第13話 沈黙の死闘
モノクロームの世界。
体育館という日常の象徴は、今や「影の王の庭」という名の、音の一切を吸い込む巨大な胃袋へと変貌していた。
駆の視界の端。
アルミの盾に映った陽葵の笑み――。
それは、網膜に焼き付いた残像のように、駆の思考を侵食し続けていた。
(……動くはずがない。俺の領域では、陽葵の時間は止まっているはずだ)
自分に言い聞かせるが、右手の影がわずかに波打つ。
その隙を、知性体は見逃さなかった。
「……脆いな、黎明駆。……君の『愛』という名の防壁は、たった一つの疑念でこれほどまでに綻ぶのか」
知性体の背中から生えた数十本の触手が、槍のように駆を貫かんと殺到する。
駆は影の剣を振るい、それを切り裂いた。
キン、という高い音さえ響かない。ただ、触手の断面から「墨のような闇」が飛び散り、重力を失ったように宙を漂う。
駆は知性体の懐へ飛び込み、その異形の胸部を影の剣で突き立てた。
だが、手応えがない。
知性体の体は、触れようとした瞬間に液状化し、駆の背後へと回り込む。
「……絶望を味わえ。……君が守ろうとしているその妹は、本当に、君が知っている『陽葵』かな?」
知性体の声が、体育館の壁に反射せず、駆の脳内に直接響く。
駆は振り向きざまに影の奔流を放った。
「……うるせぇ! ……陽葵は陽葵だ。……俺が、守るんだ!」
駆の叫びが、音のない世界で虚しく霧散する。
彼は猛攻を仕掛けた。
舞台の小道具を影で武器に変え、椅子を弾丸に変えて撃ち放つ。
だが、知性体はまるで駆の動きを嘲笑うかのように、軽やかなステップでそれを回避し続けた。
死闘が続く中、駆の脳裏には、先ほどの鏡像が何度もフラッシュバックする。
あの、不気味なほくそ笑み。
もし、あれが「本物」だとしたら。
もし、陽葵がこの停止した時間の中で、兄が血を流して戦う姿を「娯楽」として楽しんでいたのだとしたら――この男に操られているのか……?
(……考えるな! ……今は、目の前の敵を殺すことだけを考えろ!)
駆は自分を叱咤した。
影の力が、彼の負の感情を糧に、さらにどす黒く、巨大に膨れ上がる。
駆の全身から噴き出した影が、体育館の床一面を埋め尽くし、無数の「影の腕」となって知性体の足を、腕を、胴体を捕らえた。
「…………っ!? この力は……!」
知性体が初めて、狼狽の声を漏らした。
影の腕は怪物の肉を食い破り、その核を求めて深部へと潜り込んでいく。
駆は一歩、また一歩と、囚われた怪物へと近づいた。
彼の背後。
最前列で固まっているはずの陽葵の姿は、影の奔流に飲み込まれ、今はもう見えない。
駆は影の剣を、両手で高く掲げた。
剣身はもはや光を通さない絶対的な「無」の塊となり、周囲の空間を歪ませている。
「……これで、終わりだ」
駆の瞳から、最後の一滴の光が消えた。
勝利を確信したその一撃が、動けない怪物の脳天へと振り下ろされた、その刹那。
背後の闇の中から。
聞こえるはずのない、「小さな、楽しげな鼻歌」が、駆の耳元をなぞった気がした。
「――っ!?」
(男は俺が今確かに倒したはず…… じゃあ何で? 陽葵は操られていた訳じゃないっていうのかよ)
駆の指先が、わずかに震えた。




