122話 本当の自分は仮面の奥に
……ああ、くそっ! どうしてこうなった。俺はどこで間違えた? ことは上手く運んでいたはずだ。雪芽を陽介を餌に縛り付け、陽介を打ちのめして無力化して、不穏分子は潰したはずだ。予想外のことなんて起こりうるはずがないんだ。なのにどうして――
「……いや、こうなった時のことも視野には入れていたじゃないか。落ち着いて次の手を考えるべきだ」
視野と言っても周辺視野程度のぼやけた可能性だった。具体的に根回しを済ませたわけでも、成功する確証があるわけでもない。
「ギャンブルは嫌いなんだけどね」
自分の言葉に、思わず乾いた笑いをこぼす。
陽介は誰かのためにその力を振るう人間だ。それは分かっていた。だから雪芽が陽介に助けを求めないように脅しをかけ、陽介の中から雪芽を助け出すという考えを排除した。
……そのはずだったんだ。
――形だけの関係にこだわって、大切なものすら見えないお前に、俺は負けない。
「……あぁくそっ。思い出しただけで吐き気がする」
なのにあいつは立ち向かってきた。俺を超えていった。
なにがあいつをそこまで駆り立てる? なにがあいつの折れた心を再びつなぎ合わせた?
――たどり着きたい未来があるからだ。
俺は陽介を理解したつもりで、まだ至らなかったのか。
たどり着きたい未来とやらも、一体何から雪芽を救おうとしているのかも、俺は知らない。
誰かを陥れるには、その心を完全に折るためには、相手のことを深く理解しないといけない。
それは相手の大切にしている信条であったり、好きなものであったり、嫌いな人のタイプであったり、何をされると怒るのかであったりとさまざまだが、そのどれもが相手を掌握し、心を揺さぶるための道具となる。
そして揺さぶられた心がその軋みに耐えきれなくなったとき、ついには折れるんだ。
俺は体育祭のリレーのとき、陽介が身近な誰かを大切にし、彼らを守るためになら信じられないポテンシャルを発揮することを知った。そして彼らのためなら自分を犠牲にするということも。
上手く行っていた。途中までは俺のシナリオ通りだったんだ。守るべき対象からの拒絶がトドメとなって、陽介は心が折られたはずだったんだ。なのに何が原因で――
「……雪芽が倒れた事に関係している?」
その可能性は高い。雪芽が倒れたことをトリガーとして、陽介の中の何かが変化したことは間違いないだろう。あるいは俺が目を離した隙に雪芽が陽介に助けを求めたか。
「いや、今はそれどころじゃないな。原因の調査は後。今は状況への対応が先決だ」
自分に言い聞かせるように呟くと、俺は人気のない廊下の隅に体を預ける。
――人気者ってのも案外大変なんだな。
「うるさいうるさいっ……!」
未だ頭の中で木霊す陽介の声を振り払い、俺は次の策を練り始めた。
――――
翌日、噂はまるで坂を転がる雪玉のように、様々な憶測をまとって大きくなっていた。
それは俺が雪芽を脅して彼女にしたことや、陽介を陥れたのが俺であることなど、真実も含まれていたが、大多数は俺の流した俺に都合のいい嘘が占めている。
雪芽は体が弱くて、冬休みの間にも一度倒れた。そうして弱っているところに陽介がつけ込んで俺と別れるよう吹き込んだ。脅してるとか何とか言っているのは、俺が必死に陽介に騙されていると諭したことを勘違いして言っているのだろう。
流した嘘の噂はこんなところだ。
陽介が生意気にも吹聴している噂と真っ向から食い違う噂ではあるが、俺の人気や好感度を加味すれば、勝つのがどちらかは明らかだ。
俺の予想通りなら、今日あたり争いが起こる。そうなれば否が応でも勝敗がつくだろう。その時勝者として立っているのはこの俺だ。
そのためにこの数日、地道に噂を消してきたんだ。負けるはずがない。
噂を消すには3つの方法がある。一つは虱潰しに噂を正していく方法。もう一つは別のスキャンダルで皆の意識から排除する方法。最後はただ時間が経って皆の記憶から薄れていくのを待つ方法。
スキャンダルを用意する方法は今は使えない。それ用のネタを仕込んであるわけでもないし、ちょっとしたものじゃ俺の破局を上書きするのは難しいからだ。
時間が解決する方法も、僅かな時間しか残されていない今、使えるはずもない。
故に虱潰しに噂を正していくしかない。まぁ、正すという表現は適切じゃないけどね。正しくは俺に都合のいいように書き換える、だ。
この世の中は、正しいものがすべて正しいわけではない。嘘や間違いが正しいとされていることなんてざらにある。
特に噂なんてその最もたるものだろう。嘘や欺瞞で溢れかえり、皆面白いもの、都合のいいものを信じ、正しいとする。
……みんな馬鹿だよ。馬鹿で愚かだ。
その人間の一側面だけを切り取って、引き伸ばして、歪曲して。自分の都合のいいように飾り付けてさ。それであいつはこんな人間だって、さもそれが正しいかのように声を上げる。
誰も本当のことになんて興味がないのさ。本当の俺のことなんて知ろうともしないんだ。
いいさ、お前らがそのつもりなら俺だってそれ相応のやり方がある。
本当のことは仮面の奥にしまい込んで、みんなが、あの人達が望む俺を演じるんだ。だって表面さえ綺麗ならお前らは納得するんだから。
――形だけの関係にこだわって、大切なものすら見えないお前に、俺は負けない。
……うるさい。
うるさい煩い五月蝿いウルサイッ!
