疑問を持つ人が、一人じゃない、ということですね」リアは言った。「『神崎さんという、特殊な一人』ではなく」
「はい」ハルトは言った。「問い合わせという、記録そのものが、増えている。それが、根拠になります」
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リアは、頷いた。
「いいと思います」リアは言った。「集計、お願いできますか」
「はい」
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午後、窓口に立った。
二十代くらいの、女性が来た。
「あの論文のことで、聞きたいんです」女性は言った。
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「非適合者の方ですか」ハルトは言った。
「はい」女性は言った。「論文を、読んで」
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「私も、いつか、使えるようになりますか」女性は言った。
ハルトは、少し、間を置いた。
「現時点で、お約束できることは、ありません」ハルトは言った。「ただ、ご質問は、記録として、残します」
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女性は、頷いた。
頭の中の、数字が、また、一つ増えた。
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窓口が、終わった。
ハルトは、午後の残りで、問い合わせの記録を、頭の中から、数え始めた。
論文発表の日を、起点にした。
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その日から、今日まで。
非適合者からの、同じような問い合わせ。
一件、二件、三件。
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数えるたびに、増えた。
頭の中の、件数が、積み重なっていった。
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夕方、岸本と、庁舎を出た。
「主任、今日は、なんか、数えてましたね」岸本は言った。
「はい」ハルトは言った。「問い合わせの数を、数えていました」
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「結構な数、あるんですか」
「あります」ハルトは言った。「思っていたより、多いです」
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「それって、いいことですか」岸本は言った。
「役に立つ数字です」ハルトは言った。
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岸本と、駅で、別れた。
ハルトは、電車に乗った。
帰り道、スマートフォンが、鳴った。
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知らない番号だった。
ハルトは、出た。
「神崎か」声が、言った。
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「神宮寺さん」ハルトは言った。
「ああ」ソウは言った。「電話、平気か」
「はい」
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「協会のことで、一つ、聞いた」ソウは言った。「役員会、来週だろう」
「はい」ハルトは言った。「ご存知でしたか」
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「向こうも、準備してる」ソウは言った。「協会の中に、まだ、つながりがある」
「はい」
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「役員の中で、誰が、定義の変更に、強く反対するか」ソウは言った。「名前を、二人、聞いた」
「教えていただけますか」ハルトは言った。
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ソウは、二人の名前を、言った。
ハルトは、その名前を、頭の中に、入れた。
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「その二人は」ソウは言った。「魔法使いの数が、減ることを、一番、嫌う側だ」
「区分を、守りたい側、ということですか」
「そうだ」ソウは言った。
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「ありがとうございます」ハルトは言った。
「礼は、いい」ソウは言った。「言ったろ。外からなら、動ける」
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電話が、切れた。
ハルトは、スマートフォンを、見た。
電車が、揺れた。
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二つの名前。
頭の中に、新しい記録が、増えた。
サクの研究には、触れなかった。
でも、別のところから、記録が、届いた。
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家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。
八時を過ぎていた。
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サクに電話した。
呼び出し音は、鳴らなかった。
同じ案内が、流れた。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に、書いた。
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「リアに、実例を増やすよう言われた。サクさんの論文の実例は、使わないと決めた」
「自分の側の記録――問い合わせ件数の集計を、提案した」
「窓口に、論文について問い合わせる非適合者の女性が来た。集計に、また一件、増えた」
「神宮寺さんから電話。役員会で反対する役員の名前を、二人、教えられた」
「電話、まだ繋がらない」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目までは、自分の記録だった。
四行目は、外から、届いた記録だった。
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今日のことを頭の中に入れた。
リアの「特殊な一人の話で終わらせられる」という言葉。
サクの論文に手を伸ばして、止めたこと。
「問い合わせという記録そのものが、増えている」という自分の言葉。
窓口の女性。
神宮寺さんの「外からなら、動ける」という言葉と、二つの名前。
全部、残った。
サクの研究には、触れなかった。
それでも、記録は、増えた。
自分の側からも。
外からも。
窓の外に、六月の夜があった。
星が、出ていた。
寝た。
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第百四十一話 了




