第三十三話 最初の荷
浦和から返事が届いたのは、それから数日後のことだった。
荷車二台分の荷を、蕨で預かってもらえないか。
加兵衛が読み上げた時、勇吉は、もう来るのかと思った。空いている納屋の話をしたのが、ついこの間のような気がする。
「何を置くんだ?」
権蔵が尋ねると、加兵衛は書付を見直した。
「箱に収めた商いの荷だそうです。二箱は翌朝、残りはその次の日に引き取るとあります」
「泊まりは?」
「三人です」
宗助は指を折り、少し考えてから頷いた。
「その日なら、うちでいける。ただ、三人とも飯を食うんだろうな」
「そりゃ食うだろ」
勇吉が言うと、宗助は少し呆れた顔をした。
「そういう話じゃねえよ。着く時間によっちゃ、先に飯の支度を頼んでおかなきゃならねえだろ」
「ああ、そういうことか」
「お前、腹が減ってから考える方だもんな」
「腹が減ってねえ時に飯のこと考えてどうすんだよ」
権蔵が笑い、加兵衛も書付から顔を上げた。
清兵衛は荷車を止める場所を確かめに出ていき、権蔵は納屋の持ち主へ話をしに行った。加兵衛が預かる日数や借り賃を揃えて返事を書いたのは、二人が戻ってきてからだった。
勇吉は途中まで座っていたが、自分が決めることは何もなさそうなので帰ろうとした。
「その日、手が空いてたら来てくれ」
清兵衛に声を掛けられ、戸口で振り返った。
「何しに」
「荷を下ろす」
「俺、身体を見る方なんだけど」
「身体は使えるだろ」
「そういうこと言い始めたら、誰でもいいじゃねえか」
「だから、お前にも言ってんだよ」
勇吉は返事をしなかった。
返事をしなかったのに、当日には自分も数に入っていた。
*
納屋の中は、前に見た時とはすっかり違っていた。
端に残っていた藁は運び出され、古い道具は壁際へ寄せてある。入口の戸も、勇吉が試しに引いてみると、下を擦らずに動いた。
「本当に直したんだな」
持ち主の男は、箒を壁へ立て掛けた。
「直すって言ったろ」
「使ってねえからって、ずっと放っといたくせによ」
「使うんなら直すさ」
男は何でもないことのように答え、もう一度、床に残っていた藁くずを拾った。
勇吉も中へ入ってみた。何も置いていないと、思っていたより広い。
「二台分なら入るか」
「入れてみなきゃ分かんねえな」
「おい、清さん」
入口にいた清兵衛が振り向いた。
「聞いてた大きさなら入るよ。ただ、戸の前まで積むなよ。出入りできなくなる」
「分かってるって」
「それと、荷は直に置かず、こっちの板の上へな」
床には、持ち主が用意した板が並べてあった。
勇吉が一枚を足で押すと、少し動いたので、しゃがんで隣と揃えた。
「その板も、あんまり乱暴に扱わねえでくれよ」
持ち主が言った。
「何だよ。箱を置くために敷いたんだろ?」
「そうだけどよ。重いもんを引きずられたら、板も床も傷むだろ」
勇吉は板から足を離した。
「まだ何も置いてねえじゃねえか」
「だから今のうちに言ってんだよ」
二人のやり取りを聞いていた清兵衛が、入口から声を掛けた。
「箱は引きずらずに運ぶ。板が動かねえようにもしておこう。預かった荷を傷つけても困るしな」
持ち主はそれを聞いて、ようやく納得したようだった。
「頼むよ。使ってもらうのは構わねえんだから」
加兵衛は戸口の明るいところへ腰を下ろし、書付を広げていた。
「それ、見てりゃ荷が分かんのか?」
「印と数は分かります」
「中身は?」
「ここでは箱を開けません。受け取る時に、傷みがないかも確かめます」
勇吉が紙を覗き込むと、箱につけた印が書き分けてあった。数だけ数えれば済むものだと思っていたが、加兵衛はその横へ、受け取った時に書き込む場所まで空けていた。
「ずいぶん細けえな」
「あとで違うと言われても、困りますから」
そう言われると、勇吉も紙から手を離した。
*
昼を少し過ぎた頃、旅装の男が訪ねてきた。
