「定義」
朝、早く目が覚めた。
頭の中で、ページが、開いていた。
昨夜の、リアの草案だった。
---
ハルトは、起き上がった。
いつもより、早く、家を出た。
---
庁舎に着いた。
フロアに、まだ、誰もいなかった。
席に着いた。
---
草案を、机に置いた。
開いた。
法的地位の整理、というページを、見た。
---
そのページに、定義が、書いてあった。
「魔法を使える者とは、発現投与に適合した者をいう」
短い一文だった。
---
ハルトは、その一文を、見ていた。
頭の中で、別の記録を、並べた。
自分の、実験記録だった。
---
神崎ハルトは、非適合者である。
発現投与に、適合していない。
それでも、装置を使い、術式を、発動した。
---
定義と、記録が、合わなかった。
「魔法を使える者」の中に、自分は、入っていなかった。
でも、自分は、魔法を、使った。
---
ハルトは、ペンを、取った。
紙に、その一文を、書き写した。
「魔法を使える者とは、発現投与に適合した者をいう」
---
その下に、線を引いた。
「発現投与に適合した者」の部分に。
ここが、合わない。
---
頭の中で、過去の申請を、たどった。
三十四万件の中から、定義に関わるものを、引き出した。
「適合者」という言葉が、使われている書類を、数えた。
---
申請区分の様式。
審査基準の細則。
装置の登録要綱。
術式記録の管理規程。
---
どれにも、「適合者」が、前提として、書いてあった。
魔法を使えるのは、適合者だけ。
そういう、前提だった。
---
でも、その前提は、もう、崩れていた。
自分が、崩していた。
ホワイトハウスで、コールの前で、発動したときに。
---
人が、増えてきた。
岸本が、来た。
「主任、早いですね」岸本は言った。
---
「はい」ハルトは言った。
「何か、急ぎですか」
「急ぎでは、ありません」ハルトは言った。「ただ、見ておきたいものが、あります」
---
午前は、机に、向かっていた。
定義に関わる書類を、頭の中で、一枚ずつ、確認した。
紙には、要点だけを、書き出した。
---
昼を過ぎて、リアの部屋に行った。
「神崎さん」リアは言った。「草案のことですか」
「はい」
---
「法的地位の定義のことで、一つ、報告があります」ハルトは言った。
「はい」
「『魔法を使える者とは、発現投与に適合した者をいう』」ハルトは言った。「この定義が、実態と、合っていません」
---
リアは、ハルトを、見た。
「合わない、というのは」リアは言った。
「適合していなくても、装置を使えば、術式を発動できます」ハルトは言った。「実例が、あります」
---
リアは、少し、間を置いた。
「あなたですね」リアは言った。
「はい」ハルトは言った。「私です」
---
「定義の方を、直す必要があります」ハルトは言った。「『適合した者』ではなく、『術式の発動が記録された者』に」
リアは、ハルトの出した紙を、見た。
そこに、ハルトの案が、書いてあった。
---
「『発現投与に適合した者』」リアは、読み上げた。「これを、『術式の発動が、記録によって確認された者』に」
「はい」
「生まれつきか、どうかは、問わない」リアは言った。「発動したか、どうか。記録があるか、どうか」
「はい」
---
リアは、しばらく、紙を、見ていた。
「神崎さん」リアは言った。「これは、大きい」
「はい」
「区分の、根っこです」リアは言った。「適合者か、非適合者か。その分け方の、前提が、変わる」
---
ハルトは、頷いた。
「ただ」ハルトは言った。「一つ、線を引いています」
「どこですか」
---
「なぜ、私が発動できたのか」ハルトは言った。「その理由には、触れていません」
リアは、ハルトを、見た。
「触れない方が、いいと」リアは言った。
---
「はい」ハルトは言った。「今の段階で、書くべきではないと、思います。記録として、書けるのは、『発動した』という事実だけです」
「わかりました」リアは言った。「事実だけ。理由は、書かない」
「はい」
---
リアは、紙を、机に置いた。
「この案、役員会に、出します」リアは言った。「ただ、すぐには、通らないでしょう」
「はい」
---
「上位の法律も、関わります」リアは言った。「魔法協会も、反対するはずです。区分を、守りたい側は、必ず、抵抗します」
「わかっています」ハルトは言った。
「それでも」リアは言った。「これは、出す価値があります」
---
部屋を出た。
廊下を、歩いた。
頭の中に、書き換えた一行が、あった。
---
午後、窓口に、若い男性が来た。
二十代に、見えた。
「装置のことで、聞きたいんです」男性は言った。
---
「はい」ハルトは言った。
「俺、非適合者なんです」男性は言った。「あの論文の、装置。あれ、いつか、買えるようになりますか」
「現時点では、まだです」ハルトは言った。「研究の段階です。実用化には、まだ、時間がかかります」
---
「俺、ずっと、決まってると思ってたんです」男性は言った。「使える人と、使えない人が。生まれたときから」
「はい」
「でも、そうじゃないかもしれない、って」男性は言った。「初めて、思いました」
---
ハルトは、少し、間を置いた。
「その問い合わせは」ハルトは言った。「記録として、残します」
「記録、ですか」
「はい」ハルトは言った。「あなたのような問い合わせが、何件あったか。それも、制度を、動かす材料になります」
---
男性は、頷いた。
「じゃあ、また来ます」男性は言った。「何回でも」
「はい」ハルトは言った。「お待ちしています」
---
男性が、帰っていった。
ハルトは、その問い合わせを、件数に、加えた。
頭の中の、定義のことと、つながった。
---
「使える人と、使えない人が、生まれたときから決まっている」
その男性の言葉は、定義そのものだった。
その定義を、書き換える。
---
サクは、研究で、世界を動かしている。
自分は、術式を、発動できない。
でも、記録なら、ある。
---
その記録を、定義に、ぶつける。
定義の方が、合わなくなる。
それは、自分にしか、できないことだった。
---
夕方、岸本と、庁舎を出た。
「主任」岸本は言った。「今日、少し、いつもと違いましたね」
「そうですか」
「はい」岸本は言った。「なんか、前を、向いてました」
---
ハルトは、岸本を、見た。
「やることが、一つ、見つかりました」ハルトは言った。
「いいことですね」岸本は言った。
「はい」
---
家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。
八時を過ぎていた。
---
サクに電話した。
呼び出し音は、鳴らなかった。
同じ案内が、流れた。
---
電話を切った。
それでも、今日は、書くことがあった。
ハルトは、ノートを開いた。
---
新しいページに、日付を書いた。
その下に、書いた。
---
「リアの草案の、定義を直す案を出した」
「『適合した者』ではなく、『術式の発動が記録された者』に」
「区分の、根っこが変わる、とリアが言った」
「なぜ発動できたかの理由には、触れない。事実だけ」
「電話、まだ繋がらない」
---
五行、書いた。
ペンを置いた。
最後の行は、昨日と、同じだった。
でも、その上の四行は、昨日と、違った。
---
今日のことを頭の中に入れた。
「魔法を使える者とは、発現投与に適合した者をいう」という一文。それに引いた、一本の線。リアの「区分の、根っこです」という言葉。岸本の「前を、向いてました」という言葉。そして、まだ繋がらない、電話。
全部、残った。
サクには、研究があった。
自分には、記録があった。
それで、戦える気がした。
窓の外に、六月の夜があった。
少し、風が出ていた。
寝た。
---
第百三十八話 了




