119話 太陽の心は誰にも分からぬ
――雪芽、俺、雪芽のことが……。
「私のことが、何だったんだろう……」
私は昼下がりの病室で昨夜のことを考えていた。陽介が言いかけたあの言葉、もしかして私のことが好きって……。
「〜〜ッ!」
そこまで想像して顔が熱くなる。
だってあのときの陽介ってばすごく真剣な顔してたし、私のことがって、その続きに来るのは……、す、好きって言葉くらいだろうし!
で、でも陽介のことだし、いつもみたいに思わせぶりなことを言おうとしただけかも……。
う〜ん、分かんないよぉ〜!
昨夜からずっとこんな調子で、陽介の言葉の意味ばかりを考えちゃう。
そんなことだから目が覚めてからの検査でも顔の紅潮と心拍数の上昇が見られるから、念の為もう一日入院なんて言われちゃったんだし……。
あれからお母さんが先生を呼んできて、いくつかの検査をした。
ちょうどそれが終わったタイミングでお父さんがやってきて、私の姿を見るやいなや泣きそうな顔をしてきつく抱きしめてくれた。少し痛かったけど、それくらい心配をかけちゃったんだって分かって、私まで泣きそうになった。
その時に色々話を聞いたんだけど、どうやら私は急に倒れて一週間も眠っていたらしい。体感ではそんなに経ってるとは思えなかったんだけど、スマホのカレンダーやニュースがその事実を裏付けてくれた。
そして、その間陽介と晴奈ちゃんは毎日お見舞いに来てくれていたらしい。
陽介が毎日来てくれてたことがすごく嬉しくて、でもなんだか恥ずかしい。
それと広瀬君もお見舞いに来たらしい。その時に私の彼氏だってお母さんに言ったらしくて、お母さんがどういうことなのかって根掘り葉掘り聞くから少し疲れちゃった……。
事情があって今は彼氏なんだけど、もう別れると決めたというと更にあれこれ聞かれて。結局広瀬君のことについて掻い摘んで話すことになって。
話を聞いたお母さんは私のためにすごく怒ってくれて、そして謝ってくれた。
昨日は陽介といい雰囲気のところを邪魔してごめんねって、ほんとにそうだよ! あとちょっとで陽介が何言おうとしたのか分かったのに……。
そうして目を覚まさない原因もよく分からなくて困ってたところで目が覚めて、今はこうして昨夜の陽介の言葉の意味を考えて悶々とできるくらいには元気だというわけだ。
そして今日これからなっちゃんと晴奈ちゃんがお見舞いに来てくれるらしい。
二人とも会うのは久しぶりだなぁ。心配、かけちゃったよね……。
……うん、だからこそもう私は大丈夫だって伝えないとね!
陽介も来てくれたら嬉しかったんだけど、まだ連絡はない。晴奈ちゃんにも聞いてみたんだけど、どうやら由美ちゃんのお家でお泊り会だったらしく今日はまだ会ってないんだそう。
……陽介、由美ちゃんと別れたんだよね。嬉しくないと言えば嘘になるけど、でも疑問は残る。
由美ちゃんはあんなに陽介のこと好きでいたのに、陽介は何が不満だったんだろう?