脇に包みを抱え、清兵衛と加兵衛の顔を見比べている。
「こちらで、荷を預かっていただけると伺ったのですが」
「お待ちしていました」
加兵衛が立つと、男は懐から折り畳んだ書付を出した。加兵衛の手元の紙と見比べ、頼まれていた荷であることを確かめると、清兵衛が荷車の来る方を尋ねた。
「すぐ後ろです。先に場所を確かめてこいと言われまして」
男は納屋の中を見て、少し肩の力を抜いた。
「空けていただいたんですね」
「ああ。荷を入れるんだからな」
清兵衛の返事に、男は頭を下げた。
それから床に敷かれた板や、奥へ寄せられた道具を眺め、入口の幅まで確かめていた。
「何か足りねえか?」
勇吉が尋ねると、男は首を振った。
「いえ。荷を下ろす前に、ここまでしていただけるとは思っていなかったもので」
「そりゃ、入れるって決めたんだからな」
男は小さく頷いたが、それ以上は何も言わなかった。
通りの向こうから、車輪の音が近づいてきた。
清兵衛が外へ出る。勇吉もあとを追うと、荷を積んだ車が二台、間を空けて進んできた。
縄を掛けた箱が、思っていたより高く積まれている。
「これ、全部かよ」
「二台分だって言ったろ」
「二台分って、こんなにあるのか」
清兵衛は答える暇もなく、先の一台を止める場所へ手を振った。
「もう少しこっち。後ろが通れるように寄せてくれ」
荷車が止まると、近くの店先から何人かが顔を出した。
いつもなら通り過ぎるだけの荷車が、今日は納屋の前で縄を解き始めている。
「何だ、引っ越しか?」
通りがかった男が声を掛けた。
「荷を預かるんだよ」
清兵衛が答えると、男は納屋を覗いてから、へえ、と声を漏らした。
「ここ、使うようになったのか」
持ち主が少し得意そうに答えた。
「今日からな」
勇吉はその顔を見て、さっきまで床が傷むと心配していたのは誰だったかと思ったが、黙っておいた。
来た者は、先触れの男を入れて七人いた。
それぞれが縄を解き、周囲を見回し、誰かを呼ぶ。急に声が増えて、勇吉は誰の返事をすればいいのか分からなくなった。
「勇吉、そっち持て」
目の前の男が箱の端を少し上げたので、勇吉は慌てて反対側へ回った。
「いきなり上げんなよ」
「持ったか?」
「今持つんだよ。待てって」
指を差し入れると、木の角が手に食い込んだ。
思ったより重い。
男が持ち上げるのに合わせて腰を浮かせ、二人で納屋へ向かったが、向こうを持つ男が何度も右手を掛け直すので、そのたび箱が勇吉の方へ傾いた。
「おい、ちょっと待て」
「どうした?」
「右、持ちにくいのか?」
「いや、大丈夫だ」
「大丈夫って顔じゃねえだろ。いったん下ろせよ」
男は少し迷ったが、勇吉が先に膝を曲げたので、二人で箱を下ろした。
「俺がそっち持つから、替われ」
「悪いな」
「悪いと思うなら、最初から言えよ」
男が苦笑いしながら反対側へ回ったところへ、入口から声が飛んだ。
「その箱は、朝に出す分です」
勇吉は箱を見下ろした。
「何だよ、先に言ってくれよ」
先触れの男が駆け寄り、箱の印を指した。
「この印の二つは、明日の朝一番に取りに来ます」
清兵衛がすぐに奥を見た。
「じゃあ、手前に置こう。ほかの箱を先に奥へ入れてくれ」
「どこまでが朝の分なんだ?」
加兵衛が書付を持って近づき、男に確かめた。
「もう一つは、こちらの車の下に積んであるんですね」
「はい。その二箱だけです」
「では、印を確かめながら分けましょう」
清兵衛が置き場所を示し、持ち主も板が動かないように端を押さえた。
「そこなら大丈夫だ。引きずらなきゃな」
「分かってるよ」
勇吉はそう答え、さっきの男と箱を持ち上げた。
持つ側を替えたせいか、今度は傾かずに運べた。
入口では、先触れの男がその様子を見ていた。
加兵衛が書付に何かを書き加えると、男はそちらへ近づき、しばらく手元を眺めていた。
「そこまで書いておくんですか」
