112話 真白の夢は瞬く間に過ぎていく 上
「おや、そんな事を話しているうちにまたお見舞いが来たようだね」
雲を眺めていた真白さんは、そう言って再び空中にスクリーンを作り出し、今の私を映し出した。
自分が消えちゃうってことをそんな事って……。緊張感がないっていうかなんていうか……。
「どうやら3日目の今日は由美が来たようだね」
映し出された映像では、陽介と晴奈ちゃん、そして由美ちゃんの姿があった。
私は彼女の姿に思わず体が強張る。
陽介の彼女、なんだよね……。由美ちゃんが陽介に気があるのは気づいていたけど、心のどこかで大丈夫だって思ってたんだ。うまくいくはずがないって。
でも、蓋を開けてみれば由美ちゃんは陽介の恋人になって、私はこうして寝たままだ。
……惨めで、これ以上映像を見ていられなかった。
『……ねえ、晴奈。陽介さんって雪芽さんのことどう思ってるなかなぁ?』
『なに? 浮気でも疑ってんの?』
『いや、そうじゃないけど、陽介さんがあんまり真剣だったからさ』
「え?」
しかし陽介が病室を出ていった後の二人の会話に、私は思わずそらしていた顔を上げた。
『特別な何かはあると思う。夏休みの頃から、お兄ちゃんが別人みたいになったあの頃から、お兄ちゃんにとって雪芽さんは特別なんだと思う』
『それって、好きってこと……?』
『分かんない。でも少なくともお兄ちゃんは好きだとは思ってないんじゃない? じゃなきゃ由美の告白受け入れたりしないし』
特別……。私が、陽介にとって特別。
それは分かっていたことだった。私の特別に、私にとっての太陽になりたいと言ってくれた陽介は、きっと私に肩入れするなにかがあるんじゃないかって。
でもそれが好きって気持ちとは限らない。晴奈ちゃんの言う通り、もし私のことが好きなら、陽介は由美ちゃんの告白を受け入れたりしないだろうから。
そんなこと、分かってはいたんだけどなぁ。改めて言われると、やっぱりショックだよ……。
まだ自分の気持ちを伝えてもいないのに拒絶されたような感じ。告白する前に振られちゃったみたいな、そんな虚しさがある。
でも、それも当然だよね。だって私は広瀬君と付き合ってるんだもん。先に別れろって言ってくれた陽介を拒絶したのは私なんだから。
結局、私はどうしたかったんだろう。はじめは陽介を守りたくて、私にできることなら何でもしようって思ってた。
でも、好きでもない人と恋人になって、好きな人に恋人ができて。得られたものより失ったもののほうが大きいような、そんな気がする。
陽介を守れたならそれでいいって、そう笑えるならどれだけ良かったんだろう。でも私はそこまで強くはないから、今は少しだけ後悔しちゃってるのかも知れない。
「由美は陽介の気持ちの向く先が気になっているようだね」
「はい……」
「……。そんな顔をするんじゃない。君にはそんな顔をする資格はないのだから」
真白さんはスクリーンを消すと、優しさの中にも厳しさを孕んだ声でそう言った。
「これは君が選んだ結果だ。君が広瀬と付き合うと決めた時。陽介に別れろと言われて断った時。こんな未来が訪れる可能性は十二分にあった。だから君はこんなはずじゃなかったなんて顔をする資格はないんだよ」
真白さんは徐々に厳しさを増す声で、私を諭す。
……その通りだ。私が広瀬君と付き合いだして、陽介と今まで通りの関係でいられるなんて、あり得なかったのに。こんなことになるなら広瀬君の恋人になんてならなかったかもしれないなんて、そんなことを思う資格はない。
真白さんは自分の膝に肘を立て、掌に顎を乗せると、向こうの田んぼを眺めながら言った。
「この結果に至ったのは君の選択だ。君はそれが最善だと思って選択したのだから、その選択に、その結果に責任を持たなくてはいけない。その選択がもたらす結末を大まかにでも予測して、最悪の結果を想像して、それでもいいのだと思えて初めて選択しなくてはいけなかったんだ。だから君はそんな顔をしてはいけない」
「はい……」
私は足元を見つめながら、返す言葉も見つけられなかった。
聞こえてくる蝉の声も、私を攻め立てるかのように勢いを増していく。
「でも」
真白さんは体を起こし、田んぼに向けていた視線を私に向けると、柔らかな声をかける。
「予測して選択することなんて難しいだろう。なにせ君はまだ若いのだから。
予測とは経験の賜物だからね。若いうちは何回も失敗して、その度に次はどうしようって対策をねって、また同じ選択肢が現れたときに、同じ結末にならないように手を打てるんだ。
だからまだなにも終わってなんかいないんだよ。君はここから何度でもやり直せるんだから」
ここから、何度でも……? もうどうしようもないって思えるようなこの現状を、ここから変えていけるっていうの?