そういえば陽介も由美ちゃんは自分にはもったいないくらいいい子だったって言ってたよね。でも大事なことが、大切な人がいるからここに来たって、そう言って……。
「……それってもしかして私……?」
小さな声でこぼすように呟いたあと、私はまた徐々に顔が熱くなるのを感じる。
「ううん、陽介なら大切な友達とか普通に言いかねないし。いやでもっ、昨日の言葉の続きが私の想像通りだとしたら――」
「雪芽」
「うひゃい!」
ブツブツ呟きながら様々な可能性を探っていると、唐突に声をかけられた。
見れば病室の扉からお母さんが顔を出している。もうびっくりしたぁ。思わず変な声が出ちゃったよ……。
「何驚いてるのよぉ? それにしてももうすっかり元気じゃない。それならお客さんの相手もできそうね」
「お客さん……?」
ニコニコと嬉しそうな笑みを浮かべるお母さんが扉の横にずれると、そこには懐かしい顔が2つ。
「やっほ、ユッキー」
「雪芽さん! あぁ、ほんとに目を覚ましたんですね! よかったぁ〜……」
「なっちゃん! 晴奈ちゃんも、来てくれたんだね!」
晴奈ちゃんが小動物のように駆け寄ってきて、なっちゃんは柔らかな笑みを浮かべながらその後をついてくる。
あぁ、なんだかすごく懐かしい。帰った来たって感じがする。
「お兄ちゃんから聞いてすぐにでも来たかったんですけど、検査とかあるだろうからって言われて……。でもホント元気そうで良かったです!」
「ほんとよ、あんまり心配かけさせないでよね」
「二人とも……。心配かけちゃってごめんね」
謝る私に、二人は眩しいくらいの笑みで持って返すのだった。
「にしても陽介のやつ、連絡だけよこして俺は用事があるって一緒に来なかったのよ? なんか感動が薄いっていうかさぁ?」
「でもバカ兄貴が一緒だったら、夏希さんが雪芽さんのことを心配で夜も眠れなかったことが暴露されたと思うので、来なくてよかったと思いますよ?」
「ちょ! 確かに心配だったけど夜はちゃんと眠れたわよ! ……少し寝付きは悪かったけど」
「ほら~。心配なら少しくらいなら抱きしめてもいいと思いますよ? ね、雪芽さん?」
「うん、もちろんだよ! ほらほら、晴奈ちゃんもおいで~」
「わーい!」
私が両手を広げると、晴奈ちゃんは嬉しそうに飛び込んでくる。
ちっちゃくてポカポカしてて、本当に可愛いなぁ。やっぱり私の妹になってくれないかなぁ。
……ちょっとまって? それだと私が陽介と、け、結婚するってことになるんじゃ!? で、でも、それなら晴奈ちゃんも妹になるし、陽介と一緒になれるし、もしかして理想の……?
「……あれ、雪芽さん熱あります?」
「へ!? な、ないない! 全然熱なんてないよ!?」
「じゃあ雪芽さんが温かいだけですね! えへへ」
うーん、晴奈ちゃんの天使の笑みが眩しい……。なんか不純なことを考えていた自分が恥ずかしくなってくるよ……。
それもこれも昨日陽介が変なこと言うから……。いや、何も言わなかったことが私をこんなに悩ませてるんだけどっ!
「……で、夏希さんはやらないんですか? 雪芽さんの体温かくて気持ちいいですよ?」
「わ、私はいいわよ。ユッキーが元気そうだって分かっただけで十分だし」
「えぇ~? ほんとですかぁ? さっきまでユッキーはほんとになんともないのかなとか、学校にはちゃんと来れるのかとかすっごく心配してたじゃないですか。なのにいざ顔見たら大人な対応して――」
「わーわー! ないない! そんな心配してないって!」
「なっちゃん……」
「うっ……。わ、分かったわよ、じゃあちょっとだけ……」
遠慮がちに近寄ってきたなっちゃんを、私は大きく手を広げて迎え入れた。
……うん、なっちゃんも温かい。それにいい匂いもするし。
「どうですか、夏希さん。安心できましたか?」
「……晴奈ちゃんってやっぱり陽介の妹よね」
「バカ兄貴より冴えたやり方だと思いません?」
顔は見えないけどなっちゃんが恥ずかしそうにしているのは分かった。
やっぱりなっちゃん可愛いよね。どうして陽介はこんなに可愛い子が好きでいてくれているのに気が付かないんだろう……?
