「停止」
エマが救出されてから、二日が経っていた。
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土曜日の夜だった。
サクから電話が来た。
「ハルトくん、今夜話せますか。少し、複雑な話があって」
「はい。話せます」
「教授から、相談がありました。一緒に聞いてほしい」
「はい」
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オンラインに繋いだ。
サクとカーター教授が映った。
教授の顔が、少し疲れていた。
「神崎さん、今日は時間を取ってもらえてありがとうございます」カーター教授は言った。
「はい」
「エマのことで、話さなければならないことがあります」
「はい。聞きます」
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カーター教授は少し間を置いた。
「エマは今、安全な場所にいます。昨日、エマと話しました」カーター教授は言った。「エマは、怖かったと言っていました。ただ、それだけではなく、こう言いました」
「はい」
「自分がいるから、研究が危険にさらされているのではないか、と」
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部屋が静かになった。
「エマさんが、そう言ったんですか」サクは言った。
「はい。自分が研究に関わっている限り、次も狙われる可能性がある。自分のせいで、サクや私が危険になるのは嫌だ、と言っていました」
「はい」
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ハルトは少し間を置いた。
「教授、一点だけ確認させてください」
「はい」
「エマさんが関わっている未発表のデータというのは、今の論文には含まれていないデータですね」
「はい。そうです」カーター教授は言った。「今回公開した論文には含まれていません。次の段階として準備していたものです」
「はい。わかりました」
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「神崎さんに、一点お願いがあります」カーター教授は言った。「サクに直接言えなくて。神崎さんを介して聞いてもらいたいと思いました」
「はい」
「エマが関わっているデータの発表を、しばらく控えてほしい。次の安全が確保できるまでの間だけでいいです。エマが自分のせいだと思い続けることが、辛くて」
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サクが黙っていた。
カーター教授も黙っていた。
ハルトは少し間を置いた。
「教授、もう一点確認させてください」
「はい」
「今回の論文は、既に世界に公開されています。それは変わりません。今の話は、次の段階として準備していたデータの発表を、しばらく待つということですね」
「はい。そうです。論文は止めようがありません。ただ、次のデータをすぐに出すことを、少し待ってほしいということです」
「はい。わかりました」ハルトは言った。「サクさんに、聞いてもいいですか」
「はい」
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「サクさん」ハルトは言った。
「はい」
「今の教授の話、聞いていましたね」
「はい。聞いていました」
「どう思いましたか」
サクは少し間を置いた。
「出したい、というのが、最初の気持ちです」サクは言った。「正直に言います。次のデータは、まだ誰にも出していない。今の論文の次に来る話です。それを出さない理由が、私にはない」
「はい」
「ただ」サクは言った。
「はい」
「エマが、自分のせいだと思っている。それは、私には耐えられない」
「はい」
「ハルトくん、一つだけ聞いていいですか」
「はい」
「今すぐ出さないことは、やめることですか」
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ハルトは少し間を置いた。
「いいえ」ハルトは言った。「やめることではありません」
「どう違いますか」
「今すぐ出さないことは、記録を消すことではありません」ハルトは言った。「データは、手元に残っています。今日まで積み上げてきた実験の記録、数値、経過。全部、残っています。出す時期を選ぶことは、やめることとは違います」
「記録は、手元に残っている」サクは繰り返した。
「はい。出すタイミングを変えることと、出さないことは、別の話です。記録がある限り、いつでも再開できます。ためているだけです」
「ためているだけ、か」
「はい。次の弾は、まだ手元にあります。いつ出すかは、サクさんが決めることです」
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サクはしばらく黙っていた。
カーター教授も黙っていた。
ハルトも、何も言わなかった。
待った。
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「教授」サクは言った。
「はい」
「エマに、伝えてください」
「はい」
「私が今すぐ出さないのは、エマのためだけじゃない。次のデータをちゃんとした形で出すために、今は持っておくという選択をするということだと」
「はい」
「やめるわけじゃない。ためるだけです。データは全部、手元にあります。安全が確保できたら、出します。そのとき、エマにも一緒にいてほしい」
「はい、サク」カーター教授は言った。声が、少し変わった。「ありがとうございます」
「いいえ」サクは言った。「ハルトくんが、整理してくれたからです」
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「ハルトくん」サクは言った。
「はい」
「次のデータの発表を、一時的に控えます。自分で決めました」
「はい」
「エマが落ち着いて、安全が確保できたら、出します。それも、自分で決めます」
「はい。わかっています」
「記録は、消えませんよね」
「はい。消えません。今日の決断も、記録として残ります」
「そっか」サクは言った。「じゃあ、大丈夫ですね」
「はい。大丈夫です」
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オンラインが切れた。
部屋が静かになった。
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少し経ってから、デイヴィッドにメッセージを送った。
「一点、共有しておきたいことがあります。エマさんに関連する、まだ公開していない情報の発表を、しばらく控えることになりました」
少し間があって、返信が来た。
「把握しました。内容については聞きません。ただ、一点だけ確認させてください」
「はい」
「その判断は、佐久間さんが自分で決めたことですか」
「はい。サクさんが自分で決めました」
「わかりました」デイヴィッドは言った。「記録として持っておきます。今後の動きに、意味を持つ可能性があります」
「はい。持っておいてください」
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今日のことを頭の中に入れた。
カーター教授の頼み。
エマの「自分のせいかもしれない」という言葉。
サクの「出したい、それが最初の気持ちです」という言葉。
「出すタイミングを変えることと、出さないことは別の話」という自分の言葉。
「次の弾は、まだ手元にある」という言葉。
サクの「自分で決めました」という言葉。
デイヴィッドの「内容については聞きません」という言葉。
「今後の動きに意味を持つ可能性があります」という言葉。
全部、残った。
論文は、世界に出た。
次のデータは、手元にある。
止まっているのではなく、ためている。
記録は積み上がったまま、残っていた。
再開すれば、続きから始まる。
それが今日、確かなことだった。
窓の外に、三月の夜があった。
寝た。
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第百十八話 了




