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第16話 焔の執着

 学園祭の喧騒が遠ざかり、黎明家のリビングには、カレーの香ばしい匂いと、陽葵の屈託のない笑い声が満ちていた。


「ちょっと、お兄ちゃん! 正気!? まさか段ボールの『木』役で使ってた全身茶色のタイツ姿のまま、帰ってくるなんて……あははは! お腹痛い!」


 陽葵はダイニングチェアをガタガタと揺らし、涙を浮かべて爆笑している。

 先ほど路地裏で見せた、あの冷徹な「怪物」の面影は微塵もない。


「ちょ……笑いすぎだ。力んだ弾みで制服のズボンが破けてしまったんだから仕方ないだろ」


 駆は照れ隠しにスプーンを口に運んだ。

 陽葵が話しているのは、劇の最中に駆の足がもつれてバランスを崩し、ズボンが股から綺麗に破けたというマヌケなエピソードだ。


「やっぱりお兄ちゃんは最高だよ!」


 陽葵はそう言って、とびきり愛おしそうに駆の顔を覗き込んだ。

 その瞳には、嘘偽りのない「兄への愛情」だけが宿っているように見える。


(……俺は、何を疑っていたんだ)


 駆は、自分の胸の奥に澱んでいた違和感を、強引に飲み下した。

 あの瞬間の影の形も、鏡の中の笑みも、聞こえるはずのない鼻歌も。

 全ては影の力を使いすぎた自分が見た、最悪の幻覚に違いない。


 陽葵がこんなにも笑っている。

 自分が守るべき、たった一人の、大切な、普通の妹だ。


「……陽葵。ごめんな、今日は待たせて」


「もう、いいってば。こうしてお家で一緒にカレー食べてるんだから、プラマイゼロだよ」


 陽葵はスプーンを咥えて、いたずらっぽく笑った。

 その無邪気な笑顔を見つめながら、駆は心の底から誓った。

 この光景を、この笑顔を、俺が死んでも守り抜く。たとえ、自分が「影の王」として影に喰われる日が来ようとも。



 同じ頃。

 後夜祭のキャンプファイヤーが赤々と燃える学園の広場。

 その喧騒から離れた時計台の影で、ほむらは一人、漆黒の夜空を仰いでいた。


 彼の脳裏に焼き付いているのは、体育館で一瞬だけ感じた、あの圧倒的な「闇」の奔流だ。

 聖痕祭を襲った知性体を、音もなく、影の中へと引きずり込んだ異質の存在。


「……『黒き獣』」


 焔の指先が、武器の柄を強く握りしめる。

 学園の劣等生として蔑まれている黎明駆。だが、彼が戦場から戻るたびに纏う、あの微かな「死と忘却」の匂い。

 そして、領域が解けた瞬間の、彼のあまりにも不自然な立ち振る舞い。


「……偶然にしては、出来すぎている」


 焔の瞳に、獲物を追う猟犬のような鋭い光が宿る。

 もし、黎明駆がその正体なのだとしたら。

 彼は英雄なのか、それとも、世界を食い尽くす災厄の種なのか。


「……黎明。……お前は、一体何を隠してる?」


 焔は、彼が「木」の役を演じていたはずのステージの跡を、冷徹な視線で見つめた。

 執着に近い疑念。

 それは、平穏を装った黎明家の食卓へ、音もなく忍び寄る「亀裂」の始まりだった。


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