chapter-07: 久杉の森 第三節 畑のあと
放課後、ひかりはひとりで、物置の前に立った。
引き戸を開けると、埃と古い木の匂いが流れ出た。棚の位置は、初夏の片付けのときのままだ。棚の上には、つばのやわらかくなった帽子が置かれている。鎌を見つけたのも、ここだった。
壁に、夢で見覚えのあるシャツがかかっていた。シャツの袖に、ひかりは指先だけ触れる。そこには乾いた布の感触があるだけで、他には何も感じなかった。
夢のなかの手のほうが、この布をよく知っている。
ひかりは物置を出て、庭に面した側へ回った。
雑草が伸びている。そのなかに、畝のあとが薄く残っていた。おじいちゃんが畑を作っていた場所。むかし、母から聞いたことがある。
ひかりは畝のあとの真ん中に立って、目を閉じた。
草刈りの夢を呼び戻す。目の高さを、あの高さまで上げてみる。
陽の差す向き。畝の走る向き。畑の先の、木立の暗さ。
重なった。
目を開ける。心臓は、速くなっていなかった。怖くも、なかった。わかったことが、ひとつ、増えただけだった。
***
夕方、縁側に静江がいた。
ひかりが湯呑みをふたつ持っていくと、静江は「あら」と言って、座布団を半分空けた。
しばらく、ふたりで庭を見ていた。伸びた雑草の先が、夕方の風で揺れている。
「おばあちゃん。おじいちゃんって、そこの畑で、草刈りしてたの」
ひかりは、庭を見たまま聞いた。
「してたわよ。あの鎌でね」
静江は茶をひと口飲んで、ゆっくり下ろした。
「お祖父ちゃん、ゆっくり刈る人だったわねえ。急がない人でね。半日かけて、すこしずつ」
「おじいちゃんは、久杉の森も好きだった?」
静江の手が、止まった。
「……好きだったわねえ。葉っぱのざわざわする音が好きだって、よく言ってたよ」
湯呑みが、膝の上に下りる。静江はひかりを見た。
「ひかり。なんで、それ知ってるの」
「……なんとなく、そんな気がしただけ」
静江は、しばらくひかりの顔を見ていた。責める色は、なかった。ただ、見ていた。それから、視線を庭へ戻した。
「ひかりは、お祖父ちゃんに、よく似てるねえ」
物置で鎌をもらったときにも、聞いた言葉だった。同じ言葉なのに、語尾があのときより長く伸びて、ゆっくり下りた。
「そうかな」
湯気が、ふたりのあいだで細くなって、消えた。
畑。久杉の森。鎌。研ぐ手。おばあちゃんを見つめる目。ひかりは、胸のなかにひとつずつ並べた。ぜんぶ、おじいちゃんのものだ。
並べ終わっても、最後のひとつだけが、埋まらなかった。
それが、どうして、わたしのなかにあるのか。