何も知らないくせに! なんの苦労もしてこなかったくせにッ! 偉そうなことを言うな! 俺に指図するなッ!!
あぁ、気に入らない気に入らない気に入らないッ! 他人のために本気を出すなんてヒーロ気取りなところも、自分が犠牲になって他人が守れるならそれでいいと本気で思っているところも、そうしたところを表に出さず飄々《ひょうひょう》としているところも、他人の評価を気にしない素振りも、そのくせ友人にあんなに深く愛されていることもっ! 全部、全部が気に入らないッ!
何が違う? 俺とあいつで、一体何が違うっていうんだ……? どうして雪芽は俺じゃなくてあいつを選んだ? すべての面で俺はあいつに勝っているはずなのに、どうして……。
「よっすリンリン!」
「明か……」
陽気な声に顔を上げると、教室前の廊下で購買で買ったパンを手に持った明に出くわした。
俺は素早く仮面をつける。いつもの広瀬優利の仮面を。
「連れ購買しようとしたのにリンリンすぐどっか行っちゃうからよ、俺一人で買っちまったじゃん?」
「ごめんごめん、今日は朝コンビニで買ってきてたんだよ。だから飲み物だけ買いに行ってたんだ」
「……元気出せって、リンリンならやりたい放題じゃん?」
努めて明るく振る舞ったはずだが、明にはお見通しか。
俺は諦めてため息をつくと、苦々しい笑みを浮かべる。
「せめて選り取り見取りと言ってくれよ。それじゃあ俺が悪人みたいじゃないか」
「それっ! でも変な名前の鳥だよなぁ」
「選り取り見取りは鳥の名前じゃないよ」
「んぁ? そうなん?」
「ははっ、明は相変わらずだね」
一瞬、純粋に笑みが溢れる。こんな状況だというのに、不思議なものだ。
明と連れ立って教室に入ると、いくつもの好奇の視線が俺を捉える。
それはやがて小さな笑いや小声の会話となって教室の雑踏に溶けていく。
噂をされることや好奇の目を向けられることには慣れている。それは大概好意的なものだけど、悪意的なものも一定数はあるんだ。
あぁくそっ。でもなぜだろう、今はとてもイライラするよ。
きっと陽介のせいだ。あいつの流した噂だと知っているから癇に障るんだ。
「やっぱ噂になってるよなぁ。リンリン有名人だから」
「そんなことないよ。他人の不幸は蜜の味ってところだろう」
「……んで、実際どうなん? マジでリンリンがめっちゃん脅してたわけじゃないっしょ?」
向かい合って席に座ると、明はこちらに顔を寄せて小声でそう言った。
その目は好奇心に満ちていて、明も結局他の奴らとそう大差ないのだと痛感する。
……いや、明はもとからこういう性格か。少し神経質になっているようだ。
「当然だ。脅しなんてしてないよ。まったく、一体どこからそんな噂が立ったんだろうね?」
「なんかヒナから聞いたんだけどよ、めっちゃんがそう言ってたらしいじゃん?」
「雪芽が? 雪芽はきっと陽介に騙されてるんだよ。でなきゃ急にあんなことを言い出したりなんかしないはずだしね」
「……ま、そうだよな! にしても、すけっちもひでぇ事するよなぁ」
明のその言葉に、俺は少しの違和感を覚えた。
どこだ? セリフ自体におかしなことはなかったと思うが……。
「……いや、そうか。なぁ明、陽介とは仲が良かったっけ?」
「いんや? 別にフツーだけど?」
「……そうか、いやそれならいいんだ。なんだかあだ名を呼ぶときに親しげな気がしただけだよ」
「あぁー、これな。すけっちに変えてくれって言われてからいいの思いつかなくってよ。なんか俺の中でしっくりくるってか? だからじゃね?」
「……よく呼んでるのか?」
「いやいや、リンリンもう忘れたん? ついこの前まで噂の中心だったっしょ? てか俺も噂してたし!」
……理屈は通っている、か。
いや、明が嘘をつけるとは思えない。やっぱり少し神経質になりすぎているんだな。
「なんだ、そういうことか」
「そうそう! てかやべ、新しいの考えとかねぇとすけっちにまた文句言われるわー。なぁリンリン、なんかいいのねぇかなぁ?」
「普通に名前で呼ぶのじゃだめなのかい?」
「だめに決まってるっしょ!?」
「はは……。明のこだわりはよく分からないな」
そして話題はいつものような他愛ないものに移っていく。
いつもと同じような昼休み。いつもと同じように明の話に笑みを浮かべて、完璧な広瀬優利を周囲に演じてみせる。
それなのに、完璧にできているはずなのに。どうしてこんなにも胸がざわつくんだ。
何も心配する必要なんてないのに。どうしてこんなにも焦燥で息が苦しいんだ。
どうして、どうして……?
