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第25話 孤立無援

 陽葵が連れ去られた廃ビルの前。

 駆の元に届いたのは、学園からの無慈悲な通信だった。


『――黎明、動くな。現場周辺は現在、広域結界の展開準備中だ。獣魔の反応が強すぎる。救援部隊の到着まで、最短で三十分。……いいか、絶対に単独で突入するな』

 通信機から聞こえる教官の声。それは、駆にとってはただの「雑音」でしかなかった。


 三十分。

 その間に、陽葵の温もりが、あの獣魔たちの手でどれほど汚され、損なわれるか。想像しただけで、脳の奥で「影の王」が歓喜の咆哮を上げる。


「……三十分も、俺の記憶が保つわけないだろ」

 駆は通信機を地面に叩きつけ、踵で粉々に踏みつぶした。

 

 九条さんとの約束。父の遺言。「人間」でいろという呪縛。

 それら全てを、今、意識のゴミ捨て場へと放り込む。


 駆は廃ビルの入り口へと歩みを進めた。一歩進むたびに、彼の右足からアスファルトを溶かすような漆黒の影が染み出していく。


「止まれッ! 聖痕学園の包囲網を無視する気か!」

 駆けつけた下級騎士たちが、駆に武器を向ける。彼らにとって、今の駆は「救助対象の落ちこぼれ」ではなく、すでに「排除すべき不審な魔力体」に見えていた。


「……邪魔だ。消えろ」

 駆が指先を軽く振るった瞬間、目に見えぬ「影の刃」が騎士たちの武器をバターのように切り裂いた。

 驚愕に目を見開く彼らを一瞥もせず、駆はビルの闇の中へと足を踏み入れる。

 

 ビル内は、死の静寂と、鼻を突く獣の腐臭に満ちていた。

 壁一面には、陽葵を捕らえた糸と同じ、粘着質な「神経」のようなものが張り巡らされている。

 

 駆が階段を上るたび、彼の記憶から、また一つ、どうでもいい風景が消えていく。

 昨日食べたパンの味。

 去年の夏休みに見た海の色。

 ……そして、【九条さんの顔】。

 

 大家さんの優しい笑顔が、脳内で水に溶けた絵画のように崩れて消える。

 

「……ああ。もう、何もいらないな」

 駆の瞳は、すでに感情を映さないガラス玉のようになっていた。

 誰にも頼らず、誰にも知られず。

 化け物になってでも、妹を、あの子を取り戻す。

 

 最上階から聞こえてくる、陽葵の微かな――けれど、どこか「誘うような」鼻歌。


 駆は、自分が「人間」としての最後の一線を越えたことを確信しながら、暗い廊下の先へと、影を従えて消えていった。


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