第27話 満身創痍
静寂が、廃ビルの最上階を支配していた。
つい数分前までそこにあったはずの、獣魔たちの叫びも、コンクリートを砕く轟音も、すべては漆黒の底へと沈み、消えた。
瓦礫の山の中央で、それは蹲っていた。
――黒き獣。
もはや駆の面影はどこにもない。
人の肌は影の粘液に浸食され、関節はありえない方向にねじ曲がり、背中からは折れた骨のような突起が幾本も突き出している。
変身を解こうとしても、脳がその「方法」を忘却していた。影が肉体と癒着し、剥がれようとするたびに神経を直接焼き切るような激痛が走る。
(……あ、……が……)
呼吸のたびに、肺腑からどす黒い泥が溢れ出す。
駆の意識は、底なしの深い泥沼を漂っているようだった。
自分が誰を助け、何を殺したのか。
脳を浸食する影の王が、駆の残された「人間としての思考」をガリガリと貪り食っていく。
痛い。
全身の細胞が、自分ではない何かに書き換えられていく恐怖。
ふと、視界の端に、白いものが映った。
繭から解き放たれた陽葵。
彼女は、血の一滴も流れていない「虚無の空間」に立ち、静かにこちらを見つめている。
(……ひ……ま……)
名前を呼ぼうとした口からは、獣の濁った呻きしか出ない。
駆の脳内から、また一つ、記憶のピースが剥がれ落ちた。
【自分がこの少女をどう呼んでいたか】
「妹」という概念は残っている。守らなければならないという本能も。
だが、その名前を形作る音の連なりが、どうしても思い出せない。
駆は、獣の爪を立てて床を掻きむしった。
傷口からは血ではなく、ドロリとした影の粒子が漏れ出し、周囲の瓦礫を音もなく腐食させていく。
満身創痍の怪物は、光の届かない廃ビルの中心で、ただ激しい拒絶反応に身を震わせ、吐血を繰り返すことしかできなかった。
救助に来るはずの学園の足音は、まだ遠い。
その沈黙の中、陽葵がゆっくりと、一歩、また一歩と「怪物」へと歩み寄る。
その足取りに、恐怖の色は微塵もなかった。