その問に答えは出ず。ただ陽介の顔が脳裏をよぎるだけだった。
――――
「ねぇ、池ヶ谷さん。ちょっと話いい?」
それは放課後になり、それぞれの生徒が教室を出るための準備をしている時に起こった。
日が沈んで薄暗くなった教室で、敵意を隠そうともしない声があたりを静寂に変える。
……どうやら始まるようだ。きっとこれでこの騒動も終わりだ。俺が勝って、相手が負ける。今までも何度も繰り返してきた、当たり前のこと。
「……何かな?」
「とぼけないでよ。最近学校中で噂になってるんだし、分からないはずないでしょ?」
「広瀬くんとのこと?」
「そうよ! 広瀬君が散々良くしてくれたってのに、何が不満だったわけ? 自分がちょっとかわいいからって調子のんのもいい加減にして!」
「別にそんなつもりじゃ……」
女子に問い詰められた雪芽は、助けを求めるように陽介に視線を投げた。
すると、女子はその矛先を陽介に向け始める。
「そもそもさ、柳澤君の仕業なんだって? 広瀬君に嫉妬すんのもいい加減にしてよ!」
「別に俺は何もしてないし、広瀬に嫉妬なんてしてない」
「嘘っ! なんだかんだ有耶無耶になったリレーの不正疑惑もそうだけど、池ヶ谷さんを広瀬君に取られて嫉妬したんじゃないの? 好きな子を取られたってさ!」
陽介の反論に、他の女子も立ち上がり声を上げる。
それはまるで火のついたガソリンのように、あっという間に教室中に燃え広がる。
次々に立ち上がり罵声を浴びせかけるクラスメイトたち。その光景を見て、俺は思わず口元に薄く笑みを浮かべる。
「違う。リレーの件は広瀬に俺がやったってことにしてくれと頼まれたんだ。雪芽が広瀬と付き合い出したときは……、まぁ、ショックだったけどさ、別にそれで広瀬に嫉妬したりなんてしてなかった」
「でも池ヶ谷に広瀬と別れるように言ったのはお前なんだろ!?」
「ああそうだ」
「ほらみろ! やっぱり――」
「でもそれは広瀬が雪芽を脅していたからだ。雪芽を広瀬から救い出すためにそう提案した」
「広瀬君が脅しなんてするわけ無いでしょ!? いい加減なこと言わないでよ!」
しかし、すぐに押し負けると思われた陽介は、毅然とした態度で一つ一つの声に応えていく。
真っ向から戦う気か。ならいいだろう。この俺が直々に潰してやるよ。
「まあみんな落ち着いて。ここで言い争ったって仕方ないだろう?」
俺は立ち上がり、陽介たちを取り囲もうとしている人混みに向かう。
クラスメイトたちは示し合わせたかのように、陽介と雪芽までの道を開ける。
「でも広瀬! 陽介はお前の優しさに漬け込んでこんなこと……!」
「……そうだね。俺は別にそれでも構わないけど、みんなが納得しないだろうし、はっきりさせたほうがいいだろうね」
開けた道の向こうで、陽介に加勢するかのように小山さんと隆平が人混みを割ってやってくる。
……ふん、いくら数を揃えたところで結果は変わらないさ。
俺はこちらを睨みつける陽介を睨み返し、堂々と宣戦布告する。
「さあ、それじゃあ一つずつ状況を整理していこうか」




