114話 乙女の夢は目覚めに導かれて
目を覚ませば、起きたばかりだと言うのに鮮明な視界は、まだ薄暗い天井を映していた。
なにかに追われるようにして目覚めたウチの胸には、言い得ぬ焦燥のようなものが居座っていた。
朝目が覚めた時、夜寝る前。そんなふとした瞬間、不安に、焦燥に襲われる。そんなことが最近続いていた。
枕元のスマホを引っ張ってきて電源を入れる。
ディスプレイには今がまだ6時過ぎであることと、今日も外は雪が降っていることだけを表示していて、ウチは思わずため息を付いた。
「陽介さんからの連絡はなし、かぁ……」
初詣が終わった翌日。つまり昨日に3が日のうちにどこかデートに行こうとお誘いのメッセージを送っていたんだけど、まだ返信が来ない。お正月に忙しいなんてことあるのかなぁ。それとも雪芽さん関連でなにかあったとか……?
どっちにしてもこんな時間にメッセージが返ってくるとは思えないし、二度寝でもしよっかな。
「うぅ、さむ……」
ウチはスマホを手放すと、寝返りをうつ。
するとウチの懐で何かがもぞもぞと蠢いた。
「ニュゥ……」
それは眠たげな声で布団から顔を出すと、ウチの腕を枕にして動かなくなった。
「……ミーちゃんは温かいね」
ふわりとした感触のミーちゃんを一撫でして、ウチは目を閉じた。
まるでウチを寝かしつけるようにゴロゴロと喉を鳴らすミーちゃんに、しかしウチは渦巻く不安に苛まれて、眠ることはできなかったのだった。
結局ベッドで横になること1時間。なにもすることがないので起きて部屋の掃除をすることにした。今日は夕方から晴奈が泊まりに来るのだ。
休みも残り少ないし、宿題を一緒に済ませようってウチが誘ったんだ。そうしたら晴奈がいっそお泊り会をしようって言ってきて。お泊りなんて久しぶりだからちょっと楽しみ。
……それに、ウチと陽介さんのこと、相談したいし。
そうして部屋の掃除は、見つけた漫画を読みながらで一向に進まなかった。
手にとった漫画を読み切ると、ちょうどスマホからメッセージの着信を知らせるメロディが流れた。
慌ててスマホを手に取ると、時刻は10時を回ったあたりだった。
いっけない、漫画読んでたらもうこんな時間!? 全然掃除進んでないよ!
しかし、そんな焦りはスマホに届いたメッセージの送り主を見た瞬間、霧散した。
「陽介さんからだ……!」
少し緊張しながら開いたメッセージには、返事が遅れたことに対する謝罪と、今日のお昼からなら大丈夫だということ。もしダメそうなら明日以降になるという旨だった。
お昼からなら、今から準備すれば間に合う。でも……。
……ううん、ちゃんと確かめないと。陽介さんの口から言葉として聞くまでは、まだ……。
「……でも、もし陽介さんの口から聞いちゃったら、ウチは……」
だったらいっそ確かめないでいたらいいじゃん。別にウチがデートに誘えば陽介さんは応えてくれるし、手だって繋いでくれる。キスやその先はまだ駄目だって言うけど、きっと押して押して押しまくればいけるって! だからこのまま、ウチは気がついてしまった事実を隠して、陽介さんとの関係を続けていけばいいじゃん。そうすれば誰も、傷つかなくて、幸せで……。
「……幸せでなんて、いられるわけ無いじゃん……」
毎日こんなに不安で、胸が痛くて、時々とっても悲しくなる。忘れたふりをしたって、陽介さんのふとした仕草や言葉から伝わってきてしまう。嫌でも思い出してしまう。
だったら、目を背けても辛いだけならいっそ、はっきりさせてしまったほうがいいのかもしれない。たとえ直視した現実が、ウチにとって最も辛いものであったとしても。
『じゃあ今日のお昼一緒に食べに行きましょう! 12時半に駅で待ち合わせでいいですか?』
『うん、それでいいよ』
その短い返事に、ウチの胸は冷たく鋭い痛みを覚えるのだった。
――――
「それで今日は晴奈と一緒に溜まってた宿題を……って、聞いてますか?」
「……ん? あぁ、聞いてるよ」
