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09.初夏の風、触れた手の熱、揺れる花。それらが全部あなたの匂い

 ゴールデンウィーク初日の朝、私は落ち着かないままクローゼットの前で服を選んでいた。


 だって山田先輩にランチに誘われたから……!


「や、デートかな? ただごはんに行くだけ……だよね?」


 スマホを取り出して、もう何度も見返した先輩からのメッセージを開いた。


『お疲れ様。今日ごはんに行けなかったから、土曜日にもう一件の方どう?』


 先輩は別にデートのつもりで誘ってるわけじゃなさそう……。

 でも私のお気持ちはデートなのだ。誰がなんと言おうと。


***


 先輩とごはんに行けなかった日、なんとかお客様にご納得いただいて、磯山先輩とふらふらになりながら電車に乗り込んだ。二人で今後の予定を相談しながらスマホを開いたら、山田先輩からのお誘いが届いていた。

 磯山先輩に引かれるくらい動揺して、急いで返事をして、その後はバタバタして会えない日が三日続いて……今日に至った。


「どうかなあ、変じゃないかな」


 スマホで『アラサー デート服』って検索して、出てきたコーデに似た組み合わせにしてみたけど、どうだろう?

 きれいめのワンピースにカーディガン、スニーカーだし、まあ無難ではある。たぶん。

 マニキュアも塗り直したし、化粧もいつもよりちゃんとした。

 部屋の掃除も洗濯も済ませたし、そろそろ家を出てもいいかな。……ちょっと早いかも。


 でも部屋にいても落ち着かないだけだから、結局早めに家を出て待ち合わせの駅に向かった。


「あれ、秋谷、早いね」


「せ、先輩こそ……」


 おかしいな、まだ待ち合わせの三十分くらい前なんだけど。

 早すぎるし、駅ナカのカフェで時間をつぶそうとしたら、その入り口で先輩とばったり会った。


「秋谷に会いたくて、早く来ちゃった」


「あの、過剰供給なので、ちょっと自重してもらって……」


「しない」


「そ、そういえば、先輩の私服って初めてですよね」


 キャパオーバーだから話を逸らして、先輩の姿を上から下まで、舐めるようにじっくり見た。

 先輩の私服姿、初めてだ。高校のときは学ランだったし、最近はスーツだし。

 先輩はすっきりした細身のパンツに、白いゆるっとしたシャツ、その上に黒のカーディガンを軽く羽織っていた。


「先輩、先輩」


「ん?」


「写真撮っていいですか? 家宝にするので!」


 私なりにかわいくおねだりしたのに、先輩は呆れた顔で首を横に振った。


「理由が重いからダメ」


「撮らせてくださいよ! 私、先輩の写真一枚も持ってないんですよ!!」


「俺だって秋谷の写真持ってねえから」


「いらなくないですか?」


「そういうとこだよ」


 先輩が駅の方へ歩き出したから、私もその後をついていく。

 改札を抜けてホームに上がると、春の温かい風がふわっと吹いてきた。


「秋谷」


「はあい」


 スカートが広がらないように抑えながら顔を上げたら、山田先輩がスマホを構えていた。


「写真撮っていい?」


「えっ、なんでですか?」


「理由なんてないけど……なんか良かったから」


「さっき私には撮らせてくれなかったじゃないですか」


「だめ?」


「ダメじゃないですけど……」


 私が先輩にダメとか言えるわけないでしょうが!

 先輩は目を細めて、私にスマホを向けた。

 カシャカシャと何回も音が響く。いや、多くない?


