chapter-07: 久杉の森 第一節 おなじ夢
夢のなかで、手が動いている。
指の節は太く、甲のうえに薄い皺が幾筋か走っていて、土の匂いがしみている。手は鎌を握って、夏草をゆっくり刈っていく。倒れた下草から、青い匂いと葉のざわめきがいっしょに立ちのぼる。陽は午後のもので、斜めに差していた。
目の高さが、知らない高さにある。
畝の向こうに、小さな畑が見えている。その先は杉の木立で、暗い。
急ぐ気配のない速さで、手は刈りつづける。鎌のひと振りごとに、柄の木の感触が、てのひらの内側へやわらかく返ってくる。木目の磨きが浅く、しかし長く撫でられた跡が、親指の付け根のところで深くくぼんでいた。手はその窪みを、見るでもなく、ただ自然にそこへ親指を置いていた。
夢は、そこで薄れていった。
***
まぶたを開けると、見慣れた天井があった。
九月なかばの朝の光が、カーテンの隙間から差している。ひかりは自分の手を目の前にかざした。子どもの手だ。皺もない。土の色もない。それなのに、てのひらの奥に、鎌の柄の感触だけがうっすら残っていた。
また、あの夢だ。
畑の夢。草を刈る夢。このごろ、続けて見る。夢のなかの手は自分の手ではないし、目の高さもちがう。でも、夢とは、そういうものだ。
ひかりはそこで考えるのをやめて、布団を出た。
***
台所には、卵焼きの匂いが満ちていた。
父の宗一郎が新聞をたたんで、珈琲を飲んでいる。長姉の美咲はトーストをかじりながら単語帳をめくり、次姉の結は壁の時計を気にして、ヨーグルトをかき混ぜている。祖母の静江は縁側にいちばん近い席で、椀を両手で包んで、味噌汁の湯気を見ていた。
「おはよう」
「おはよう。ひかり、卵焼き、もうすぐだからね」
母の真奈が、フライパンから顔も上げずに言う。
ひかりは椅子に座って、味噌汁の椀を持った。持った指の運びが、自分のものでないみたいに、ゆっくりだった。ひかりは椀をいったん置いて、持ち直した。
視線を感じて、顔を上げる。
静江が、こちらを見ていた。目が合うと、静江は目元でやわらかく笑って、自分の椀に視線を戻した。
「ひかり、ぼうっとしてると遅刻するよ。ちゃんと食べな」
結が、卵焼きの皿を回してくる。
「うん」
ひかりは箸を取った。
卵焼きは、甘かった。
学校で授業を受けているあいだ、ふとした拍子に、てのひらの奥に木の感触が戻ってきた。
五時間目の終わりのチャイムが鳴っても、感触はまだ消えていなかった。




