「拉致」
三月の第三週だった。
コールの支援宣言から、一週間が経っていた。
世界の動きは、止まっていなかった。
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木曜日の夜だった。
帰宅してから、少し経った頃だった。
サクから電話が来た。
番号を見た。
いつもの番号だった。
出た。
「はい」
「ハルトくん」
声が、違った。
震えていた。
「はい。どうしましたか」
「エマが、いなくなりました」
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ハルトは少し間を置いた。
「いなくなった、というのは」
「今日の夕方、エマが大学から帰る途中で連絡が途絶えました。教授がずっと連絡しているんですが、出なくて。大学にも、自宅にも、いない」
「警察には」
「教授が連絡しました。ただ、まだ捜索が始まったばかりで」サクは言った。声が揺れていた。「ハルトくん、これって、どういうことだと思いますか」
「はい。整理します」ハルトは言った。「コールの支援宣言から一週間です。研究が世界に知られた後、その実証者であるエマさんが姿を消した。関係がある可能性があります」
「やっぱり、そう思いますか」
「はい。ただ、確認できていないことがあります。一人で判断しないでください。今夜、教授のそばにいてください」
「はい。教授のところにいます」
「デイヴィッドさんに連絡します。IMPOとして、情報が入っている可能性があります」
「お願いします」サクは言った。「ハルトくん、怖い」
「はい。怖くていいです。ただ、今夜は一人でいないでください」
「はい。教授のそばにいます」
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電話が切れた。
すぐにデイヴィッドに連絡した。
「デイヴィッドさん、今話せますか。エマさんのことで」
「知っています」デイヴィッドは言った。即答だった。「IMPOにも、一時間前に情報が入りました」
「何が起きていますか」
「確認できていることだけ話します」デイヴィッドは言った。「エマさんは、特定の国の工作員に接触されたと見られています。強制連行の可能性が高い」
「どの国ですか」
「今の段階では言えません。ただ、コールの支援宣言の直後から、複数の国がこの研究への介入を検討していたという情報は、IMPOとして把握していました」
「はい」
「神崎さん、一点確認させてください」デイヴィッドは言った。「ホワイトハウスの会談の際、エマさんの存在は話に出ましたか」
「いいえ。会談の場では、エマさんの名前は出ませんでした」
「そうですか」デイヴィッドは言った。「ただ、コール側はエマさんの存在を把握していた。事前に全員を調べていたはずです」
「はい。そう思います」
「今夜、アメリカの当局が動き始めています。佐久間さんと教授のそばに、警護をつける手続きも始まっています」
「はい。サクさんと教授は、今一緒にいます」
「それは良かったです」デイヴィッドは言った。「神崎さん、今夜は情報が入り次第、連絡します」
「はい。お願いします」
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それから、眠れない夜が続いた。
デイヴィッドから、散発的に情報が来た。
警察が捜索を始めた。
アメリカの当局が、独自に動き始めた。
深夜二時を過ぎた頃、サクから短いメッセージが来た。
「教授と、まだ起きています。連絡ありがとう」
「はい。何かあればすぐに連絡してください」
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翌朝、デイヴィッドから連絡が来た。
「神崎さん、エマさんが救出されました」
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「救出、ですか」
「はい。アメリカの諜報機関が動きました。エマさんは今朝早く、安全な場所に保護されています。けがはありません」
「はい。よかったです」
「教授と佐久間さんには、すでに連絡が入っているはずです」
「はい。確認します」
「神崎さん、一点だけ」デイヴィッドは言った。「今回の件で、アメリカが直接動いたという事実が残りました。コールが、この研究とその関係者を守る意志を持っているということが、行動として示されました」
「はい。記録として、持っておきます」
「そうしてください」デイヴィッドは言った。「ただ、これで終わりではないと思います。続きが来ます」
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サクに電話した。
「エマさんの救出、確認しましたか」
「はい。さっき、教授に連絡が来ました」サクは言った。声が、昨夜より落ち着いていた。「よかった。本当によかった」
「はい。よかったです」
「ハルトくん、昨夜はありがとう。デイヴィッドさんに連絡してくれて、情報を送ってくれて」
「はい。できることをしました」
「エマが無事で、よかった」サクは言った。少し間を置いた。「ただ、ハルトくん」
「はい」
「これって、終わりじゃないですよね」
「はい。終わりではないと思います」
「次が来る」
「はい。来ると思います」
「そっか」サクは言った。「わかりました。次に備えます」
「はい。備えてください」
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今日のことを頭の中に入れた。
エマの連絡途絶。デイヴィッドからの情報。眠れない夜。救出の連絡。「アメリカが直接動いた」という事実。デイヴィッドの「これで終わりではない」という言葉。サクの「次が来る、わかりました、備えます」という言葉。
全部、残った。
エマが無事だった。
ただ、世界は動き続けていた。
次が来る。
記録として、持っておく。
それだけだった。
窓の外に、三月の朝があった。
まだ、眠れていなかった。
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第百十七話 了




