第四十一話 最初の引き継ぎ
浦和から八包みの紙を積んだ荷車が一台、蕨へ入ってきた。荷車の脇を歩いていた御者が細い道の入口で馬を止めると、清兵衛は懐の書付を出すより先に、中山道を振り返った。
「川口の車は昼過ぎだろ。まだ来ねえよ」
権蔵に言われ、清兵衛は苦笑した。分かってはいる。浦和の荷を預かり、川口の運び手へ渡す。何度も話し合い、ようやくその日を迎えたのだが、荷車の音を聞いた途端、胸の内が妙に騒がしくなった。
辰五郎は車の前へ回り、御者へ進む方向を手で示した。集めた人足は三人。荷の大きさと刻限を前もって聞き、ほかの仕事と重ならない者を選んでいる。
「右、もう少し寄せろ。そこは昨日の雨で柔らかくなってる」
「権蔵さん、あんまり大声出すと馬が驚くぜ」
「馬より先にお前が驚いてるじゃねえか」
口を返しながらも辰五郎は車輪から目を離さず、荷車は補修した道をゆっくり進んで納屋の前で止まった。朝から見守っていた柿の木の家の弟が、戸を開いて待っている。
清兵衛が書付を広げると、浦和の御者は荷台を指さした。
「紙の荷が八つ。印も書付どおりです。まず確かめてください」
つい数日前までは、これを本当に運べるかどうかも分からなかった。
*
弥平が蕨の納屋を見に来てから二日後、浦和の主人から連絡が届いていた。川口の商家へ送りたい紙があり、荷主も一度だけ運び手を替える方法を試してよいという。ただし、濡らさないこと、数を違えないこと、受け取った者を明らかにすること。この三つは譲れない条件だった。
「荷車一台で来るなら、何とかなりそうだ」
清兵衛は喜んだが、その日のうちに荷を出せとは返事をしなかった。柿の木の家には、別の荷が五台分入っている。しかも、納屋はあくまでその荷を預かるために借りたものだ。
幸い、五台分のうち一台分を引き取りたいという知らせが届いていた。翌日、荷主側の者が書付を持って現れ、敬之助と柿の木の家の弟が立ち会う前で、一台分の荷が運び出された。数も印も合っている。空の荷車が道を戻っていくと、弟は戸口に立ったまましばらく見送っていた。
「ちゃんと引き取りに来てもらえたんですね」
「そりゃ、約束だからな」
「分かってますよ。ただ、前に困ったことがあったもんですから」
弟はそこで言葉を切り、空いた床を見た。清兵衛もそれ以上は何も言わず、まず今の荷についての書付を片づけた。
その後、兄弟に新しい紙の荷の話をした。八包みだけを一度預かり、その日の暮れまでに運び出す。川口の車が来なければ、清兵衛の店の土間へ移す。使用料も別に払う。そう申し出ると、兄はすぐには答えず、弟へ目を向けた。
「お前はどう思う」
「……一度だけなら。ただ、また次もと言われたら困るよ」
「そいつは、はっきり書いてもらおう」
敬之助が条件を書き留め、兄弟が確かめた。新しい荷は今回限り。残った四台分には触れない。期限が来れば、当初の約束に従って納屋を空ける。荷が片づいたからといって、次から自由に使えるわけではない。
兄は書付を返しながら言った。
「商売をするなとは言いません。ただ、うちの納屋なんでね」
「承知してる。だから、こうして頼みに来たんだ」
清兵衛が頭を下げると、弟は母屋から敷物を持ってきた。先ほどまで荷のあった場所に広げれば、紙を地面へ置かずに済む。
「これくらいなら貸せますよ。汚されちゃ、こっちも困りますから」
そう言う弟の顔を見て、清兵衛は小さく礼を言った。
荷主、運び手、納屋の兄弟の了承がそろったところで、ようやく今日の日取りが決まったのだった。
*
「おい、そこへ直に置くなよ。敷物の上だ」
辰五郎の声に若い人足が足を止めた。包みは一つずつなら二人掛かりにするほどでもないが、紙を重ねて縄で締めてあるため、腕へずしりと重みが掛かる。角を石へぶつければ外側の紙が裂け、雨が染みれば中身も傷む。
先に降ろした包みを奥へ押し込もうとした男を、清兵衛が止めた。
「そっちは空けとけ。川口の車が来たら、また出すんだから」
今までの荷は長く置くため、奥から順に収めていた。だが今日は違う。納屋の戸口に近い方へ二列に並べ、縄の結び目と荷主の印が見える向きにした。辰五郎は一つ置かれるたびに隙間を確かめ、次を運び込む人足の足場を空けている。
敬之助が印を読み上げ、清兵衛と浦和の御者が数を合わせた。縄の締まり具合も確かめてから書付へ記すと、御者は肩の力を抜いた。
「これで、こっちは戻らせてもらいます」
「ああ。道が空いてるうちに出てくれ。ご苦労さん」
