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最終話 獣の終わり

 眩い光が収まった時、世界には耳が痛くなるほどの静寂が訪れていた。

 空を覆っていた影の雲は霧散し、水平線の向こうから、十五年という長い夜を終わらせる本物の朝焼けが差し込み始めている。


「……あ、……ぁ」

 駆は、丘の泥の上に倒れ伏していた。

 右腕を蝕んでいた黒い泥は消え、そこには傷だらけではあるが、確かな温もりを持った「人間の腕」が戻っている。アレキサンドライトの原石は砕け散り、その役割を終えていた。

 

 だが、その傍らに横たわる陽葵の姿は、あまりにも対照的だった。

「……ひな、……り……?」

 駆は震える手で、彼女の身体を抱き寄せた。

 駆の命を注ぎ込まれたことで、陽葵の瞳には理性が戻っている。しかし、魂まで獣に食い尽くされていた彼女にとって、その浄化は「存在の消滅」を意味していた。


「あ……お兄、ちゃん……。よかった。……戻れたんだね」

 陽葵の声は、風にさらわれるほど脆い。

 彼女の白い指先が、パラパラと黒い灰になって崩れ、朝風に溶けていく。

「待て、……待ってくれ! どうして、どうして消えるんだ! 陽葵!!」

 駆は必死に彼女の身体をかき抱いた。崩れゆく灰を繋ぎ止めようと、汚れた手のひらで彼女を覆う。だが、一度始まった風化は止まらない。


「……ごめんね。いっぱい、酷いことして。……でも、私の心が最後に『人間』になれたのは、お兄ちゃんのおかげだよ。お兄ちゃんを好きだったのは……本当だったよ」

 灰に変わっていく彼女の顔に、無垢な微笑みが浮かぶ。

「ありがとう、大好きだよ。……お兄ちゃん」

 抱きしめていた重みが、不意に消えた。



 駆の両手の間を、一陣の風が吹き抜けていく。


「…………ぁ」

 駆は、空を掴んだまま固まった。

 指の隙間からこぼれ落ちたのは、愛した妹の残骸でも、憎んだ女王の欠片でもない。ただの、冷たい朝の空気だった。


「う……あ……、あああああああッ!!」

 次の瞬間、駆の口から獣じみた叫びが漏れた。

 膝をつき、泥に顔を伏せ、彼は子供のように泣きじゃくった。

 鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにし、嗚咽のあまり過呼吸になりながら、何度も、何度も地面を叩く。


「人間に戻りたかったんじゃない! 俺は、お前と一緒にいたかったんだ! 陽葵! 陽葵!!」


 叫んでも、誰も答えない。

 世界を救った英雄の姿などそこにはなかった。ただ、一人の少女を失い、取り残された、みっともないほど無力な男が一人。

 朝焼けに照らされた丘の上で、駆はいつまでも、いつまでも、失ったものの大きさに絶望しながら、醜く泣き続けていた。


※エピローグに続きます

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