……まぁ、そのお陰で私もまだ陽介を諦めないですんでいるんだけど。
私はそっと離れていくなっちゃんを見ながらそんな事を考えていた。
「そういえば二人は随分仲良くなったんだね。私が寝てる間に何かあったの?」
「何かあったって、ユッキーが倒れたのが原因よ」
「え、私?」
「はい。何回か一緒にお見舞いに来ましたし。あとほら、そこに飾ってある千羽鶴。それを夏希さんと一緒に折ったりしましたし」
そう言って晴奈ちゃんは病室にかけられたたくさんの折り鶴を指した。
どれも丁寧に折ってあって、二人が一生懸命私のためにできることをしてくれたんだって思うと、胸の奥が温かくなる。
「ありがとう、二人とも」
「まぁ、私はちょっと手伝っただけだけどね。ほとんど晴奈ちゃんが作ったし」
「夏希さんだって三分の一くらいは折ってくれたじゃないですか! バカ兄貴は一羽も折ってくれませんでしたし」
「あはは……。でもこのお花は陽介が持ってきてくれたんでしょ?」
私は窓辺で元気に花を咲かせている色とりどりの花に視線を向ける。
「そうね、陽介のやつ随分熱心に世話していたからまだまだ元気じゃない。でもどうしてその花が陽介のお見舞いだって分かったの?」
「あぁそれはね、昨日陽介がお見舞いに来たときに……」
……あれ? 私陽介から直接聞いたっけ? そういえば花の名前も聞いてないし、昨日その話はしなかったような……?
「え、昨日? 昨日目が覚めてから陽介と会ってるの!?」
私が記憶を探っていると、なっちゃんが驚いた様子でそう言った。
その反応に私は首をかしげる。
「うん? そうだけど……。陽介から私が目を覚ましたって聞いて、お見舞いに来てくれてるんじゃないの?」
「そうよ? でもあいつ雪芽が目を覚ましたって言うだけで、自分が一番乗りで会いに来てたなんて一言も言ってなかったわよ!?」
「昨日……」
「晴奈ちゃん?」
晴奈ちゃんは先程まで楽しそうな表情だったのに、急に難しい顔をして黙り込んでしまった。
「あの、雪芽さん。お兄ちゃんと由美が付き合ってたことは知っていますか?」
「うん。それで昨日別れたって、そう聞いた」
「そうでしたか……。それで、どうしてなのか理由を聞きませんでしたか?」
晴奈ちゃんは真剣な目をしてそう問うた。
……そっか、晴奈ちゃんと由美ちゃんは昨日一緒だったんだもんね。私には想像することしかできないけど、色々あったに違いない。
「私も聞いたんだけどね、これといった理由は話してくれなかったの。ただ、自分にはもったいないくらいいい子だったけど、それより大事なことがあったって。そう言ってたよ」
「そうですか……。あのバカ兄貴……」
晴奈ちゃんは納得いかないといった表情で下唇を噛む。
晴奈ちゃんと由美ちゃんは親友だ。私の目から見ても二人はとっても仲良しだった。
由美ちゃんが陽介に恋心をいだいていることは私でさえ気がついたことだったし、きっと晴奈ちゃんも知っていたはずだ。そしてきっと、二人の関係を一番近くで見てきたのも晴奈ちゃんだ。
陽介と由美ちゃんが出会って、仲良くなって、恋人になって、そして別れた。そのすべてを見てきたんだと思う。
晴奈ちゃんのことだから陽介と由美ちゃんが付き合うとき、寂しさを抱いていたかもしてないけど、でもいい子だからちゃんと納得したんだろう。だからこそ陽介が由美ちゃんと別れたことにまだ納得できないでいるんだ。
どうして、って。陽介は誰かを傷つけることをしない人だから。
「ちょ、ちょっと待って。今色々聞き捨てならない事を聞いた気がするんだけど?」
沈黙が訪れた一瞬で、今まで会話に参加できていなかったなっちゃんが声を上げた。
「あれ、なっちゃんは陽介と由美ちゃんが付き合ってたこと知らなかったの?」
「知るわけないじゃない! 今が初耳よ! ていうかあいつ私の知らないうちに中学生の女の子と付き合って別れたって、一体いつからよ!?」
「ま、まあまあ、ちょっと落ち着いてなっちゃん」
「これが落ち着いていられる状況!? 一から説明して。ていうかしなさいっ!」