荷車が入口へ戻る間、辰五郎は人足を道へ出さずに待たせた。井戸へ水を汲みに行く女が通り掛かると、空の車が角を曲がるのを見届けてから道を空ける。女は荷車と人足たちを見比べたが、足を止めずに済んだ。
「今日は何だい、また荷が来たのかい」
「今度は夕方までに出すんです。道を塞いだら、遠慮なく言ってくださいよ」
「そうかい。なら、帰りも気をつけな」
女の声が遠ざかると、清兵衛は納屋の中を覗いた。八つの包みが整然と並んでいる。たったこれだけのために、何人もの人間が日取りを合わせて集まったのかと思うと、おかしくもあり、嬉しくもあった。
「清さん、そこで見てたって荷は動かねえぞ」
権蔵に言われ、清兵衛は書付を畳んだ。
「分かってる。次は川口の車を待つだけだ」
「それが一番、思いどおりにいかねえかもな」
軽口のつもりだったのだろうが、その言葉は昼を過ぎてから妙に重くなった。
*
約束した刻限を過ぎても、弥平は来なかった。
清兵衛が道の入口を見に出るたび、柿の木の家の弟も納屋から顔を出した。もう少し待てば来るだろうと思っていたが、日が傾くにつれ、そうも言っていられなくなる。新しい荷は今日の暮れまでに運び出す約束だった。
「清兵衛さん、どこまで待つんです?」
「もう少しだけ。でも、決めた刻限には必ず出す」
弟は頷いたものの、納屋の戸から離れなかった。
辰五郎の人足のうち一人は、夕方から別の仕事が入っている。残り二人まで待たせれば、その分の銭を払うことになる。清兵衛は辰五郎を呼び、人足には約束した分を渡して帰してやってくれと頼んだ。
「じゃあ、川口の車が来たら誰が積むんです?」
「俺もやる。あんたにも手を貸してもらいてえ。来なかったら、うちの土間へ運ぶ」
「土間までって、あの八つを? 清さんの店は今、物が多かったろう」
「俺の寝る場所を空けりゃいいさ。困るのは今夜の俺だけだ」
「そりゃ奥さんに怒られそうだな」
「だからお前も手伝えって言ってんだよ」
辰五郎は声を上げて笑ったが、すぐに若い衆へ声を掛けた。長引いた分の手間賃は別に計算し、残る者にも約束した銭を払うことにする。敬之助は持ち戻す荷の印と数を控え、柿の木の家の弟へ、夕方には必ず納屋を空けると伝え直した。
荷主からすれば、どちらへ運ばれても紙に変わりはない。だが、この家には、この家の暮らしがある。清兵衛が約束を守れるかどうかは、今日のうちに決まるのだった。
「そろそろ支度をするか」
清兵衛が敷物の端へ手を掛けた時、中山道の方から男の呼ぶ声がした。
「清兵衛さん! 川口の弥平だ!」
道の入口から駆け込んできた弥平は、額の汗を拭いながら深く頭を下げた。荷車の姿が見えないので、清兵衛は思わずその肩越しに道を探した。
「どうした、車は?」
「入口に止めてあります。先に謝りに来ました。予定を随分過ぎちまった」
途中で馬が歩幅を乱し、弥平が調べると蹄の裏へ小石が食い込んでいたという。石を取り除いてもすぐには出発せず、脚を休ませ、短い距離を歩かせて何度も様子を確かめていた。そのため、着くのが遅れたらしい。
「まだ痛がるのか?」
「今は普通に歩いてます。ただ、俺は無理に走らせるつもりはありません。積んでみて少しでもおかしけりゃ、途中で止めます」
「だったら今日はやめてもいいんだぜ。荷は俺が持ち戻る段取りにしてある」
弥平は清兵衛の顔を見た。
「そこまで決めてたんですかい」
「決めてなきゃ、ここの家に顔向けできねえからな」
その返事を聞いて、弥平は納屋の戸口に立つ弟を見た。遅れたのは自分である。清兵衛が約束を破らずに済むよう、別の手を用意していたのだ。
「……悪かった。けど、荷は俺が引き受けます。入口の平らなところで、もう一度馬を歩かせて見てもらっていいですかい。少しでもおかしけりゃ、ここでは積みません」
権蔵が先に入口へ向かった。弥平は御者へ合図し、馬をゆっくり数歩進めて止める。脚の運びを見ていた権蔵は、弥平の顔へ目を戻した。
「今は変な歩き方に見えねえな。ただ、痛むかどうかまでは俺にゃ分からねえぞ」
「そこは俺が責任を持ちます。少しでも嫌がれば止める」
清兵衛は敬之助とも相談し、荷の積み替えを始めることにした。今日のうちに川口へ着くとは約束せず、到着が遅れた場合の連絡と扱いは弥平が引き受ける。受け取りの証が届くまでは、清兵衛も仕事が済んだとは考えない。
*
川口の荷車が一台、納屋へ入ってきた。待っていた辰五郎たちが荷を運び出す間、弥平は荷台に敷いたものの位置を直し、包みの角が擦れそうなところへ当て物をした。
急げば暮れ前にもっと先まで進めるだろう。それでも、荷を積む手は雑にならなかった。紙の束は揺れに弱く、縄の締め方ひとつで角が潰れることもある。
