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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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「部長の一日」

十二月になった。


七時三十分、白銀リアは部長室に入った。


コートを脱いだ。


デスクに座った。


窓の外に、冬の東京があった。


まだ暗かった。


---


メールを開いた。


昨夜から届いていたものが、十二件あった。


業界団体からの追加照会。各省庁との連絡事項。審査部内の案件報告。IMPOからの定期連絡。


一件ずつ確認した。


業界団体からの照会は、先月の回答への再質問だった。


内容を読んだ。


先月と、実質的に同じことを聞いていた。


表現を変えているだけだった。


リアは少し間を置いた。


粘り強い、と思った。


ただ、こちらも粘り強くやる。


それだけのことだった。


---


八時を過ぎた。


フロアに人が増えてきた。


部長室のガラス越しに、フロアが見えた。


神崎が来た。


コートを脱いで、デスクに座った。


すぐに画面を開いた。


いつもと同じだった。


リアはその姿を見た。


見てから、また自分のメールに戻った。


---


九時、部内会議があった。


第三審査室と第一審査室の主任が揃った。


神崎が入ってきた。


向かいに座った。


「おはようございます」


「おはようございます」リアは言った。「始めましょう」


---


案件の進捗を確認した。


今月の審査件数。係属中の案件の状況。補記の要求が出ている申請の数。


第一審査室の主任が報告した。


神崎が報告した。


「第三審査室は、今月十七件処理しました。係属中が四件、いずれも申請者からの補足待ちです。補記の要求は二件出しています」


「補記の内容は」


「一件は先行技術との差異の説明不足。もう一件は術式の効果範囲の記載が曖昧なものです。どちらも、申請者から来週中に回答が来る予定です」


「はい。引き続きお願いします」


---


第一審査室の主任が退室した。


神崎が立ち上がりかけた。


「神崎さん、少し待ってください」


「はい」


神崎が座り直した。


「業界団体から、追加の照会が来ています。今朝確認しました」


「はい」


「先月の回答への再質問です。内容は実質的に同じです。ただ、表現が変わっています」


「どう変わっていますか」


「先月は、術式の理解という観点からの質問でした。今回は、非適合者が審査業務に携わることで生じる責任の所在という観点からの質問です」


神崎は少し間を置いた。


「切り口を変えてきた、ということですか」


「はい。そう見ています」


「回答の方針は」


「先月と同じです。記録と事実で返します。ただ、今回は責任の所在という観点なので、MPBの審査責任の仕組みについての説明を加える必要があります」リアは言った。「神崎さんに、その部分の草案を書いてもらえますか」


「はい。今週中に出します」


「よろしくお願いします」


---


神崎が出た。


部長室が静かになった。


リアはデスクに戻った。


業界団体の照会を、もう一度読んだ。


責任の所在。


その言葉を、少し考えた。


記録に基づいた審査が正確である限り、責任の所在は明確だった。


ただ、それを証明し続けることが、これからも必要だった。


神崎がここにいる間は、記録で示せる。


ただ、神崎がいなくなった後も、同じことができる仕組みを作っておかなければならない。


それが、研修の目的でもあった。


---


十一時、桐谷長官から呼ばれた。


長官室に入った。


「白銀部長、座ってください」


向かい合って座った。


「業界団体の件、把握しています」桐谷長官は言った。「先月の回答の内容は、確認しました。よく対応できていたと思います」


「ありがとうございます」


「ただ、今後の方針について、確認したいことがあります」


「はい」


「業界団体の照会が続く場合、MPBとしてどこまで対応を続けますか」


「正式な照会である限り、正式に回答し続けます」リアは言った。「ただ、回答が同じ内容の繰り返しになる場合は、その旨を明示する方針を取ります」


「根拠は」


「制度的な議論は、記録として残すことに意味があります。ただ、同じ議論を繰り返すことには意味がない。その判断を、MPBとして明確にする必要があると思っています」


「わかりました」桐谷長官は言った。「研修制度の整備も、予定通り進めてください。あれは、議論への根拠として有効です」


「はい。来月から正式稼働の予定です」


---


長官室を出た。


廊下を歩いた。


フロアに戻った。


神崎がデスクで何かを書いていた。


草案を書き始めているのかもしれなかった。


リアはそれを見た。


見てから、部長室に入った。


---


昼になった。


岸本が部長室のドアをノックした。


「白銀部長、昼休みに少しいいですか」


「はい。どうぞ」


岸本が入ってきた。


「今日、神崎主任と鶴田くんが研修をやってるんですけど、少し見てもいいですか。邪魔しないようにします」


「研修を、ですか」


「はい」岸本は言った。「私も、いずれ研修を受けるんですよね。どんな感じかと思って」


「邪魔しなければ、問題ありません」リアは言った。「神崎さんに確認してから入ってください」


「はい。確認してみます」岸本は言った。少し間を置いた。「白銀部長」


「はい」


「部長になってから、大変ですか」


リアは少し間を置いた。


「どういう意味ですか」


「なんか、最近、部長室にいる時間が長くなった気がして。主任のときは、もう少しフロアにいましたよね」


「そうですね」リアは言った。「部長の仕事は、フロアより上の階層のことが多くなります」


「寂しくないですか」


リアは少し笑った。


「フロアはガラス越しに見えます」


「見てるんですか」


「見えます」リアは言った。「岸本さんが何をしているかも、わかります」


「それは、少し恥ずかしいですね」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「じゃあ、ちゃんと仕事します」


