第14話 約束の破片
モノクロームの世界が、ガラスが砕けるような音と共に崩壊した。
一気に流れ込んでくる、体育館の熱気と喧騒。主役級の生徒たちが放つ派手な魔法の残光。
駆は舞台の隅で、脱ぎ捨てた段ボールの「木」の横に膝をついていた。
右手からは影の鎧が霧のように消え、残ったのは激しい動悸と、右肩に刻まれた生々しい裂傷の痛みだけだ。
(……倒した。……はずだ)
知性体の気配は完全に消え失せている。
客席は何事もなかったかのように劇のクライマックスに沸き、拍手喝采が巻き起こっていた。
「黎明、何してんだ! 幕が降りるぞ、早く片付けろ!」
クラスメイトの怒声が飛ぶ。駆はふらつきながら立ち上がり、最前列を見た。
そこには、もう陽葵の姿はなかった。
空席。彼女が振っていたはずの「最高の木」のうちわだけが、寂しく椅子の上に残されている。
「……陽葵?」
胸の奥が、冷たい氷を飲み込んだようにザワついた。
駆は必死に記憶の糸を辿る。劇が終わったら、どこで陽葵と待ち合わせる約束をしていたか。
*
放課後。学園祭の夕暮れ時。
どこか、二人にとって特別な場所で、一緒に模擬店を回ろうと言ったはずだ。
だが、その「場所」の名称が、影の力を使った代償として、泥のように溶けて思い出せない。
(どこだ……? 噴水前か? 屋上か? それとも……裏庭か?)
思考が空回りする。
九条さんの警告が、耳鳴りのように響く。
――「次に忘れるのが陽葵に関することだったら、終わりだ」
駆は制服の上着を羽織り、肩の傷を隠しながら、夕闇に染まり始めた校内を走り回った。
オレンジ色の空に、後夜祭のキャンプファイヤーの煙が昇っている。
楽しげな笑い声が、今の駆には死者たちの囁きのように聞こえた。
(思い出せ……。陽葵が楽しみにしてた、あの場所……)
駆は焦燥感に駆られながら、校舎の連絡通路を駆け抜けた。
そして。
人混みが途切れた夕暮れの渡り廊下で、駆は「その背中」を見つけた。
夕陽を浴びて、メイド服のフリルを揺らしながら歩く、細い少女のシルエット。
間違いない。陽葵だ。
「……陽葵! 悪かった、遅くなって……!」
駆は安堵と共に声をかけ、駆け寄ろうとした。
だが、あと数歩というところで、駆の足が、まるで見えない糸に引かれたかのように止まった。
陽葵はまだ、こちらに気づいていないらしい。
彼女はゆっくりとした足取りで、夕陽に照らされた通路を歩いている。
「…………あれ?」
駆の口から、無意識にそんな声が漏れた。
見慣れた、ずっと守ってきたはずの妹の後ろ姿。
服装も、髪型も、背丈も、全部。
なのに。
夕陽に照らされた彼女の「影」の形。
あるいは、彼女が纏う、微かな、けれど決定的な「何か」。
そこには、言語化できない、パズルのピースが一つだけ違うような、奇妙な『違和感』が、静かに漂っていた。
(なんだ……? 何かが、おかしい。……俺の知っている陽葵は、あんな風に……)
駆の胸の奥で、知性体との闘いのときに聞いた陽葵
「鼻歌」が、再び蘇った気がした。
陽葵が、ピタリと足を止めた。
そして、ゆっくりと、首だけをこちらへ向けていく。
「……あ、お兄ちゃん。……やっと、見つけた」
陽葵は、とびきり清らかな笑顔でそう言った。
だが駆は、その笑顔を見ても、胸の奥の「違和感」を消し去ることができず、ただ立ち尽くした。