「でも、陽介にはもう由美ちゃんという彼女がいて、私も広瀬君とは別れられない……。これじゃあなにも変えられませんよ」
すると真白さんは呆れたようにため息をついて、少し怒ったような声で返した。
「じゃあ君はなにもしないことを選択するんだね? このままなにもせず、流されるがままに揺蕩って、起こりうるすべてを受け入れていくんだね? なにも変えたくないのならそれでもいい」
……変えたい。もし変えられるなら、こんな現状を変えたい。
また前みたいに陽介と一緒にいたい。みんなでなんでもないことで笑っていたい。
「……いやです。なにもしないままでいるなんて、私嫌です!」
顔を上げた私に、真白さんは大きく頷く。
「それなら顔を上げて進まないといけない。行く先の道を選んで、歩いていかなくてはいけない」
「でも私、どうしようもないです……。このままじゃだめだって分かってても、どうしたらいいのか分からないんです……」
真白さんは思考を巡らせるように唸ると、再び田んぼに目を向けた。
「君は今自分で選択肢を狭めてしまっているんだよ。だからどうしようもないと思ってしまう。
でも本当は君が取れる選択肢は無数にあるんだ。常識や固定観念というものがそれらを不可能だと切り捨ててしまっているだけでね。だからまずはそれらを見つけるところから始めるといいよ」
「選択肢を、見つける?」
「そう。まずは君がなにをしたいのか、どうなったら嬉しいのかを考えてみるといい」
なにをしたいのか、どうなったら嬉しいのか。そんなことは簡単だ。
「私、陽介と一緒にいたい。一緒に笑い合えるような、そんな関係に戻りたい! それで、ちゃんと私の思いを伝えたいです!」
「そう、それでいい。それでいいんだよ」
そう言った真白さんは、とても優しい笑みを浮かべているような気がした。
そうだ、まずは陽介と前の関係に戻れるよう、広瀬君とはお別れしなくちゃ。でもそうすると陽介が危ないから、まずはなっちゃんやヒナに相談してみようかな!
私は湧き上がってくる感情のままにベンチから立ち上がる。
「そうと決まればこうしちゃいられない! 私帰ります! それで広瀬君とお別れできる方法を探します!」
「いや、だからまだ帰れないんだよ? まだ1時間経ってないからね?」
「あ、そうだった。忘れてました……」
私はそっとベンチに座り直した。
うぅ、ようやく私がどうすべきか見つかったのに、ここで座ってることしかできないなんて……。早く帰りたいなぁ。
「それに、目覚めたとしても君はここでの出来事を忘れてしまうから、急いで帰ったところで意味はないよ」
「え!? 忘れちゃうんですか!? じゃあ今までの話は一体なんの意味が……」
「はははっ! ごめんごめん、最初に言うべきだったかもね」
真白さんはなにがおかしかったのか、ひとしきり声を上げて笑うと、目元を拭うような仕草をした。
涙が出るほど笑うことじゃないよ……。というより真白さんって涙出るんだ。
「これは夢だからね。目が覚めたら忘れてしまうんだよ。でもすべてを忘れてしまうわけじゃない。夢から覚めた時、断片的に夢の記憶が残るだろう? あれと同じで少しだけなら目が覚めても覚えているかも知れない」
「でも、私がした決意とか、大事なことを忘れちゃったら意味ないじゃないですか」
「感情を揺さぶるようななにかというのはなかなか忘れ難いものだ。よくあるだろう? 目が覚めると何だったのかは覚えてないけど、なにか怖い夢だったとか、楽しい夢だったとか、感情だけは覚えているということが」
「で、でも、それだけじゃ困ります!」
真白さんはまた少しの間笑うと、同意するように何度か頷いた。
「うんうん。でもそれでいいんだよ。この夢の中からたったひと粒でもいい、大切ななにかを持って帰れるなら、それでいいんだ」
「なにも良くないんですけどっ!」
「ははっ! そうかそうか、なにも良くないか! でもそれでいいんだよ」
「いやだからっ!」
そんな堂々巡りに迷い込みながらも、真白さんは楽しげだった。
なんだかこの人、本当に見た目は白い人影なのに、話をする度に表情が、感情が、透けて見える。
この人のことはなにも知らないけど、よく知っているような……、不思議な人だ。
「まぁそれはそれとして、まだ時間も余っていることだし、君の日常のことを聞かせてくれないかな」
「日常、ですか?」
「ああ。今は冬だろう? だからこの町で感じる冬の寒さや、秋の紅葉とかなんでもいい。学校に通い始めてから今までに、君が感じてきたことを話してほしいんだ」
「うーん、学校に通い始めてからだと……。あっ、なっちゃんと陽介のことで喧嘩しちゃって……。修学旅行が終わるまで仲直りできなかったんです」
「夏希と喧嘩? 詳しく聞かせておくれよ」
それから真白さんは私が話す今までの出来事に、興味深そうに耳を傾けていた。
大小様々な出来事に、楽しげに、あるいは悲しげに。驚き、安堵し、怒りを顕にする。真白さんは様々な感情に染まりながら、私の話を聞いてくれた。
なんでもない話を興味深げに聞いてくれる様子は、なんだか孫の話を聞く祖父母のようだと、そんなことを思った。




