メサイアコンプレックスの彼―4
男性視点4話
榛子の態度が、ずいぶんと軟化したように思う。
勢いに任せて、千莉のことを喋ってしまったのは、迂闊だったかと思った。妹に重ねていたことに気づいているのかいないのか、だが彼女は共感を示した。まさか食事まで作ってくれるとは思わなかった。
僕のそばで、「おいしい」と表情を緩ませながら同じものを食べている榛子が、無性に愛おしく思えた。ここまで穏やかな表情を、初めて見たような気がする。
心の向くままにキスをしてしまいそうになったところで、自分が熱を出していたことを思い出した。寸でのところでやめてしまったが、榛子は怒らなかった。少し寂しそうに俯いただけだった。
――妹さんの痕跡、残しておきたいんじゃないの?
彼女の意外な側面に安心して、僕はすっかり油断した。
「榛子、今日、優しいね。いつもそうだといいな」
そう口を滑らせて、一拍置いてから、彼女がぽろぽろと涙を零した。しまった、と思った。「それって、普段の私が優しくないってこと?」ということを怒るか悲しむかしたのかと思ったのだ。だが意外にも榛子は僕の心配をした。
何かを心底悲しんでいる様子で小さくなって泣いているが、今までとパターンが違うので彼女が一体何を悲しんでいるのかが読めなかった。
「どこにも行ってほしくなくて…」
「どこにも行かないよ。だから、きみも、どこにも行かないで」
彼女を励ましたい。そのためならば。
「部屋がないから…狭いかもしれないけど、僕の部屋で寝るかい?」
言葉だけは、本気だった。もちろん熱に当てられているので、できないだろう。だけど彼女がどんな反応をするのか見てみたくなった。
彼女は細かくまばたきをしながら、固まった。いいとも嫌だとも言わなかった。急すぎて、迷っているのだろう。困らせるのは得策ではないので僕は引いた。
だがよく考えたらこれは彼女がよくやっていた試し行為のようなものではないか。はっきり嫌だと示されなかったので僕は安心しているじゃないか。なんだか可笑しくなって目元を腕で隠した。
誤魔化しがてら、タクシー代を渡さないと…と話を続けたが、彼女はそんなことを気にする様子もなく、キッチンの後片付けまでちゃんとしてから帰った。
ひとりになった部屋で、ふっと吐息を落とす。
たとえば、立場が逆だったとして。DV男は、女性の心を引き付けるために、たまに優しい顔を見せるのだという。
榛子はどうなんだろうか。今日の姿は、一時的な「優しい顔」だろうか。それは、この先も見てみないとわからない。
どこにも行かないよ。だから、きみも、どこにも行かないで。――古びたソファの上で、それを永劫約束できることを、願っていた。




