「構造」
四月の中旬だった。
---
魔法庁への年次訪問の日だった。
MPBと魔法庁の間には、毎年この時期に業務確認がある。
術式分類基準の照合と、昨年度の審査差異の確認だった。
ハルトが担当になって、今年で二年目だった。
---
魔法庁のフロアに入った。
受付を済ませた。
会議室に案内された。
しばらくして、担当者が来た。
倉田主任だった。
---
「神崎さん」倉田主任は言った。
「はい。お世話になります」
「主任になってから、こちらに来るのは初めてか」
「はい。昨年はIMPO出向中でしたので、別の担当者が来ていました」
「そうか」倉田主任は言った。椅子に座った。「変わったか」
「立場が変わりました。業務の内容自体は、変わっていません」
「では始めよう」
---
確認作業が始まった。
分類基準のリスト、昨年度の変更点、今年度の想定改定箇所。
二時間ほどかかった。
差異は三件だった。
うち二件は軽微な表記の統一だった。
一件は、複合術式の分類の解釈の差異だった。
「複合術式の定義が、こちらの基準では少し広い」ハルトは言った。「MPBの申請審査では、複合と判断するラインが高い」
「意図的にそうしているか」
「はい。申請者が複合として登録したいケースと、審査側が複合と判断するケースの間に、記録上の差異が生じやすいためです」
「記録の問題か」
「はい。どちらかに統一するより、差異があることを記録として持った上で運用する方が実態に即しています」
「それでいい」倉田主任は言った。「現状維持で記録しておく」
---
確認が終わった。
倉田主任がファイルを閉じた。
ハルトは少し間を置いた。
「一点、業務外のことを聞いていいですか」
倉田主任は顔を上げた。
「はい」
「今年の新人に、術式の不発が多い魔法使いがいます。記録を読む目は持っているのですが、発動の場面で安定しない」
「よくある話だ」
「はい。術式全体のイメージを持ってから発動する、という話をしたのですが、うまく伝わりきっていない様子で。倉田主任は魔法使いですので、使う側の感覚から、どういう説明が伝わりやすいか、聞けると思いまして」
倉田主任はしばらく考えた。
「術式は、手順ではなく構造だ」倉田主任は言った。「楽譜と似ている。音符を一つずつ追うのと、曲全体の形を先に持つのとでは、演奏が変わる」
「はい」
「不発が多い人間は、大抵、次の手順を確認しながら発動している。手順の確認と、術式を動かすことが、脳の中で競合する」
「記録の確認と、発動そのものが、別の処理だということですか」
「そうだ。手順の確認が終わった状態で発動に入るのではなく、術式の全体が見えている状態で始める。そのためには、術式が完成した状態を先に頭に置く訓練が要る」
「完成した状態を先に置く」ハルトは繰り返した。
「記録で言えば、申請書の全体構造を把握してから細部を確認する読み方と同じだ」
「はい。その説明は、伝わると思います」
「その子が使い慣れた言語で入れた方が、定着する」倉田主任は言った。
---
魔法庁を出た。
外は、四月の昼だった。
明るかった。
「術式は手順ではなく構造だ」という言葉が、頭の中に入った。
「楽譜を一音ずつ追うのと、曲全体の形を先に持つのと」という説明も、入った。
三島なら、すぐわかる言語だと思った。
---
フロアに戻った。
三島が窓口の補助についていた。
「神崎主任、今日は出張でしたか」三島は言った。
「はい。魔法庁との年次確認でした」
「そうですか」三島は少し間を置いた。「魔法庁って、魔法使いが多いですか」
「はい。多いです」
「やっぱりそうか」三島は言った。「MPBの説明会を聞いたとき、ここは読む仕事だと思って。魔法庁の説明会も行ったんですが、なんか違う感じがして」
「はい。少し話せますか」ハルトは言った。
「はい」
---
会議室に二人で入った。
「今日、魔法庁で倉田主任という方に聞いてきました。術式の発動について、使う側の感覚を」
「はい」
「術式は手順ではなく構造だという説明でした」ハルトは言った。「楽譜を一音ずつ追うのと、曲全体の形を先に持つのとでは、演奏が変わる、という言い方をしていました」
三島はしばらく考えた。
「楽譜か」三島は言った。「ピアノ、少しやっていたことあります。音符を追うだけだと弾けなくて、曲のイメージが先にないと手が動かないって、先生に言われたことがあります」
「はい。それが、術式のイメージを持つということです」
「申請書を読むときと、同じですか」
「はい。全体の構造を先に把握してから、細部を確認していく、という読み方と同じです」
三島は少し間を置いた。
「やってみます」三島は言った。「今夜、部屋で」
「はい。記録として持っておいてください」
「はい」三島は言った。「神崎主任、今日、私のために魔法庁に聞きに行ってくれたんですか」
「ついでに聞いてきました」
三島はしばらくハルトを見た。
それ以上は言わなかった。
「ありがとうございます」と言った。
---
夜、サクに電話した。
八時半だった。
「もしもし」サクは言った。
「はい。今日は魔法庁に行きました。業務の年次確認と、ついでに三島さんの件を少し聞いてきました」
「ついでに、か」サクは言った。少し笑った声がした。「ハルトくんらしいですね」
「倉田主任に、使う側の感覚を聞きました。術式は手順ではなく構造だという話でした。楽譜を一音ずつ追うのと、曲全体の形を先に持つのとでは演奏が変わる、という説明でした」
「それは、ハルトくんが使う言語じゃないですね」サクは言った。
「はい。三島さんに伝えたら、ピアノをやっていたことがあると言っていました。通じると思います」
「そっか」サクは言った。「自分が使えない言語を調べてきたんですね」
「三島さんに伝わる言語が必要でした」
「うん」サクは少し間を置いた。「今日は研究、少し進みました。カーター教授と、次のデータの整理の方針を話しました。教授、今日も少し急いでいる感じがしました」
「急いでいる理由は」
「今日も聞けなかったです。ただ、急ぐ理由があるような気がします」
「はい。把握しておきます」
「おやすみ、ハルトくん。また明日」
「おやすみなさい。明日も連絡します」
---
電話が切れた。
今日のことを頭の中に入れた。
倉田主任の「術式は手順ではなく構造だ」という言葉。「楽譜を一音ずつ追うのと、曲全体の形を先に持つのと」という説明。三島の「ピアノ、少しやっていたことあります」という言葉。「やってみます」という言葉。サクの「自分が使えない言語を調べてきたんですね」という言葉。カーター教授がまた急いでいるという話。
全部、残った。
使えない言語でも、記録として持てば、伝えることができる。
今日はそれを、確認した。
窓の外に、四月の夜があった。
少し明るい月だった。
寝た。
---
第百二十二話 了




