113話 真白の夢は瞬く間に過ぎていく 下
「おっと、おしゃべりしているうちに気がつけばもう6日が経ってしまったようだ」
なんてことない私の話をして20分位が経った頃、真白さんは思い出したようにそう言った。
「え!? 私もう6日も眠ったままなんですか!?」
「そうだね。そして今日は意外なお見舞客が来ているようだ」
本当に現実の時間の流れは早いんだ……。少し世間話をしているだけで数日があっという間。ちょっと不安になってきちゃう……。
真白さんは目の前にスクリーンを作り出すと、再び私の眠る病室を映し出した。
『おい! 雪芽に触れるな!』
途端に響く怒号に、私の肩が跳ねる。
「おやおや、随分と険悪だね」
「な、なにが……?」
「さあね、少し様子を見てみよう」
私がスクリーン上の険悪な雰囲気に飲まれている横で、真白さんは落ち着いていた。
『なぜお前にそんな命令ができる? 雪芽は俺のものだ。心はまだ手に入れられてないが、いずれ俺の手中に収まる。たかだか親友程度のお前がでしゃばるなよ』
『ッ……! ゆ、雪芽はお前のものじゃない!』
『だとしてもお前のものでもない。俺は恋人だ。雪芽もそうありたいと望んでこの関係でいるんだ。俺は雪芽に触れる権利があるんだよ』
真白さんに倣ってスクリーンの光景を見つめていると、どうやら広瀬君と陽介が言い合いをしているらしい。争点は……、私のこと?
広瀬君はゆっくりと寝ている私に手を伸ばし、髪に触れた。
そのまま頭を撫で、髪を手に取り、その感触を確かめるように手をこする。
その光景に私は思わず自分の両肩を抱いて首をすくめた。寒気が全身を駆け巡る。
「え……」
「おぉ、これはこれは」
それからの光景を、私はあまり集中して見れなかった。
まさか病院にまでやってきて、まるで私に逃げる場所なんてないって教え込むかのようで、とても恐ろしい。
どうしてそこまでするのかという疑問より先に、私はこの人から逃れられないんだという恐怖が全身を襲う。
『大丈夫、いきなり唇を奪ったりなんてしないさ。それじゃあ意味がないからね』
陽介が出ていって私と広瀬君だけになった病室で、広瀬君は幼子に言い聞かせるようにそっと呟いた。
その声は先程陽介に向けていたものとは比べ物にならないほど優しげで、私は耳を疑った。
『だから早く起きてくれよ』
広瀬君はそう言い残すと、私から離れて病室においてあった椅子に座った。
そのときにちらりと見えた表情はとても楽しそうな笑みで。私は恐怖で足がすくむような思いだった。
そこまで見届けたところでスクリーンは霧散した。
「どうして広瀬君が……」
「彼の母親の知り合いが君の入院している病院に勤めているようだね。その伝手で知ったようだ」
「……私、広瀬君から逃げられないのかな……?」
逃げられない。そう呟いてみるとそれが真実に思えて、私はどうしようもない無力感に襲われる。
広瀬君はとても周到に陽介を追い込み、私に近づいた。まるで巣にかかった獲物を捕える蜘蛛のように。
そして安全だと思っていた場所は、実はまだその巣の中で。結局私は蜘蛛の糸で雁字搦めにされたまま、食べられてしまう時を待っていることしかできないんだ。
「逃げられはしないだろうね。だけど打ち倒すことはできる」
「倒す……?」
真白さんの言葉に私は思わず顔を上げる。
「そう。だって君は決めたんだろう? 広瀬と別れて、また陽介たちと楽しく笑い合える関係に戻りたいと。そのためには広瀬に立ち向かわなくてはいけない」
「……そう、ですよね。だって私はひとりじゃないですもん。なっちゃんやヒナだっているし、きっと陽介も」
「そうだとも。君にはたくさんの味方がいる。孤独なんかではないんだ」
「はい!」
真白さんは私の返事に満足気に頷くと、感慨深げにため息をついた。
「いやー、しかし広瀬があそこまで暴走するとはね。君、愛されてるね」
「あ、あんな愛ならいらないですっ!」
「まぁそう言ってやらないで。彼もいろいろあるのさ」
哀れみを孕んだ声で真白さんは言った。その目はどこか遠くへ向けられている。
しかし、真白さんはその哀れみを切り捨てるかのような厳しい声で続けた。
「でも、彼は選ばれなかった。選択肢にすら上がってこれなかった。だからその想いは叶ってはいけないんだ」
「えっと……?」
「ん? あぁ、ごめんごめん」
なにがなんだか分からずにいる私を見て、真白さんは頭をかきながらこちらを向いて謝った。
そして再び遥か空の彼方を見つめるように視線を投げて、呟くように言った。
「もし運命が違っていたら、そんな未来もあったのかもしれないっていう話さ」
……えっと、何の話だろう? 広瀬君の話、だよね……?