「私にも撮らせてくださいよ」


「いる?」


「いる。いります。いるんです」


「しょうがないな」


 スマホを取り出して、先輩に向けた。

 先輩はちょっと困ったように笑って、その瞬間、風がカーディガンをふわりと広げた。その瞬間にボタンを押した。


「撮れた?」


「はい、最高です。たしかに、なんか良かったです」


「ゴールデンウイークだから」


 そうかな。そうかも。


 ぶわっと一際強い風が吹いて、電車が入ってきた。

 ゴールデンウイーク初日だからか、思ったよりも混んでいる。

 先輩に続いて乗ったけど、後ろからも人がどんどん乗ってきて、なかなかの混み具合だ。


「先輩、ごめんなさい、押しちゃって」


「全然大丈夫。もうちょっとこっちにおいで」


「失礼します……」


 お言葉に甘えて、先輩にぴたりとくっついた。やばい、心臓が破裂する。今ここで破裂したら、先輩も巻き添えで破裂するかな。そうだと嬉しい。

 ふと顔を上げたら、先輩が顔を赤くしていた。


「わ、ごめんなさい、重いですよね」


「そんなことない、全然大丈夫」


「大丈夫って顔じゃないですけど」


「……本当に大丈夫だから」


 慌てて体を離そうとしたら、先輩の手が私のカーディガンの袖口を掴んだ。

 咄嗟のことで反応ができない。

 喉からカエルが潰れたみたいな変な音が出た。

 先輩は赤い顔のまま、私をじとっと見下ろした。


「秋谷は、よく過剰供給って言うけど、それ、こっちもだから」


「ひえ」


「……えっと、今日の服、かわいい。似合ってる」


「あ、ありがとうございます……?」


 お互い真っ赤になって、冷や汗をだらだらかきながら、それでもぴったりくっついたまま電車に揺られていた。

 恥ずかしくて今すぐ電車から飛び降りたいような、でもあと二時間くらいこのままでいたいような。


 テンパっているうちに、気づけば電車は目的の駅に着いていた。

 大きな公園があるからか、扉が開いた途端、人が一気に流れ出した。


「わわ」


「秋谷」


 よろけそうになったとき、山田先輩の手が私の背中を支えてくれた。


「あ、ありがとうございます」


「ごめん、行こうか」


 大きくて熱い手が、ぱっと離れていく。


「は、はい……」


 見上げた先輩の耳は真っ赤で、私もたぶん同じくらい赤くなっていた。




 そのまま、お互いそわそわして、顔を引きつらせて、まともに会話もできないまま、人波に流されて公園まで来てしまった。

 目的のごはん屋さんはその向こうだけど、早く着きすぎて、まだお店は開いていない。

 二人で案内板の前で立ち止まった。


「山田先輩」


「うん」


 お互い、蚊の鳴くような声だった。

 意を決して、顔を上げた。


「あの、これってデートだと思っていいですか」


「……いいよ。ていうか、俺はそう思って誘ったから」


 私も先輩も、全然そんな顔じゃない。お互い、睨むみたいに見つめ合っていた。

 やがて先輩が、顔をしかめたまま小さく口を開いた。


「あのさ、飯食ったら、公園ちょっと散歩しよう。腹ごなしに」


「お願いします。あの、今も時間ありますし、ちょっと歩きませんか。お腹すかせておきましょう」


「うん……ごめん、なんか緊張しちゃって」


 ようやく先輩が、少しだけ笑ってくれた。

 私も力が抜けて、思わず顔が緩んだ。


「大丈夫です。私も緊張して手汗ヤバイです。デートなんて、したことないですよ」


「あ、そうなんだ」


 二人で笑い合って、そのまま公園の案内板に目を向けた。

 公園は溜池を囲むように広がっていて、花畑やアスレチック広場、ちょっとした林なんかがあるらしい。

 私の家から遠くはないけど、来るのは初めてだ。


「とりあえず、店の方に向かって歩こうか」


「はい!」


 先輩と一緒に歩き出した。

 ゴールデンウイーク初日の公園は子連れも多いけど、バーベキュー広場があるからか、大学生の集団や社会人グループもけっこう多い。

 並んで花壇を見ている老夫婦や、ドッグランがあるからか犬と一緒に走っている人もたくさんいた。


「気持ちのいい公園ですね」


「そうだな。初めて来たけど、いいところだ」


「ねえ……あの、今さらなんですけど、先輩って彼女います?」


「いない。いたことない」


「よかった……って言っちゃダメですね。えっと、でも先輩に彼女がいなくて、デートできて嬉しいです」


 恥ずかしすぎて、先輩の顔が見られない。

 なんだこれ。

 心臓がうるさくて、周りの喧騒が遠くに聞こえる。

 周りの景色を見る余裕もないまま、お店に着いた。入り口には何人か並んでいる。


「俺らも並んでようか」


「そうですね。あの」


「うん」


 どうしよう。声をかけたのに、何も言葉が浮かばない。

 顔を上げられなくて、自分のつま先ばかりを見ていた。


「先輩の今日の服、お似合いです」


「……ありがと」


「この間はドタキャンしてしまって、すみません。でも、誘っていただけて嬉しかったです」


「ううん。俺が秋谷とデートしたかったんだ」


 やっと顔を上げると、先輩がとろけそうな笑顔で私を見ていた。


「先輩、私――」


 言いかけた瞬間、ガラガラと音を立てて店の扉が開いた。


「お待たせいたしました。順番にご案内します」


「……行こうか」


「はい」


 惜しかったような、ほっとしたような。

 私は先輩と並んで、席へと案内された。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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