「はい。してください」


---


昼休みが終わった。


午後の業務が始まった。


リアは予算関連の書類を確認した。


来年度の審査部の予算申請だった。


研修制度の正式稼働に伴う費用を、追加で申請する必要があった。


計算した。


研修の頻度、対象人数、資料作成の工数。


数字を整理した。


書類にまとめた。


---


三時を過ぎた頃、フロアが少し騒がしくなった。


ガラス越しに見ると、鶴田が岸本に何か話しかけていた。


笑っていた。


研修が終わったらしかった。


鶴田の表情が、来たときと変わっていた。


何かを得て、戻ってきた顔だった。


---


四時、神崎が部長室に来た。


「草案ができました。確認をお願いします」


「はい。置いてください」


神崎が書類を置いた。


立ち去ろうとした。


「神崎さん」


「はい」


「研修、どうでしたか」


「はい。今日は、複合術式の優先請求項の判断を扱いました。鶴田さんが、最初は迷っていましたが、最後に自分で答えを出しました」


「自分で、ですか」


「はい。私が教えたのではなく、鶴田さんが考えて出しました。それが一番よかったと思っています」


「そうですか」リアは言った。「岸本さんも見ていたようですね」


「はい。後ろで静かに見ていました。邪魔はしませんでした」


「邪魔しなかったんですか」


「岸本さんらしくないと思いました。ただ、真剣に見ていました」


リアは少し笑った。


「岸本さんも、自分の番を想像していたのかもしれません」


「そうかもしれません」神崎は言った。「草案の確認、よろしくお願いします」


「はい。今夜中に見ます」


神崎が出た。


---


五時を過ぎた。


フロアが少しずつ静かになった。


リアは草案を読んだ。


審査責任の所在について、三段落にまとめられていた。


一段落目、MPBの審査体制の仕組みと責任の所在。


二段落目、非適合者が担当した審査の実績と、審査責任の明確性。


三段落目、審査の正確性は技術的な知識の蓄積であり、魔法適性の有無と審査責任は別の問題であるという結論。


読み終えた。


少し間を置いた。


感情的な言葉が、一切なかった。


全部、制度と記録と事実だった。


これが、神崎の書き方だった。


三年半、ずっとそうだった。


---


修正点を一箇所だけ入れた。


三段落目の結論の一文を、少し短くした。


長すぎると、読む人間が飽きる。


短い方が、残る。


神崎に学んだことだった。


---


六時になった。


フロアはほぼ空になっていた。


ガラス越しに見ると、神崎がまだいた。


申請書を確認していた。


岸本が荷物を持って、神崎のデスクに寄った。


何か話した。


神崎が頷いた。


岸本が手を振って出た。


神崎はまた画面に向かった。


---


リアは修正した草案を神崎に送った。


「修正を一箇所入れました。三段落目の最後の文を短くしています。内容は変えていません。確認してください」


すぐに返信が来た。


「確認しました。修正の意図、わかりました。短い方が残ります」


リアは少し間を置いた。


わかりました、で終わるのではなく、修正の意図を読んだことを返してくる。


それが、神崎らしかった。


「よろしくお願いします」と返した。


---


六時半になった。


リアはコートを着た。


部長室を出た。


フロアを横切った。


神崎が顔を上げた。


「お疲れ様でした」


「お疲れ様です」リアは言った。「今夜中に上げなくていいです。明日で問題ありません」


「はい。ありがとうございます」


「気をつけて帰ってください」


「はい」


---


エレベーターを待った。


今日のことを、少し頭の中で確認した。


業界団体の追加照会。長官との話。研修の様子。神崎の草案。


全部、記録として残った。


ガラス越しに見えるフロアのことを、岸本が「寂しくないですか」と聞いた。


寂しくない、と言った。


それは、本当のことだった。


ガラス越しでも、フロアは見えていた。


神崎が何をしているかも、鶴田が研修でどんな顔をしているかも、岸本がデスクで何をしているかも。


見えていた。


ただ、同じフロアにいたころと違うことが一つあった。


声をかけるタイミングが、自分で決められなくなった。


主任のころは、隣にいれば話せた。


今は、呼ぶか、呼ばれるか、どちらかだった。


それが、部長という仕事だった。


---


エレベーターが来た。


乗った。


一階に降りた。


ビルを出た。


冬の夜だった。


冷たかった。


歩き始めた。


---


第百七話 了

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