「議論」
九月になった。
主任として着任して、二ヶ月が経っていた。
業務は、安定してきていた。
鶴田の窓口対応が、月を追うごとに正確になっていた。
岸本は相変わらず、フロアの空気を保っていた。
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九月の第一週、月曜日だった。
朝、リアから呼ばれた。
審査部の部長室に入った。
「おはようございます」
「おはようございます」リアは言った。「座ってください」
向かい合って座った。
「神崎さんに確認したいことがあります」リアは言った。「先週、業界団体から、MPBに対して照会が届きました」
「はい」
「非適合者の魔法関連業務への参入規制について、制度的な検討を求める内容です」
「はい」
「照会の発信元は、魔法関連事業者連絡会議という団体です」リアは言った。「複数の魔法関連企業が加盟しています。今回の照会は、その団体からの正式な照会です。MPBとして、何らかの回答を出す必要があります」
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「照会の内容を、具体的に教えてもらえますか」
「非適合者が魔法特許の審査業務に携わることについて、術式の理解という観点から、制度的な適切性を検討してほしいというものです」
「術式の理解という観点から、ですか」
「はい。非適合者は術式を使えないため、術式の実質的な内容を理解できない。したがって、審査の正確性に疑問があるという主張です」
「その主張に対して、MPBはどう回答する予定ですか」
「まだ検討中です」リアは言った。「ただ、神崎さんに意見を聞きたかった。当事者として」
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ハルトは少し考えた。
「一点、確認させてください」
「はい」
「この照会は、制度の議論として正式に提起されたものですか」
「はい。正式な照会です」
「であれば、正式に回答する必要があります」ハルトは言った。「感情的な反論ではなく、記録を根拠にした回答が必要です」
「どういう記録を根拠にしますか」
「三つあります」ハルトは言った。「一つ目、この三年半の審査実績です。非適合者が担当した案件の正確性を、数値として示せます。誤審査の件数、補記の要求の精度、申請者からの異議申し立ての件数。全部、記録として残っています」
「はい」
「二つ目、術式の理解と術式の使用は、別のことだという根拠です。術式を使えることと、術式の記録として正確性を確認できることは、異なるスキルです。審査で求められるのは、記録としての正確性の確認です」
「三つ目は」
「非適合者が主任として業務を行っている現在の状況そのものが、制度的な適切性の根拠になります」ハルトは言った。「私がここにいることが、記録として残っています」
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「神崎さん、今の三点を、文書としてまとめてもらえますか」
「はい。今週中に出せます」
「わかりました」リアは言った。「MPBとしての回答の根拠として使います」
「はい」
「神崎さん、一点だけ聞かせてください」リアは言った。
「はい」
「今の照会について、どう思いますか。当事者として」
ハルトは少し考えた。
「制度の議論として出てきたことは、予想していました」ハルトは言った。「ただ、予想していたということは、準備できているということでもあります。記録は、全部残っています。三年半分の実績が、全部あります。制度の議論に対して、記録で返すことができます」
「記録で返す、ですか」リアは言った。少し間を置いた。「神崎さんらしいです」
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その日の午後、文書の作成を始めた。
三点の根拠を、具体的な数値と記録に基づいて整理した。
一点目の審査実績から始めた。
この三年半で担当した案件の数。補記を求めた件数と、その後の申請者の対応。異議申し立てがあった件数と、その結果。全部、システムに記録されていた。数値を確認しながら、文書にまとめた。
二点目の「術式の理解と使用の違い」については、魔法庁での出向経験を根拠に加えた。術式を使えない立場から、記録として術式を正確に把握できることを、具体的な事例として示した。IMPO出向中の実績も加えた。国際的な場でも非適合者が術式記録の照合業務を行ったという事実を、根拠として厚みを持たせた。
三点目は、短くまとめた。
非適合者が主任として業務を行っているという事実。それが現在の記録として存在している。それだけを書いた。
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夕方、文書が完成した。
リアに送った。
しばらくして、返信が来た。
「確認しました。これで問題ありません。感情的な言葉が一切ない。全部、記録と数値と事実だけで構成されている。これが、最も強い回答だと思います」
「ありがとうございます」
「神崎さんがここにいるから、この文書が書けました」リアは言った。「当事者が、最も説得力のある書き手です」
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翌週の水曜日、リアが団体への回答を送付した。
その夜、リアからメッセージが来た。
「団体から返信が来ました。引き続き制度的な検討を求める立場は変わらないとのことでした」
「はい」
「予想通りです」リアは言った。「一度の回答で終わる話ではありません。ただ、MPBとして正式に回答を出した記録が残りました」
「はい。記録として残りました」
「神崎さん、この議論はしばらく続くと思います。別の角度からまた来る可能性があります」
「はい。準備しています」
「どんな準備ですか」
「記録を積み上げることです」ハルトは言った。「毎日の業務の精度を上げることが、最も確かな準備です」
「そうですね」リアは言った。「それから、非適合者の審査員の研修制度を、正式に整備することを検討しています。神崎さんに、その研修プログラムの設計を手伝ってほしいと思っています」
「はい。やります」
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翌日の朝、鶴田が来た。
「神崎主任、業界団体からの照会の件、回答を出したと聞きました」
「はい」
「内容を、少し教えてもらえますか」
「記録と数値と事実だけで構成した文書を、回答として出しました。三年半の審査実績、術式の理解と使用の違い、現在の状況の三点です」
「神崎主任が書いたんですか」
「はい」
鶴田は少し間を置いた。
「神崎主任、一つだけ言っていいですか」
「はい」
「悔しいです、正直に言うと。ちゃんと仕事をしているのに、制度的に疑問を持たれるというのは、悔しい」
「はい」
「ただ、神崎主任が記録で対応したという話を聞いて、少し落ち着きました」鶴田は言った。「神崎主任が記録で対応しているなら、私は仕事の質で示すことを続ければいいと思えました」
「はい。そう思います」
「神崎主任が言っていた言葉を、また思い出しました」鶴田は言った。「記録になる方を選ぶ、ということです」
「はい」
「続けます」
「はい。続けてください」
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その夜、サクに電話した。
「業界団体から、非適合者の参入規制についての照会がMPBに届きました。先週、回答を出しました」
「それって、ハルトくんたちの仕事を制限しようとしているということ?」
「制度的な検討を求める形での照会です」
「ハルトくん、大丈夫?」
「はい。記録で対応できます」
「論文が出たら、また何かあるかな」
「可能性はあります」ハルトは言った。「ただ、出たときに対応できる準備をしています」
「どんな準備?」
「記録です。MPBとしての審査実績、私自身の実験データ、サクさんの申請記録。全部、正確に残っています」
「ハルトくんがそう言うなら、大丈夫だね」サクは言った。「私は研究を続けます。ハルトくんは記録を守る。それだけだよね、今できることは」
「はい。それだけです」
「それだけで、十分だと思う」サクは言った。「論文の修正、今週で終わります。来週、再提出する予定です」
「そうですか」
「ハルトくんが記録を守っている間に、私も記録を出します」サクは言った。「一緒に、同じ方向に向かって」
「はい」
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電話が切れた。
今日のことを頭の中に入れた。
業界団体からの照会。文書の作成。記録と数値と事実だけで構成した回答。鶴田の「続けます」という言葉。サクの「同じ方向に向かって」という言葉。
全部、残った。
制度の議論が始まった。
ただ、記録は積み上がっていた。
それが、今日の回答の根拠になった。
これからも、積み上げ続ける。
それだけだった。
窓の外に、九月の夜があった。
寝た。
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第百二話 了