真白さんは疑問符を浮かべる私を見て、愉快そうに笑った。
「うんうん、今を生きる君には関係のない話だったね、忘れておくれ。……おっと、そういえば夢から覚めたら全て忘れてしまうんだったね。じゃあ安心だ」
わざとらしくカラカラと笑う真白さんの横で、私は目が覚めたあとのことを思って少しだけ不安になった。
目が覚めたら、広瀬君がいるのかな。すべてを忘れて目覚める私は、その時今よりももっと恐怖するのかな。
……少しだけ、目覚めたくないと思っちゃった。
カンカンカンカン――。
その時、遠くから遮断器の警報機が鳴る音が聞こえた。それと同時に電車の到来と注意喚起を促すアナウンスも流れる。
「おや、楽しい時間というのはあっという間だね。もう1時間だ」
真白さんは穏やかな声でこの夢の終わりを告げる。
「ほら、行っておいで。そして目覚めて、君のすべきことをするといい」
真白さんに促されて私はベンチから立ち上がる。そして真白さんに向かって頭を下げた。
「ありがとうございました。少しの間だったけど、とってもお世話になりました」
「なにを言っているんだい? お話に付き合ってもらったのは私の方だ。君の貴重な時間をどうもありがとう」
そう言う真白さんが笑みを浮かべているような気がしたから、私も微笑みを返した。
そして日の当たるホームへと踏み出す。私の肌を焦がす太陽の暑さを感じながら、どこまでも広がる蝉の声に空を仰ぐ。
電車がゆっくりとホームに入ってきて、私の目の前で停車する。
「雪芽」
私はロックの解けたドアを開けようと伸ばす手を止め、振り返る。
「またここで君に会えて良かった。最後に会えて、話ができて、本当に良かった。ありがとう」
真白さんはそれだけ言うと満足したように頷いて、早く電車に乗るように促した。
私は重いドアを開けて電車に乗り込み、ベンチに座ったまま少しも動かない真白さんを見つめていた。
「……――――、――――――」
発車の笛がなって今まさにドアが閉まると言った瞬間、真白さんはなにか言った。
その声は閉まるドアの音にかき消されて聞き取れなかったけど、なぜだかこっちを向く真白さんは笑っている気がした。
ドアが閉まり、電車が動き出す。
私は手を振る真白さんに手を振り返しながら、一人駅に取り残された真白さんの姿に、言い得ぬ寂しさを感じた。
……まるであの日の私のようだ。電車に乗る私はあの日の陽介で、駅に残った真白さんはあの日の私。
みるみるうちに電車は加速して、気がつけば駅はずっと遠くになってしまった。
私は車窓の外の夏の景色を尻目に、席につく。
ふわふわとした座席の感触に、私は少しずつ頭がぼーっとしてくるのを感じる。徐々に睡魔が襲ってきて、瞼が鉛のように重くなっていく。
車内が暖かい光で満ちて、車窓に映っていた景色は光の中に消えていく。
霞む視界は真っ白な光で満たされて、私の意識は線路を走る電車の音にさらわれていった。
――――
……また、あの夢だ。何度見たともしれない不思議な夢。
今度は白い部屋ではなく、私はあの駅のベンチに座っていた。陽介と出会ったあの日と同じように、たった一人で夏の駅にいる。
格好は昔入院していたときに来ていた寝間着で、余所行きの格好ではなかった。
今ではよく見知った駅の景色を眺めながら、それでも私はここはどこだろうと思いを巡らせる。
「やあ、久しぶりだね雪芽」
左隣から聞こえてきた少し遠い声に、私は自分でも驚くほど落ち着いて視線を投げる。
そこには全身が白くぼんやりとした、顔もなければ体格も分からないような人影が座っていた。
その人影は声や仕草からでは男女や年齢の区別もつかない、不思議な人影だった。
「私のこと、知ってるんですか?」
「もちろん。私は君をよく知っているよ。……いや、それほどは知らないかもしれないが」
「私はこんな真っ白な人影を知り合いに持った記憶はありませんけど」
「ははっ! それはそうだね。でも訳あって君に姿を見せるわけにはいかないんだ。許しておくれ」
「ええっと……、はい、分かりました」
人影は頷くような仕草をすると、ベンチから立ち上がって日の当たるホームへと躍り出る。
そうして日に当たっても、その人影はまるで貼り付けた絵のように少し青みのかかった白色でそこにいる。
「雪芽、私がこうして君に会いに来たのはね、大切な話があるからなんだ」
人影は私の正面に立つと、こちらを振り返って鷹揚に手を広げる。
「君は近い将来死ぬ運命にある」
重々しくも、軽々しくもない。極めて事務的な感情の籠もっていない声で人影はそう言った。
