109話 乙女の不安は雪のように積もって
朝目が覚めて、薄暗い部屋に光を取り入れるべくカーテンを開ける。
しかし部屋の明るさは大して変わらず、ぼんやりと暗いままだった。
「今日も雪かぁ」
「ミャァ……」
ミーちゃんもウチが出た後の布団に潜り込んで寒そうだ。
空を覆う垂れ込めた雲のせいで、ここ最近まともに太陽を見てない気がする。
そしてクリスマスの夜から降り続く雪のせいで、町はどんどん白く染まっていく。道も、車も、家も。窓の外にある全てが白い。
もう6cmは積もったかな。お母さんもここらで豪雪になればあっという間に30cmは積もるかもて言ってたなぁ。そうしたら晴奈んちでかまくら造ったり雪合戦したりして遊べそう。
それともうちで小さなかまくらを造って、陽介さんと密着なんていうのもいいかも! クリスマス以降会ってないし、そろそろウチの寂しさゲージがマックスになりそうだし!
「でも、陽介さん忙しいかなぁ……」
クリスマス以降も頻繁に連絡はとってるんだけど、最近返信が遅いし、返信があってもそっけないように感じる。
「きっと忙しいだけ……。うん、そうだよ」
少しだけ、不安になっちゃうよ。陽介さんはウチのことどう思ってるのかなって……。
……ううん、悩んでても仕方ないっしょ! だったらウチから積極的にアピってくだけだし!
ウチはスマホを手に取ると、陽介さんにメッセージを送った。
『今度暇な日ありますか? 良ければあたしの買い物に付き合ってもらいたいなーって』
……まぁ、すぐには既読もつかないよね。顔でも洗ってこよっと。
そうして顔を洗って帰ってきても、宿題をしながら3時間ほど待ってみても、既読はつかなかった。
やっぱり忙しいのかな……。それともまだ起きてないだけとか。
何なら晴奈にメッセ飛ばして聞いてみてもいいし。そうしてみよっかな……。
そう思って晴奈とのトーク画面を開いたところでポップアップが陽介さんからの返信を告げた。
「来た!」
ウチは飛びつくようにポップアップをタップして返信の内容を確認する。
『明日なら大丈夫だよ。用事があって午前か午後のどっちかになっちゃうけど』
「陽介さん忙しそうだなぁ……」
それなのにウチのわがままで煩わせてもあれかなぁ。でもウチ陽介さんに会いたいし……。
『じゃあ午前中からお昼まででどうですか? あんまり忙しいようならまたの機会にしますけど……』
『それで大丈夫だよ。じゃあ集合時間は――』
そうしてあっという間に明日のデートの予定が決まった。悩んでいたのがバカみたいだ。
「やっぱり行動あるのみっしょ! 陽介さんとのデート楽しみっ! ねー、ミーちゃん」
「ウニャ?」
…………。
陽介さんもウチと同じくらい楽しみにしてくれてるかな。ウチと会いたいって、話したいって、そう思ってくれてるかな。
……ううん、そういうのも含めて明日確かめればいいんじゃん! 弱気になるな〜、ウチ!
明日着ていく服は何にしようか、会ったら何を話そうか。
そんなことを考えて、ウチは明日に向けて気分を盛り上げていくのだった。
――――
次の日も雪が降っていた。
霙っぽかった雪は、本格的な冬の冷え込みと足並みをそろえるようにして、ふわふわとしたものに変わっていく。
「由美ちゃんお待たせ」
「あ、陽介さん!」
空を見上げていた視線を声の方へ向けると、ウチが焦がれ続けた陽介さんの姿がそこにあった。
ウチは積もり積もった思いを抑えきれず、思わず陽介さんに向かって駆け出す。
「きゃあっ!」
しかしその途中で足を滑らせてしまって、前のめりに倒れ込んでしまう。
目を瞑って来る衝撃に備えると、ウチが想像していたよりもずっと優しい感触がウチを包んだ。
「おっと、走ったら危ないよ」
目を開けて見上げると、優しい微笑みを浮かべた陽介さんがウチを見下ろしていた。
ウチと陽介さんの距離はゼロ。ウチは危ういところを陽介さんに抱きとめられたんだ。
あ、あぁぁぁああ!? ヤバイヤバイ! ずっと会いたくても会えなかったから好きが積もって、こんなにも陽介さんがかっこよく見える!