「……陽介さん、何かあったんですか?」
ウチの言葉に陽介さんは力なく微笑んだ。
今日は会ってからずっとこんな感じだ。どこか上の空というか、心ここにあらずというか、とにかく元気がない。
こうして少し遅めのお昼を食べ終わった後の雑談でも、陽介さんは俯いてなにかを考えている。
きっとその内容は――
「ちょっと、雪芽のことでね」
やっぱり、雪芽さんのことだ。
……まただ。また胸が痛む。心臓が冬の寒さで冷やされて小さくなってしまったかのような、冷たい痛み。とても悲しい痛み。
友達がもう7日も目を覚まさないことを心配するのは当然だ。もし晴奈が同じ状況になったら、きっとウチも陽介さんのように不安になるはずだから。
だけど、頭ではそう思ってもどうしても考えてしまう。もしかしたら陽介さんは、って。
「雪芽さん、まだ目を覚まさないんですよね。晴奈から聞いてます。今日もお見舞いに行くんですか?」
答えの分かりきっている質問だ。そしてその答えが返ってきても、ウチの心が晴れることはない。
「ああ。晴奈は由美ちゃんとお泊り会だから先に行ってて、今日は俺一人で行くんだ」
「大変ですね、毎日……」
「大変だなんて思わないよ。今の俺にできるのはこれくらいだから……」
陽介さんはそう言って顔を伏せた。
ウチはその鎮痛な面持ちに、つい裏の意味を探してしまう。
……ダメだダメだ! ネガティブに取り過ぎだって! 普通に考えれば友達を心配してるだけなんだから、裏の意味とかそんなのないって!
普通に、ポジティブに考えればいいんだって。楽しそうにしてくれてないなぁって感じるのも、友達が大変なときにデートに誘ったウチが悪いんだし、当然だよ。
「でも友達のためにそこまでできるのってすごいと思いますよ!」
「そうかな? ありがとう」
そう言って寂しそうに、情けない自分を責めるような笑みを浮かべる陽介さんを見て、ウチの胸には焦りと不安が渦を巻く。
本当に聞きたいことを隠して、自分に言い聞かせて、無意味な会話で取り繕う。
確かめなきゃと思う度に確かめたくないと思う。薄い膜で覆い隠された真実は、直視すればその姿の殆どを確かめられてしまうから、ウチは直視できないでいる。
その薄い膜を取り払った時姿を現す真実は、きっとウチが求めている楽観的なものではないと思うから、夢を見ようと必死に目を瞑るのだ。
確かめなきゃ。そう思って陽介さんにチラリと目をやる。
ウチの正面に座る陽介さんは頬杖をついて窓の外を眺めていて、その目は降りしきる雪に、ここではないどこかに、向けられていたのだった。
――――
無人駅に帰ってきたとき、日はすでに沈んでいた。
駅舎の中にある時計は、短針がもうすぐ6にたどり着くかといったあたりで、まだちょっとだけ薄暗い。
そんな暗さのせいか、寒さのせいか、まだ降り続ける雪のせいか。いつにも増してこの駅は寂れて見える。
「もうだいぶ暗くなっちゃいましたね」
「そうだね。ただでさえ冬で日が短いのに、周りが山だらけだから日照時間が余計短くなるね」
そんな話をしながら駅舎を出る。もう随分と積もった雪があたりに広がる田んぼを覆い隠し、一面を白に染めていた。
それらはかすかな明かりを反射して、まるで自ら光を発しているかのように輝く。
無数の足跡で踏み固められた歩道の雪に、ウチは新たに足跡を刻みなから近づく別れに焦りを感じていた。
手の中で回る傘の柄に、傘を滑る雪の音が重なる。
早く、早く切り出さなきゃ。確かめなきゃ。
でも、今確かめなくてもいいんじゃないかな? 終わりになっちゃうくらいなら別にこのままでも……。
だけどそれじゃあウチはこんな気持ちのままずっといなくちゃいけないし、このままでいいなんてことない。
でも……。
「……ん? 晴奈からだ」
ウチが心の中で葛藤していると、前を歩く陽介さんが立ち止まってスマホを取り出した。
どうやら晴奈からメッセージが届いたらしい。
……今しかない、今しかないんだ。あと一歩踏み出すだけ、それだけなんだから……!
