第47話 兄妹影対影
月の光が、銀色の刃のように丘を切り裂いている。
かつて幼い二人が追いかけっこをしたその場所は、今や巨大な黒い結晶が地表を突き破り、異界の城塞へと変貌していた。
「やっと来た。……遅かったね、お兄ちゃん」
結晶の頂。影の女王として君臨する陽葵が、虚空に座して駆を迎え入れた。
彼女が纏う影は、夜の闇そのものをドレスに織り込んだように美しく、そして残酷だ。
対する駆は、もはや死人のようだった。
右腕は肥大化し、肘から先は完全に「泥」へと溶けて地面を汚している。首に巻いた安物のマフラーだけが、モノクロームの戦場で唯一の「色」として揺れていた。
「……陽葵。全部、終わらせに来た」
「ふふ、いいよ。でも、終わるのはお兄ちゃんの方。……全部、私にちょうだい」
陽葵が指先を鳴らす。
刹那、彼女の影から数千の「腕」が伸び、駆を八つ裂きにせんと襲いかかった。
駆は回避しなかった。
右腕の泥を爆発的に膨張させ、巨大な盾としてそれを受け止める。轟音と共に、丘の斜面が抉り取られた。
「あはは! そう、それでこそ私の『お兄ちゃん』だ!!」
陽葵が歓喜に叫ぶ。
彼女の操る影は、変幻自在の「針」となり、駆の四肢を貫いていく。一方の駆は、自分の記憶を代償に、かつてない出力の闇を放った。
影と影がぶつかり合うたび、周囲の現実が剥がれ落ちていく。
ある時は「幼い頃の夕焼け」が幻影として走り、ある時は「初めて二人で食べたアイスの味」がノイズのように脳裏をよぎる。
だが、その思い出が火花を散らすたび、駆の瞳からは光が一つ、また一つと消えていった。
「どうしたの? 技が鈍ってるよ。……あ、そっか。もう私の『名前』さえ、半分くらい忘れてるんだっけ?」
陽葵は軽やかに宙を舞い、駆の喉元に影の刃を突き立てる。
駆は鮮血を撒き散らしながらも、残った左手で陽葵の細い首を掴もうとした。
殺意。
だが、その指先が彼女に触れる瞬間、駆の脳裏に「記憶にないはずの、愛おしげに自分を見つめる陽葵の顔」がフラッシュバックする。
それは彼女が仕掛けた幻惑か、あるいは奪い合うことでしか繋がれない二人の「本能」か。
「……が、ああああああッ!!」
駆は絶叫し、右腕の泥を槍へと変え、陽葵の胸を貫かんと突き出した。
陽葵もまた、顔一面に歪な笑みを浮かべ、最大出力の闇を凝縮させる。
月の見える丘で、兄妹たちの影が、巨大な渦となって夜を飲み込んでいった。