ヤバい、本気でどうしよう……。好きが溢れて止まんない。好きすぎて心臓破裂しそう……。陽介さんの腕の中暖かくて男の人らしく硬くて優しい眼差しでウチを見て――
「きゅぅ」
「ゆ、由美ちゃん!? どうしたの!?」
あぁ……。幸せすぎてウチもう死んでもいいかも……。
もうどこにも行かなくていいや。今日一日ずっとこうして陽介さんの腕の中にいられるなら、ウチはそれで満足……。
「あの、由美ちゃん? 寒いからそろそろ駅舎に入ろう?」
1分ほどそうして密着していると、さすがの陽介さんもそう提案してきた。
ま、まぁそうだよね。さすがにこんな公衆の面前でずっと抱き合ってるわけにはいかないよね。
久しぶりに会った陽介さんがあまりに素敵だったから我を忘れていた。
でも昨日までうじうじ考えてたのが馬鹿みたい。会って陽介さんの顔見たらそんな不安なんて吹き飛んじゃった。
ウチは陽介さんの腕にピッタリとくっついて、駅舎に入っていく。
陽介さんは少し歩きにくそうだったけど、何も言わないでいてくれた。
駅舎のベンチに座ると、陽介さんはそっと手を差し出してくれた。
ウチはそのことが嬉しくてすぐにその手を取った。
「ごめんね、本当は一日一緒にいてあげたいんだけど、大事な用があって」
「いえいえ! あたしこそごめんなさい。忙しいのにわがまま言って……。それで、用事ってなんなんですか?」
忙しいって言われて、はいそうですかって納得できるほどウチは聞き分けが良くない。
もしかしてそれはウチに会いたくないから言ってる言い訳なんじゃないかって、そんな考えが頭をよぎる。
ウチの質問で繋いだ陽介さんの手がこわばる。
見てみれば表情もこころなしか暗く見える。
「由美ちゃんには言ってなかったね。実は数日前に雪芽が倒れてね。入院してるんだ」
「え!? 雪芽さん大丈夫なんですか?」
「まだ意識が戻らなくて、原因がよく分からないんだってさ。それで心配でお見舞いに行ってるんだ」
その口ぶりはこれまでに何回かお見舞いに行っていることを思わせた。
今日だけじゃない。もしかしたら雪芽さんが倒れてから毎日、陽介さんはお見舞いに行っているのかも知れない。
そう思うとなんだか胸の奥が冷たくなった。
「それで今日もお見舞いに行くんですね」
「ああ、晴奈も一緒にね。それに、雪芽が目を覚ますまではどのみちそれしかできないだろうし……」
陽介さんのその表情はとても真剣で、ここじゃないどこかを見ていた。
ウチじゃない。今の陽介さんはウチを見てくれてないんだ。
「陽介さん、そのお見舞いあたしもついていっていいですか?」
「え? うんいいよ。でも行って花瓶の花を世話するくらいで、面白いことはなにもないよ?」
「あたしも雪芽さんとは何度か遊んでもらいましたし、一度くらいはお見舞いに行きたいんです」
「そっか。ありがとう」
そう言って見せた陽介さんの微笑みは、さっきウチに向けられていたものより温かいような気がした。
……どうしてそんな風に考えちゃうのかな。どうしてこんなに不安に思っちゃうのかな。
思わずギュッと握る手を、陽介さんが握り返してくることはなかった。
それからのデートも、ウチは心の隅に残るしこりのせいで、全力で楽しめなかった。
陽介さんに服を選んでもらっても、雪遊びをしたいという話をしていても、ランチを一緒に食べていても、どこかで不安が顔を出した。
不安を拭いたくて、陽介さんにウチのことをどう思ってるのか確かめようとも思った。でももしウチの期待するような答えが返ってこなかった時のことを思うと、怖くて聞けなかった。
そしてそんな不安は、雪芽さんのお見舞いに行っても変わることはなかった。
ウチは自分の中にある漠然とした不安を拭えることを期待していたんだ。陽介さんが雪芽さんのことを心配しているのは友達だからなんだって。そこに特別な感情なんてないんだって。
「よっ、雪芽。今日も来たぞ」
でも、お見舞いにきて雪芽さんの姿を目にした陽介さんを見て、ウチの不安は拭えるどころかより大きくなってしまった。
「花の水取り替えるな。お前が目覚めるまで枯れされるわけにはいかないからな」
あんな風に優しく微笑んで、話しかけて。そして本当に心配そうに顔を歪めて。その目に深い悲しみを湛えている。
「じゃあ行ってくる」
陽介さんはそう言い残して病室を出ていった。
残された晴奈は、紙袋から取り出したいくつかの折り鶴を、ベッドの横にすでにかけられた千羽鶴に付け足していく。
「……ねえ、晴奈。陽介さんって雪芽さんのことどう思ってるなかなぁ?」
