第26話 蹂躙の影
最上階の扉を蹴破った瞬間、駆の視界に飛び込んできたのは、無数の糸に吊るされ、繭のようになった陽葵の姿だった。
それを取り囲むように、数条の触手を蠢かせる高位獣魔たちが、獲物を前にした獣のごとき下卑た笑みを浮かべている。
「……遅かったな、苗床。この娘の魂は、今まさに我らの一部と――」
「五月蝿い」
駆の言葉は、もはや人の声ではなかった。
低く、地響きのような振動を伴う、剥き出しの殺意。
次の瞬間、駆の輪郭が「爆発」した。
右腕だけではない。背中から、足元から、眼窩から。ドロリとした粘液状の影が溢れ出し、廃ビルの天井を突き破り、壁を食い破り、階層そのものを漆黒の闇で塗りつぶしていく。
それは変身と呼ぶにはあまりに無秩序で、巨大な「黒い孔」がこの世界に開いたかのようだった。
「な、なんだ……この魔圧は……!? まさか、お前が……『王』そのものだと――」
獣魔が悲鳴を上げる暇さえ、駆は与えなかった。
駆だったモノから伸びた数千、数万の「影の指」が、空間を物理的に掴み、引き裂く。
――蹂躙。
それは戦闘ですらなかった。
駆の影が触れた場所から、獣魔の肉体が、叫びが、存在そのものが「消しゴムで消された」かのように、何の痕跡も残さず消滅していく。
血の一滴さえ流れない。ただ、そこにあったはずの「生」が、宇宙の深淵に似た黒に呑み込まれ、無へ帰っていく。
廃ビルの最上階は、一瞬にして空っぽの「虚無」と化した。
残されたのは、崩壊を免れた陽葵の繭と、その前に立つ、高さ数メートルに及ぶ【形を成さない黒き獣】。
駆は、自分が何を倒したのか、自分が今どんな姿をしているのか、もう認識できていない。
ただ、繭の中にいる少女を「外敵から守る」という本能だけが、脈打つ影を動かしていた。
脳内からは、最後の「楔」が外れ落ちようとしていた。
【自分が人間である】という、最大の嘘。
「……ひ、ま……り……」
ひび割れた声で名前を呼ぶ。
その瞬間、陽葵を包んでいた繭が、内側から静かに解けた。
真っ白なワンピースのまま、汚れ一つなく現れた陽葵は、目の前の「怪物」を見て、恐怖に震えるどころか――まるで愛おしいペットを見守るような、底知れない微笑を浮かべた。
「……うん。かっこいいよ、お兄ちゃん」
陽葵の賛辞。
それは、駆が二度と「人間」に戻れないことを祝う、残酷な福音のように響いた。