「預かった時の様子も残しておこうと思いまして」
「なるほど」
男はそれだけ答え、納屋の奥へ目を向けた。
*
宗助が戻ってきた時には、勇吉の額に汗が浮いていた。
「まだあるのか」
「見りゃ分かるだろ。お前も持てよ」
「先に泊まりを確かめる。飯の支度もあるんだ」
「お前は飯のことばっかりだな」
「腹が減った客を泊めて、喜ばれると思うか?」
「俺なら怒るな」
「だろ?」
宗助は笑って、荷を運んできた者たちへ声を掛けた。
「今夜泊まるのは、どなたですか」
七人のうち三人が手を上げた。
宗助は顔を確かめ、残りの者は荷を下ろしたあとに出るのかと聞いた。
「ええ。こっちは戻ります」
「分かった。泊まる三人は、あとで案内するから、手荷物を一緒にしておいてくれ。それと、今夜は飯を用意してある。苦手なものがあれば先に言ってくれよ」
三人が顔を見合わせ、一人が笑った。
「腹が減っておりますので、何でもありがたいです」
「そりゃよかった。うちの飯は、腹いっぱい食えるからな」
宗助は満足そうに頷き、三人の包みを一か所へ寄せるのを手伝った。
勇吉はその様子を横目で見ていた。
岩槻の宿で宗助が何度も人数を尋ねていた理由が、ようやく分かった気がした。
目の前に七人来れば、七人分の飯や寝床が要るように思ってしまう。だが、四人は帰るし、三人の包みだけ置く場所を作ればよい。
「勇吉、前」
「分かってるよ」
考えていたら、敷居へ足が近づいていた。
その後は、清兵衛が置き場所を指示し、加兵衛が印と数を確かめるうちに、荷車の上の箱も少なくなっていった。
一つの箱の角に古い擦り傷があり、加兵衛が運んできた男を呼び止めた。
「この傷は、積む前からありましたか」
「ええ。出る時からです」
加兵衛は頷き、そのことも書き添えた。
勇吉なら、そのまま運んでいた傷だった。
先触れの男は、今度は何も尋ねなかった。
ただ、加兵衛が書き終えるまで待ってから、箱を奥へ運ぶ者に道を譲った。
最後の箱を置くと、清兵衛が納屋の入口から奥を見渡した。
「通れるか?」
勇吉は空けてあった真ん中を歩き、奥の壁際まで行った。
「通れるよ」
「朝の二つは?」
「手前にある」
「ほかをどかさずに出せるな」
勇吉は箱の前に立ち、入口までの道を見た。
「これなら出せるよ」
持ち主も中へ入り、床の板や壁際を確かめていた。
「どうだ?」
清兵衛が尋ねると、男は板の端を足で押した。
「傷んじゃいねえな。これならいい」
「最初からそう言ってんだろ」
勇吉が言うと、男は笑った。
「最初は、まだ荷が来てなかったろ」
それを聞いて、勇吉も笑った。
*
空になった荷車が通りへ戻ると、急に納屋の前が広くなった。
宗助は泊まる三人を連れて宿へ向かい、清兵衛は馬の様子を確かめに行った。
勇吉は納屋の壁へ背を預け、水を飲んだ。
腕がだるかった。
人の身体は毎日触っているが、箱は返事をしない。持ちにくいと言っても、少し向きを変えてくれるわけでもない。
「疲れたか」
持ち主の男が声を掛けた。
「疲れるよ。お前も運んでみろ」
「俺は板を運んだんだよ。朝から」
「じゃあ、お互い仕事したな」
男は笑い、納屋の中を覗いた。
「入るもんだな」
勇吉もそちらを見た。
何もなかった板の上に、縄を掛けた箱が並んでいる。奥まで見えていた壁が、半分ほど隠れていた。
加兵衛が受け取りの確認を終えると、残っていた先触れの男が紙を丁寧に折り、懐へ収めた。
「助かりました。途中で荷を分けておけると、その先の手配が楽になります」
「明日は、こちらの二箱ですね」
「はい。朝に来る者にも、この場所を伝えてあります」
男は納屋の中をもう一度見渡した。
「こうして預かっていただけるなら、次も相談できそうですね」
加兵衛が顔を上げた。
「次も、ですか?」
「ええ。実は、ほかにも置き場所を探している荷がありまして。今日はこちらの様子も確かめてこいと言われていたんです」
