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第15話 すれ違う心

「……陽葵」


 駆は、喉元まで出かかったその「違和感」の正体を突き止めようと、一歩踏み出した。

 夕陽に溶ける彼女の影。その揺らぎが、自分の知る妹のものとは決定的に違う。確認しなければならない。今、目の前にいるのが、本当に自分の守るべき半身なのかを。


 だが、駆が駆け寄ろうとした、その刹那だった。


 瞬き、一つ。

 視界が、物理的な距離を無視して「跳んだ」。


「――っ!?」


 数メートル先にいたはずの陽葵が、次の瞬間には、駆の鼻先数センチに立っていた。

 風を切る音すらしない。まるで、世界から彼女が移動するための「時間」だけが切り取られたかのような、異常な速度。


 陽葵は、とびきり柔らかな、慈愛に満ちた笑顔のまま、白く細い指で駆の唇を優しく塞いだ。


「しーっ。……あんまり大きな声を出したら、せっかくの『いい雰囲気』が台無しだよ? お兄ちゃん」


 陽葵の指先は、驚くほど冷たかった。

 駆は声も出せず、ただ見開いた目で彼女を見つめることしかできない。


「ねえ、お兄ちゃん。……どうして、あんなに遅かったの? 私、ずーっと、ずーっと……あの『場所』で待ってたんだよ?」


 陽葵は、小首を傾げながら理由を問う。その瞳は、昼間のように潤んでいるが、どこか深い淵のように光を吸い込んで離さない。


「あ、謝らなくていいよ。……お兄ちゃんが、私のために一生懸命『何か』をしてくれてたのは、ちゃーんと分かってるから」


 陽葵の指が、駆の唇をなぞり、そのまま彼の肩にある「傷」のあたりで止まった。


「……ごめん、陽葵。……どうしても、外せない用事があって。……でも、その内容は……」


「言えないんだよね? ……うん、いいよ。お兄ちゃんは、嘘が下手だもんね」


 陽葵はクスクスと、鈴を転がすような声で笑った。

 その笑顔は、いつもの「清楚な妹」そのものだ。だが、駆の脳裏には、あの停止した世界で見た「ほくそ笑み」が重なり、吐き気がするほどの拒絶反応が止まらない。


 陽葵は満足そうに頷くと、「じゃあ、先にお家に戻って、夕飯の準備してるね!」と、弾むような足取りで人混みの中へ消えていった。



 後夜祭のキャンプファイヤーの煙が、校舎の影を黒く塗りつぶす頃。

 誰もいない、薄暗い校舎裏の路地。


 そこには、駆の前で見せた「可愛らしい妹」の面影を一切捨て去った、一人の少女が立っていた。


 陽葵は、壁にもたれかかることもなく、ただ闇の中で直立している。

 その瞳は駆に向けられていた時とは違い、まるで見えない「羽虫」か何かを見下ろすような、圧倒的な蔑みに満ちていた。


「…………ふふ。……あんなに必死になって。……滑稽だね」


 陽葵の口から漏れたのは、駆との会話では決して使われない、低く、冷徹なトーンだった。

 彼女は、空に向かって独り言を呟き始める。それはまるで、格下の誰かと話しているか、あるいは愚かなチェスの駒を嘲笑っているかのような響きだ。


「……あいつ、自分が『影の王』だなんて言って。……私のために戦ってるつもりなのかな。……死ぬほど笑える。……私が『生かしてあげてる』だけなのに」


 陽葵は、自分の白い手をじっと見つめ、ゆっくりと握りしめた。


「……もうすぐ、全部壊れるよ。……あいつの記憶も、このバカげた学園も。……楽しみだね。……ねえ? 『キミ』も、そう思うでしょ?」


 陽葵は、誰もいない闇の向こう側に向かって、狂気に満ちた、けれどこの上なく美しい微笑みを向けた。


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