「なに? 浮気でも疑ってんの?」
「いや、そうじゃないけど、陽介さんがあんまり真剣だったからさ」
晴奈は折り鶴を付け足す手を止めて、ウチに振り返る。
「特別な何かはあると思う。夏休みの頃から、お兄ちゃんが別人みたいになったあの頃から、お兄ちゃんにとって雪芽さんは特別なんだと思う」
「それって、好きってこと……?」
「分かんない。でも少なくともお兄ちゃんは好きだとは思ってないんじゃない? じゃなきゃ由美の告白受け入れたりしないし」
「そう、かな」
「そうそう。心配ならあたしからバカ兄貴に聞いとくけど?」
そう言いながら晴奈は折り鶴を付け足す作業に戻っていく。
その背中が心配いらないって言ってくれてるような気がして、ウチは少し元気づけられた。
「ううん、大丈夫!」
「そ」
それから陽介さんが帰ってきて、ウチらは帰ることにした。
別れ際に初詣に行く約束を取り付けて、またねと言って別れた。
初詣に一緒に行けるのは楽しみだ。さすがに振り袖とかは着れないけど、年の始まりを好きな人と一緒に過ごせるのは素敵なことだと思うから。
……でも、ウチは胸に残る不安は綺麗さっぱりとは消えてくれなかった。
ウチはそんな不安と戦いながら家路につくのだった。
――――
1月1日。ついに年が明けた。
大晦日に入ると雪は勢いを増して、あっという間に20cmの積雪になった。厚底のスノーブーツを履いていかないとあっという間に浸水してしまう。
午前中に地元の神社に行くと、陽介さんと眠そうな晴奈がすでに待っていた。
「あけましておめでとう。今年もよろしくね、由美ちゃん」
「おめよろー」
「あけましておめでとうございます、陽介さん! 今年もよろしくおねがいしますね! 晴奈もおめよろー!」
新年の挨拶もそこそこに、ウチらは神社の石段を登り始める。
この神社のあたりまではあまり来ないけど、たまに来ても人がいるのを見たことがない。それなのに今日はまばらに人がいて、多少賑わっているようだ。
若い夫婦もいたりして、ちょっとびっくり。
手水舎で陽介さんに倣って体を清めて、拝殿に3人並んでお賽銭を投げ込む。そして二礼二拍手の後に目を閉じて願いを込める。
――陽介さんとずっと一緒にいられますように。あと雪芽さんが良くなりますように。
目を開けて隣を見てみると、陽介さんはまだ静かに祈りを捧げていた。
……何をお願いしてるんだろう。やっぱり雪芽さんのことかな。
陽介さんはしばらくそうして祈ったあと、そっと目を開けて一礼した。
ウチと晴奈も陽介さんに合わせて一礼して、拝殿の前をあとにした。
「晴奈は何お願いしたの?」
「あたしは雪芽さんの体調が良くなりますようにってお願いした。由美は?」
「ウチも一緒。あとは陽介さんとずっと一緒にいられますようにって。えへへ」
「由美ちゃん……。ありがとう」
「はいはいご馳走様。そういうのはあたしのいないとこでしてくんない?」
そんなことを話しながら神社の石段を降りていく。
積もった雪が踏み固められたまま放置された階段は、登りよりも滑って怖かった。
「それで、陽介さんは何お願いしたんですか?」
「ん? 俺も雪芽のことだよ」
陽介さんは多くを語らず簡単に、でも真剣な目をしてそう言った。
そして少しだけ怖い表情をしてこう続けた。
「あとは平和な未来が訪れますようにってね」
きっと、その願いは言葉通りのものじゃない気がした。だって、それにはあまりにも表情がそぐわないから。
だから、その平和な未来っていうのがウチとの未来のことじゃないっていうのも想像がついた。
……じゃあ誰との未来なんだろう。
そんなの、一人しかいない。陽介さんが願いを口にしたときに見せた目と同じ目を、ウチは知っている。
目の奥が見通せないほどの暗い瞳。とても深い悲しみに覆われたその目を。
……考えすぎかな。まだこの前の不安を引きずってるだけかもしれない。
あるいはずっと降り続く雪のせいかもしれない。空が晴れないから気分も晴れないだけかもしれない。
きゅっと、胸を締め付けるような寂しさがウチを襲う。
込み上がってくるものを喉元で抑えるべく、ウチはぎゅっと唇を噛んだ。
それは痛くて、痛くて。
それでいて切なくて、そしてなによりも――
「由美ちゃん? どうかしたの?」
「……っ! い、いえ! なんでもないです!」
――とっても、悲しかった。
そういえば各話感想に対応したみたいなので、よければ一言つぶやいていっていただけると嬉しいです(今更感)。