「そうでしたか」
「まだ決まった話ではありませんが、戻ったら伝えておきます」
男はそう言って頭を下げた。
勇吉は少し離れたところで聞いていた。
慣れないことばかりなのは確かだ。
実際、箱を一つ運ぶだけでも、あれだけ騒いだ。
それでも、相手には次の相談をしてもよいと思ってもらえたらしい。
清兵衛が戻ってきて、朝は誰が立ち会うかを加兵衛と決めた。
勇吉は黙って聞いていた。
明朝のことまで自分に声が掛かる前に帰ろうかと思ったが、清兵衛はこちらを向かなかった。
「勇さん、ありがとうよ」
持ち主の男に言われ、勇吉は水の入った器を返した。
「俺、話を伝えただけなんだけどな」
「今日は運んだだろ」
「そうだったな」
男が戸へ手を掛けた。
前なら持ち上げなければ閉まらなかった戸が、下を擦らずに動き、納屋の中が隠れた。
男はもう一度引いて閉まり具合を確かめ、それから鍵を掛けた。
勇吉はその手元を見ていた。
あの時、背中を揉みながら聞き流してしまえば、この戸はまだ引っかかったままだったのかもしれない。
「これで、明日まで預かったことになるんだな」
勇吉が言うと、加兵衛が頷いた。
「ええ。無事にお返しするところまでです」
「置けば終わりじゃねえのか」
「預かり物ですから」
加兵衛は書付を畳み、大事そうにしまった。
*
帰ろうとしたところへ、宗助が戻ってきた。
「三人とも落ち着いたよ。飯まで少し休むって」
「じゃあ、俺も休む」
勇吉が言うと、宗助は懐から紙を出した。
「その前に、これを見てくれ」
「何だよ。また荷か?」
「今泊めた男から預かった。別の荷の預け先を探しているらしくてな。今日の様子を見て、相談できそうなら渡してくれと言われてたそうだ」
加兵衛が受け取り、折り目を開いた。
清兵衛も横から覗き込んだが、読み進めるうちに、納屋の方へ顔を向けた。
「幾つだ?」
「荷車五台分です」
勇吉は鍵の掛かった戸を見た。
さっき二台分を入れた時には、まだ少し空いていると思った。だが、もう三台分を同じように積めるとは思えなかった。
「いつ来るんだ」
「来ると決まった話ではありません。預かれるかという相談です」
加兵衛はそう答え、紙の続きを読んだ。
宗助が腕を組んだ。
「泊まりもある。八人だ」
「八人なら、ほかにも頼むことになるな」
清兵衛が言った。
勇吉は三人の顔を見た。
誰も、すぐには断ると言わない。
だからといって、できるとも言わなかった。
「今の荷が出てからだろ?」
勇吉が尋ねると、加兵衛は日取りを指で確かめた。
「そのあとです。ただ、今度は二日ではありません」
「何日だよ」
「二十日ほど、と」
納屋の持ち主が、閉めたばかりの戸から手を離した。
「二十日か。それは、聞いてた話と違うな」
加兵衛は紙から顔を上げた。
「まだ引き受けてはいません。改めて、ご相談することになります」
男は戸の向こうを気にするように振り返った。
「今日みたいなのなら、構わねえんだ。ただ、そんなに長くとなると……」
清兵衛が、最後まで聞くように頷いた。
勇吉はだるい腕をさすりながら、柿の木のある家を思い出した。
弟に聞かなければ貸せない小屋と、荷車を通すなら隣へ話をしなければならない裏道。
あそこへ行ったのは、何日前だったか。
「返事は、いつまでなんだ?」
「明日の夕方までに、まず見込みだけでも知らせてほしいそうです」
宗助が答えると、清兵衛は勇吉へ目を向けた。
「柿の木の家、弟が来るのはそろそろじゃなかったか」
勇吉は腕をさする手を止めた。
今、自分も同じ家を思い浮かべていたことを、先に言わなくてよかったと思った。
だが、清兵衛はもう返事を待っている。
「……来てるかどうかは、行かなきゃ分かんねえよ」
「だな」
清兵衛が通りへ目を向けた。
日が暮れるまでには、まだ少し間があった。