笑っているのか泣いているのか。怒っているのか哀れんでいるのか。人影の表情は伺い知ることはできない。
そんな自分の死を告げる言葉を聞いても、私の気持ちにはなんの変化も来さなかった。
いや、正しくは諦めと安心という変化はあったけど、でもその事実は予想できたことだったから、泣いたり怒ったり、そんな激しい感情は湧いてこなかった。
「死ぬんですか。でもこれでお父さんとお母さんは楽になるかな」
「……楽になるわけがないだろう。余計に辛く苦しいに決まっている。そんなことを言うものではないよ」
今度はこの人影がなにを思っているのかはっきりと分かった。
白い靄の向こうから、怒りの籠もった視線を感じる。
「……いや、説教をしに来たわけではなかったな。なんにせよ、君の死は未来で確定している。だがそれではあまりに可愛そうだ」
人影は再び事務的な声で私の死を告げる。
そしてわざとらしいくらいに鷹揚に私に手を差し伸べると、
「そこで、君の願いを一つ叶えることにした。どんな願いでもいい」
そんな事を言った。
とても怪しくて普段なら相手にもしないけど、きっとこれは夢だ。こんなおかしな人影が現実にいるわけがないもん。
「さて、では問おう。君は何を願う?」
死んでしまう前に一つ何でも叶えられるなら、私はなにを願う?
死にたくないなんて、すごく今更なことを願ったところでしょうがない。沢山の友達がほしいとかも少し違う気がする。別に友達がいなかったわけじゃないし。
もっと普通の女の子が当たり前に経験していくことを、私は最後に望みたい。結婚とかそんな先のことは分からないから、もっと身近な何か。
「私は……」
そこで私はある一つの願いに行き当たった。
白い人影はじっと私の答えを待っている。
そうだ、私はここであの人影の質問への答えを言ったんだ。なんと言ったのか、今なら確かに思い出せる。
「私は、恋がしてみたかったです。
ドラマや漫画のような、熱くてドラマチックなものじゃなくても、平凡で欠伸が出そうなものでもいい。私が心から好きだと思える人と、私にとってとびっきりの恋を、してみたかったです」
……そうだ。そうだった。私は死の未来を聞かされて、そんなことを願ったのだった。
死ぬ前にせめて、普通の女の子のように誰かに恋をして、笑ったり泣いたり、そんな当たり前のことをしてみたかったと。
白い人影は私の答えを聞いて少しの間呆けたように固まっていたけど、やがてしっかりと頷いた。
「ああ、分かった。ではその願いを叶えよう」
人影がそう言った直後、私は目を覚ました。
目の前には白い天井が広がっていて、私の周りを囲うようにカーテンレールが走っている。
薄暗い病室は怖いくらいに静かだった。
……夢を見ていた。死を前になにを願うかと問われる夢を。
思い出した。やっと思い出せた。私がこっちに引っ越してくる前に見た不思議な夢のことを。あの駅で、不思議な雰囲気のあの人と話をしている夢のことを。
「……あの人って、誰のことだろう?」
……だめだ。思い出せない。誰かと話していたはずなのに、それがどんな人物だったのか、まるで思い出せない。
その人のことを知っているような、なにか大切なことを話していたような気がするのに、思い出せないでいる。
「あ、お花……」
なんとなしに目をやった窓辺に、綺麗なお花が花瓶に挿しておいてあった。陽介が置いていってくれたお花だ。
……あれ? どうして陽介が置いていってくれたって分かるんだろう? う~ん、運命とか?
「……そんなわけないか」
でも、あの夢の内容が本当だったとしたら、私は今もこうして生きていて、陽介に恋をしている。それってまるで運命のようだと思えなくもない。
だけど陽介は由美ちゃんと付き合ってるんだよね。そして私も広瀬君の彼女のまま。やっぱり夢は夢なんだよね。
「広瀬君とは別れたいけど、別れられないよ……」
その時私はなにかを思い出した。それがどんな記憶だったのかは分からないけど、浮かんできた言葉がある。
「選択肢を見つける……。自分がなにをしたいのか、どうなったら嬉しいのか……」
別れられないんじゃない。その選択肢を見つけられないでいるだけなんだ。
私一人で見つけられないなら友達に頼ればいい。だって私は独りじゃないから。
そして私は以前みたいに陽介たちと笑い合えるような関係に戻りたい。それから自分のこの想いを陽介に伝えたい。
でも、それよりもまず私が願うのは――
「――陽介に、会いたいな……」
更新だいぶ遅くなって申し訳ありません。いろいろごたごたしてました。




