「イメージ」
四月の、三日目だった。
研修の最終日だった。
---
朝、フロアに来ると、三島がもう来ていた。
窓際の席に座って、手元に何かを置いていた。
昨日書いたメモだった。
「おはようございます」三島は言った。
「はい。おはようございます」
「昨日の夜、少し考えていたことがあります」三島は言った。「術式全体のイメージ、という話です」
「はい」
「手順を追うことと、イメージを持つことの違いが、まだわかっていなくて。ただ、考えていたら、一つ思ったことがあります」
「はい」
「請求項を読むとき、私は最初に全体を把握しようとしています。第一請求項から順番に読むのではなく、まず全体の構造を見てから、細部を確認していく順番で読んでいます」
「はい」
「それが、術式のイメージを持つことと、似ているんじゃないかと思って」三島は言った。「全体の構造を先に見る、という意味で」
ハルトは少し間を置いた。
「正しいと思います」
三島が少し顔を上げた。
「そうですか」
「はい。請求項を読む順番と、術式を発動する感覚は、別のことです。ただ、全体を先に見てから細部に入るという構造は、同じかもしれません」
「やってみます」三島は言った。「今日、実演の機会があれば」
「はい。あります」
---
研修の最終日は、窓口対応の実践演習から始まった。
実際の申請受理の流れを、ゼロから通しでやる演習だった。
---
鶴田が補助として入った。
鶴田は非適合者で、在籍三年目だった。
研修の補助は今年が初めてだった。
「よろしくお願いします」と三名に言った。
田中が「よろしくお願いします」と返した。
木村が頷いた。
三島は鶴田を少し見てから、「よろしくお願いします」と言った。
---
演習が始まった。
田中が窓口に立った。
申請書の受理から確認項目の確認まで、手順通りにこなした。
途中、申請書の一カ所に意図的に入れてある不備に、気づかなかった。
「一点、確認してください」ハルトは言った。
田中が申請書を見直した。
一分ほどかかって、見つけた。
「術式の分類欄です。記載が空欄になっています」
「はい。正しいです」
---
木村の番になった。
受け答えは落ち着いていた。
申請書の確認も丁寧だった。
不備には気づかなかったが、ハルトが「何か気になる点はありますか」と聞いたとき、少し考えてから「分類欄が気になります」と言った。
「根拠は」
「他の欄と比べて、密度が薄い気がします」木村は言った。「書き込みが少ない、というか」
「はい。正しい観点です」
---
三島の番になった。
窓口に立った。
申請書を手に取った。
最初の数秒、じっと全体を見ていた。
「少し待っていただいていいですか」三島は言った。
「はい。どうぞ」
三島は申請書をもう一度全体から見た。
「第二請求項と術式の分類欄を確認します」三島は言った。
「はい」
「分類欄が空欄です。第二請求項の内容から見ると、風系術式の補助効果に分類されると思います。ただ、この分類は申請者に確認が必要ですか、それとも審査側で判断できますか」
「申請者に確認が必要です」ハルトは言った。「ただ、観点は正しいです」
「わかりました」
---
演習が終わった。
鶴田が三名にフィードバックを伝えた。
「田中さんは手順の精度が高いです。次は確認の速度を上げることが課題になると思います」
「木村さんは直感の観点が鋭いです。それを言語化する練習をすると、さらに使いやすくなります」
「三島さんは」鶴田は少し間を置いた。「全体を先に見る読み方が、すでにできています。それが、実務で一番すぐに活かせる強みだと思います」
三島は鶴田を見た。
「鶴田さんは、非適合者ですか」
「はい」
「非適合者で、審査の仕事をどう思いますか」
鶴田は少し考えた。
「記録を読む仕事なので、魔法が使えなくても問題ない場面の方が多いです。最初はそれが心細かったですが、今は逆に強みだと思っています」
「どういう意味ですか」
「申請者の術式を、使う視点でなく読む視点で見られます」鶴田は言った。「使える人は、使う感覚で読んでしまうことがある。使えない分、フラットに読めます」
三島はしばらく鶴田を見ていた。
「そっか」三島は言った。「私、魔法が下手なのかもしれないですが、読む視点の方はあるかもしれないです」
「あると思います」鶴田は言った。「今日の演習で、そう見えました」
---
午後、実演の時間になった。
田中が発動した。安定していた。
三島の番になった。
立った。
少し間を置いた。
昨日と違う間だった。
目を閉じた。
手を前に出した。
---
光の輪郭が、現れた。
昨日より明確な輪郭だった。
二秒ほど、保った。
消えた。
---