「あの! 陽介さん!」
思い切って声をかけた、かけてしまった。もう後には引けない。
そんな緊張とも高揚とも取れるような感情の中、ウチは陽介さんの返事を待った。
「……陽介さん?」
しかし待っても待っても陽介さんからの反応はない。不思議に思って陽介さんの顔が見える位置にまで回り込んでみる。
そうして見た陽介さんの表情は、今までウチが見たこともないようなものだった。
怒り、絶望、自責。そんな様々な感情をないまぜにした複雑な表情。普段のウチには決してみせることのない、表情。
「……どうして、どうしてあいつが……、広瀬がまだいるんだよ……!」
「陽介さん? どうかしたんですか……?」
「えっ? あ、あぁ、なんでもないよ。大丈夫、大丈夫だから……」
ようやくウチの声が届いた陽介さんは、ウチの顔を見ると安心させるように笑みを浮かべた。
でもその笑みはどこかぎこちなくて。まるでウチに心の中を見られまいとしているみたいで。
「……どうして」
「……由美ちゃん?」
「どうして陽介さんはいつもそうやって隠そうとするんですか? ウチがまだ子供だからですか?」
感情が溢れて、ウチの口から言葉がこぼれていく。
押し留めていたものが耐えきれなくなって、外に出ようともがき始める。
「何の話? 俺は別になにも隠そうとなんて――」
「してますよ。今のメッセージ、また雪芽さんに関わることなんですよね? 広瀬さんってたしか雪芽さんの彼氏さんで、陽介さんにひどいことした人だったし。きっとその広瀬さんが雪芽さんのところにいるんでしょ?」
「どうしてそこまで……」
「分かりますよ。あたしは陽介さんの彼女なんですよ? いつだってあたしは陽介さんのことを見ていて、陽介さんのことを考えています。だからそれくらいちょっと考えれば分かります」
「そう、か……」
自分は陽介さんの彼女なのだと、そう口にすると胸がズキリと痛んだ。
ウチは陽介さんの彼女のはずなのに、この人を支えることができない。本音で話すことも、話してもらうことも。
ウチらは付き合う前と後でなにか変わったのかな? きっと変わったのは一緒にいる時間くらいだ。
「……そんなに辛いなら、行かなければいいんですよ」
「え……?」
「お見舞いなんて毎日行かなくたっていい。そんな顔をするくらいなら行かなければいいんです。後でいくらでも行けるじゃないですかっ」
「あとで、いくらでも……」
「そうですよ! どうせお見舞いに行っても雪芽さんは寝たままで、陽介さんの声になにも返してくれない! それならウチともう少し一緒にいても――」
「……いや、違うよ。後でいくらでも会いに行けるわけじゃないんだ」
「え?」
陽介さんは手にしたスマホを硬く握りしめると、決意を宿した瞳でウチをまっすぐに見つめた。
「忘れてた。いつでも好きなときに会いたい人に会えると思ってた。でも違うんだ、違ったんだ。会いたい人に会えるのは今だけ。今この瞬間だけなんだ」
「そんなっ、今日か明日かで変わるなんてこと……!」
「あるんだよ、由美ちゃん。俺も続く日常の中で忘れかけていた。あいつに、雪芽に会えるのは今日が最後になるかもしれないんだから」
陽介さんはスマホをしまい込むと開いていた傘を閉じる。
……あぁ、なにが違うんだろう。
陽介さんにここまで言わせて、こんな表情をさせる雪芽さんとウチの違いは何なんだろう。
「ごめん由美ちゃん、俺行かないと」
あんなに辛そうな顔をしていたこの人を、ここまで奮い立たせてしまうものは一体何なんだろう。
見た目? 年の差? 性格? きっとどれも違うんだろうなぁ。そんな上っ面の浅い部分じゃない、もっと深くて特別ななにか。今のウチがどれだけ背伸びしたって追いつけないなにか。
「……敵わないなぁ」
分かってたけど、それでも思ってしまう。
今すぐには無理でも、いつか陽介さんは本当にウチのことを好きになって、誰もが羨むような最高のカップルになれたんじゃないかって。
確かにウチはまだ子供かもしれないけど、うんと努力して陽介さんに見合う素敵な女性になって、いつまでも、一緒に――
「陽介さん!」
ウチに背を向ける陽介さんの手をとると、ウチの手を離れた傘が地に積もる雪に新たな跡を刻む。
陽介さんの手は決意に満ち溢れ、熱くたくましかった。
「ごめん由美ちゃん、でも俺――」
「分かってますっ! でも、だからこそ最後に一つだけっ……」
足を止めて振り向く陽介さんのその目をまっすぐに見つめて、ウチは終わりを始める一言を放った。
「大切な、お話があります」
だーいぶお待たせしてしまい、申し訳ありません……。
田電、更新再開です。