鬼気迫る表情のなっちゃんに詰め寄られ、私と晴奈ちゃんは自分たちの知る限りの範囲で、陽介と由美ちゃんの関係について話したのだった。
――――
「……なるほどね。まぁ大体の事情は分かったわ。いろいろ先越されて複雑ではあるけど……。でも、そういうの全部置いといて陽介には文句の一つでも言ってやらないとだめね」
「一つじゃ足りないですよ。あのバカ、由美を泣かせないって、大切にするって、そう約束したんですから」
晴奈ちゃんは少し寂しそうな目をしてそう言った。
そんな晴奈ちゃんに、なぜか私は申し訳ない気持ちになる。昨日の陽介とのやり取りで浮かれていた自分が恥ずかしい。
「……由美、泣いてました。あの底抜けに明るくていつも笑ってたあいつが。あんな由美は初めて見ました。
でも、泣き止んでも詳しい事情は何も話してくれないんです。ただ自分はバカ兄貴にはまだ不釣り合いだったんだって、その一点張りで……。きっとさっき雪芽さんが言ってた由美より大切なことっていうのが関係してると思うんですけど……」
「大切なこと、ね」
「……なっちゃん?」
「私ちょっと飲み物買ってくるわ。騒いでたら喉乾いちゃった」
なっちゃんはそれだけ言い残すと病室を出ていってしまった。
「……」
「雪芽さん、あたしお兄ちゃんの言う由美より大切なことっていうのに心当たりがあるんです」
なっちゃんがいなくなってから、晴奈ちゃんはそんなことを言った。
私はなっちゃんの背中が消えていった病室のドアから視線を引き剥がし、晴奈ちゃんへと向ける。
「お兄ちゃんは由美と別れた直後に雪芽さんのところへ向かって、その後由美は泣きながら言ってました。お兄ちゃんは雪芽さんが好きなんだって」
「え、陽介が……?」
「はい。でもそうじゃないって思うんです。だってそれなら、由美より大切な人がいるでいいじゃないですか。それに雪芽さんのことが好きだって自覚してるのに、由美と付き合うなんてことしないと思うし……。だから他になにか理由があるんじゃないかって」
「……」
「……お兄ちゃん、夏休みからから少し変なんです。ふとした瞬間にすごく遠くへ行っちゃうみたいな、ここじゃないどこかに心を置いてきちゃったみたいな、そんな感じがするんです」
晴奈ちゃんは不安そうに顔をしかめ、か細い声でそう言った。
それは私も感じていた事だ。陽介は時々何か溢れ出しそうなものをこらえるような表情をする。悲しさや喜びを抑え込むような。
いつだったか、なっちゃんも同じようなことを言っていた。私が陽介を変えた。陽介は私を中心にして動いてるって。
「雪芽さんが倒れたときもすごく怖い顔してて……。あんなお兄ちゃんは初めて見ました」
晴奈ちゃんは俯き、何かから身を守るように腕を抱えた。
「あたし怖いんです。お兄ちゃんがどんどんあたしの知らないお兄ちゃんになっちゃって。昔はめったに怒りもしない、いつもどこか抜けてるバカ兄貴だったのに……」
……きっと私のせいなんだ。私に心当たりはないけど、陽介をそんな風に変えてしまったのは私なんだ。
晴奈ちゃんをこんな風に不安にさせているのも、由美ちゃんと陽介の間を引き裂いたのも、なっちゃんに辛い思いをさせているのも、全部私のせいだ。
「あの、何かあったんですよね? お兄ちゃんと雪芽さんの間に、なにか。きっとそれがお兄ちゃんの言う大切なことなんだと思うんです」
「……ごめんね、晴奈ちゃん。私にも分からないの。なにも、分からないの……」
「そう、ですか……」
「ごめんね。本当にごめんね、晴奈ちゃん……」
ただ、謝ることしかできなくて。私は今も昔も、変わらず無力なままだ。
こうしてベッドの上に横たわって、たくさんの人に心配をかけて、大好きな人達を苦しめてしまう。
いつか、遠い未来でもいい。私は陽介の抱えるものを知ることができるんだろうか。
みんなが口を揃えて言う陽介を変えてしまった何かを、私が原因となっている何かを、陽介は私にも預けてくれるだろうか。私は大好きな人のために何かしてあげられるんだろうか。
ふと視線を投げた窓辺で、陽介がくれた花は静かに私を見つめていた。