「不発ではなかったです」三島は言った。
「はい。発動しました」
「でも、すぐ消えました」
「はい。次は続けることが課題になります」ハルトは言った。「ただ、輪郭が出ました」
三島はしばらく自分の手を見ていた。
「全体のイメージを持ってから、やりました」
「はい」
「それで、出ました」
「はい」
「なんで出たかは、まだわかっていないですが」三島は言った。「ただ、違いはありました」
「はい。その違いを、記録として持っておいてください」
「はい」三島は言った。「持っておきます」
---
夕方、研修が終わった。
三名が会議室を出た。
鶴田が後片付けを手伝った。
「今年の新人、どうでしたか」鶴田は言った。
「三名とも、それぞれの観点を持っていました」
「三島さん、今日の実演で、輪郭が出ましたね」鶴田は言った。「去年まで、不発だらけだったと言っていましたけど」
「はい。全体のイメージを持つという話を、自分で応用していました」
「神崎主任が話したことを」
「はい。ただ、気づいたのは三島さん自身です」
鶴田はしばらく考えた。
「神崎主任、昔、私に似たようなことを言いましたよね」鶴田は言った。「非適合者でも、記録を読む目を持てば、審査員として動けると」
「はい」
「あのとき、信じていなかったわけじゃないですが、実感はまだなかったです」鶴田は言った。「今は、実感があります」
「はい。三年で積み上げてきた記録があります」
「はい」鶴田は言った。「来年も補助やっていいですか」
「はい。お願いします」
---
夜、サクに電話した。
呼び出し音が、いつもより少し長かった。
「もしもし」サクは言った。
「はい。神崎です。今、大丈夫ですか」
「はい。ちょっと待ってください」
少し間があった。
「今日から、夜の通話に少し制限が加わりました」サクは言った。「夜九時以降は、外部との通話が制限されます。今日は間に合いましたが、明日からは少し早めに電話をします」
「はい。わかりました」
「ごめんなさい」
「いえ。状況が変わったことを、把握しました」
---
「今日はどうでしたか」サクは言った。
「研修の最終日でした。三島さんが、術式の輪郭を出しました」
「輪郭が出た、というのは」
「発動したということです。不発ではなかった」
「よかった」サクは言った。「昨日の話、伝わったんですね」
「三島さんが、請求項の読み方と結びつけて自分で考えていました」
「ハルトくんが話したことを」
「はい。ただ、気づいたのは三島さんです」
「そっか」サクは言った。「そういう話し方をするんですね、ハルトくんは」
「どういう意味ですか」
「気づいたのは相手だ、という言い方が」サクは言った。「でも、話したのはハルトくんですよね」
「はい。ただ、繋げたのは三島さんです」
「うん」サクは言った。少し間を置いた。「今日はカーター教授と話しました。次の研究の方向性について。教授が、少し急いでいる様子がありました」
「急いでいる、というのは」
「なんとなく、です。急かされているわけじゃないですが、区切りをつけようとしている感じがして」
「はい」
「なぜ急いでいるのかは、まだわかりません」サクは言った。「記録として持っておきます」
「はい。持っておいてください」
---
少し間があった。
「ハルトくん」サクは言った。
「はい」
「行動制限が始まってから、今日で一週間くらいです」
「はい」
「慣れてきたかというと、まだ慣れてはいないですが、少しずつわかってきたことがあります」
「はい」
「一人でいる時間が長い分、考える時間が増えました」サクは言った。「前は、動き回っていたから、考えるより先に行動していたことが多かったです。今は、止まっているから、考えます」
「はい」
「それが悪いことかというと、わからないです。ただ、ハルトくんと話すことで、考えたことが整理できています」
「はい。話せてよかったです」
「おやすみ、ハルトくん。また明日」
「おやすみなさい。明日も電話します」
---
電話が切れた。
夜の九時前だった。
今日のことを頭の中に入れた。
三島の「全体を先に見る、という意味で」という言葉。輪郭が出たこと。鶴田の「来年も補助やっていいですか」という言葉。「気づいたのは三島さんです」という自分の言葉。サクの「夜九時以降は、外部との通話が制限されます」という話。カーター教授が急いでいるというサクの言葉。「止まっているから、考えます」という言葉。
全部、残った。
研修が終わった。
三名が、それぞれの観点を持ったまま、明日からフロアに来る。
制限が、少し増えた。
それでも、今日も話せた。
窓の外に、四月の夜があった。
少し肌寒かった。
寝た。
---
第百二十一話 了