「そっちは横へ寝かせてくれ。重い方を下だ。そう、いい具合だ」
辰五郎は渡された荷をそのまま押し込まず、隙間ができれば当て物を寄せた。清兵衛は納屋の中から次の包みを運び、敬之助が印を確かめる。最後の荷が載ると、三人で数を合わせ、外側に破れがないことも確かめた。
「八つ、確かに預かりました。川口で受け取ってもらったら、証を届けます」
「頼むよ。馬のこともな」
「ええ。今日は俺も歩いて行きます」
弥平は御者と並んで手綱を取り、荷車をゆっくり動かした。権蔵が道の入口まで先に行き、車輪が補修した場所を通るのを見届ける。しばらくして、荷車の音は中山道の往来に紛れていった。
納屋の戸口に立っていた弟が、そこでようやく息を吐いた。
「今日の分は、出してもらえたんですね」
「ああ。今夜はここへ残さねえ」
清兵衛は八包みを置いていた敷物を畳み、弟へ返した。残る四台分の荷は元の場所に収まったままだ。使用料と書付のことを確かめると、弟は母屋へ戻りかけて、少しだけ足を止めた。
「……次の話があっても、すぐに返事はしませんからね」
「分かってるよ」
「でも、今日みたいに先に話してくれるなら、兄にも聞いてみます」
それだけ言い残し、弟は家へ入っていった。清兵衛は閉じた戸を見て、しばらく黙っていた。
「清さん、どうしたんだい」
辰五郎に尋ねられ、清兵衛は肩をすくめた。
「いや。今日は、思ったより腹が減ったな」
「そりゃそうだ。昼飯もろくに食ってねえんじゃねえか」
「桜屋で何か食って帰るか。付き合うかい?」
「そいつはいいが、今日の人足の銭は忘れねえでくれよ」
「お前、食い物の話より先にそれか」
辰五郎が笑い、敬之助も帳面を閉じた。荷を川口へ渡したからといって、まだ商売が終わったわけではない。それでも、夕暮れの納屋に新しい荷を残さずに済んだことは、誰にとっても確かな成果だった。
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中山道では、弥平が荷車の脇を歩いていた。馬は一定の足取りを保ち、荷台の包みも今のところ動いていない。御者は何度か弥平を見たが、急ごうとは言わなかった。
「蕨の人たち、用意がよかったですね」
「そうだな。俺が来ねえ時のことまで決めてやがった」
「清兵衛さん、ずいぶん心配性なんですかね」
「いや、あれは心配性ってんじゃねえな。人に場所を借りてるってことが、ようやく身に染みたんだろうよ」
弥平は少し笑い、また馬の足元へ目を戻した。約束の刻限には遅れたが、ここから先は自分の仕事だ。川口で八包みを渡し、荷の状態を確かめてもらわなければ、今朝からの騒ぎは終わらない。
同じ頃、浦和の商家には別の客が来ていた。
「蕨で荷を預かる話があるって、本当かい」
「今日、初めて川口へ引き継ぐところですよ」
「岡田加兵衛のところか?」
「納屋は別の家だが、加兵衛さんも相談には入っておられます」
主人が答えると、客は何かを思い出したように茶碗を置いた。
「この前、役所へ出入りする知り合いからも、岡田家のことを聞かれたな」
「役所の人が、荷でも置きたいんですかね」
「さあな。ただ、納屋はどのくらい広いかって話より、誰が鍵を持つのか、夜は人がいるのかってことを気にしてたよ」
主人は返事をしかけたが、客はすでに持参した注文の書付を広げている。聞き返すほどのことでもないと思い、主人も商談へ戻った。
ただ、蕨の納屋を見に行った時、柿の木の家の弟が最後まで戸口を離れなかったことを、ふと思い出した。
荷を置ける場所が欲しい者と、荷を置かせたくない者。その間に立っていた清兵衛が、もし今の話を聞いたら、どんな顔をするだろう。
浦和の主人は書付へ目を落とした。川口から受け取りの知らせが届くのは、まだ先のことだった。
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物流用語の「八回し(はちまわし)」
・トラックの輸送や倉庫で、パレットの上に段ボールなどの荷物を効率よく、崩れないように積み上げる方法のことです。
• 積み方の特徴: 1つの段に「縦向き2個、横向き2個」を4つの角にそれぞれ配置し、1段に合計8個の荷物を円を描くように回しながら並べます。
• メリット: 上の段と下の段で向きを交互に変えて(逆回転にして)積み重ねることで、荷物同士がガッチリと噛み合い、運搬中に荷崩れしにくくなります。また、1段が必ず8個になるため、全体の数を数えやすくなります。




