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07.また次を約束できる、そのことがどれだけ嬉しいか知ってほしい

 その後、先輩とは週に一、二回ごはんに行くようになった。

 お互い忙しいから、終電前に時間が合った日だけ、どちらかの会社か家の最寄り駅前で、カフェやごはんメインの居酒屋に入って、三十分くらいさっと食べる程度だけど。

 それでも、誰かと待ち合わせてごはんを食べるのは久しぶりで、相手が先輩なら、残業も頑張れちゃう。


 季節は春から初夏へゆっくり移っていて、先輩がスーツのジャケットを手に持っている日が増えてきた。


「先輩はスーツで出社なんですね」


 ある日、駅前の定食屋で納豆に生卵を混ぜながら聞くと、先輩は「んー」と少し困ったように声を漏らした。

 山田先輩はIT系のエンジニアだと聞いていたから、そういう会社は服装にうるさくなさそうっていう、ただの私の偏見なんだけど。

 私は客先に行くことも多くて、きれいめのオフィスカジュアルが中心だ。

 背が高くないから、ヒール高めのパンプスで背筋を伸ばして歩くのが好き。


「特に決まってないけど、俺、あんまりセンスなくてさ。だから無難な格好してるだけ。急にお客さんに呼ばれることもあるし」


「そうなんですね。私、スーツ好きですよ。かっこいいですし」


「そう? 堅苦しくない?」


「何言ってるんですか!」


 つい声を大きくしたら、先輩が噴き出した。


「ウケる」


「男の人がカチッとした格好をしてるの好きなんですよ。先輩、ネクタイして袖を肘下までまくってもらっていいですか?」


「今日はネクタイ持ってきてないよ」


「持ってきてください」


「なんだよ、その火力は……」


 先輩は呆れ顔で手元の鮭をほぐしている。湯気の立つ白いごはんの上に、ほぐした身をのせる手つきがやけに慣れている。焼き魚、好きなんだな……今度、魚がおいしい店を探しておこう。


「カチッとした格好で、袖まくってたり、ネクタイ緩めたり、そういうしぐさがいいんですよ。お手すきのときでいいので、お願いします」


「俺にはわかんないけど、覚えてたらね」


「じゃあ、先輩は『女の子のこういうしぐさが好き』っていうの、ないんですか?」


「そうだなあ」


 鮭の皮をごはんと一緒に食べてから、先輩は箸を止めて、私をじっと見た。


「あの、私からひねり出してもらわなくて大丈夫です」


「そういうんじゃないけど。秋谷は謙虚っていうか鈍いからなあ」


 なんかディスられた気がする。

 謙虚な女は、十年ぶりに会った先輩にネクタイを強要したりしないはずだ。

 鈍いかどうかなんて、自分じゃわかんない。


「例えばだけど、女の子が『こういうのが好きだから、やって』って言ってるのはかわいいよな。好意が駄々漏れになってるところとか」


「やけに具体的な例えですね?」


 なんだか身に覚えのある話だ。

 まあ、私は先輩への好意を隠したことなんてない。……明言できていないだけ。それが一番ダメなんだけど!


「俺なりにストレートにお伝えしたつもりなんだけども」


「もしかして、私にかわいいって言いました?」


「言いました」


 先輩はまっすぐに私を見ていた。いつもと変わらない柔らかな笑顔なのに、背中がムズムズする。

 いつの間にか山田先輩の皿は空で、白い皿の上には鮭の骨だけが残っていた。


「過剰供給なんでちょっと待ってもらっていいですか?」


「待つよ」


 にっこり微笑んで、先輩はお茶を飲んだ。

 私は急いで残りの納豆卵かけごはんを流し込んだ。今さらだけど、夜中に好きな人と食べるメニューじゃなかった。


「もうすぐ終電だし、出ようか」


「は、はい!」


 山田先輩の背中を追って店を出た。

 桜はすっかり散っていて、かわりに生垣のツツジが明るい色で咲いていた。

 改札を抜けて、エスカレーターでホームに上がったところで、先輩が振り返った。


「俺すっかり秋谷に甘えて飯に誘ってるけど、別に無理だったら断ってくれていいからな?」


「断りません」


「なんで?」


「私が先輩とごはん食べたいからです」


 そう言うと先輩は何度か瞬きをした。

 終電間際のホームには誰もいなくて、遠くで車が走る音が響く。ほかには、私と先輩の息遣いしか聞こえなかった。

 夜空を見上げれば星も見えるはずだけど、それよりずっと近くに、目を離したくない人がいる。


「秋谷」


「はい」


「……明日は客先から直帰だけど、明後日はそんなに遅くならないから、飯行こう」


「行きます。じゃあ、明日のうちに仕事終わらせておきます」


「無理はしなくていいよ。無理すると続かないからさ」


「はい。ありがとうございます、先輩」


 山田先輩は私を見て、ふっと微笑んでから視線を遠くに向けた。

 同じものが見たくて遠くを見たけど、私には先輩が何を見ているのか、よくわからなかった。


***


 それはそれとして、先輩と魚を食べに行きたい。

 翌日の昼休み、私はスマホで焼き魚のおいしい店を探していた。


「魚食いたいの?」


 隣の席の磯山先輩が、私の手元をひょいと覗き込んだ。


「はい。焼き魚を食べに行きたいのですが、なにかおすすめはありますか?」


「えっと、ちょっと待ってな」


 磯山先輩がパソコンをかちゃかちゃ操作すると、すぐに会社用のスマホが震えた。


「それ、魚系の飯屋の一覧」


「ありがとうございます!」


「次の飲み会の幹事、秋谷だろ? 俺が行きたいところに丸つけといたから」


「お任せください!」


 これが仕事のできる営業マン……。

 送ってもらったリストから、焼き魚がおいしそうな店を確認していく。二つまで絞って山田先輩にサイトを送っておいた。定時前に返事が来たから、先輩が行きたい方を予約して任務完了。

 あとは明日、早めに上がれるように根回しするだけだ。

 ……そう思っていた時もありました。



 翌日の定時目前、お客様から急な呼び出しを受けた。


「秋谷、約束があるんだろ? 俺だけで行くから」


 磯山先輩は眉を下げて私を見たけど、私は首を横に振った。


「そうはいかないですよ。私も担当ですから。でも、約束をしてるので、連絡だけしてきていいですか?」


「じゃあ、こっちで資料印刷しとく」


「すみません。五分で戻ります」


 私は私用のスマホを手に、エントランスまで移動した。

 ぎりぎり定時くらいの時間だけど、山田先輩は電話に出てくれるだろうか。

 エントランスは帰る人たちでにぎわっている。ざわめきの中、先輩はすぐに電話に出てくれた。


『もしもし、秋谷?』


「山田先輩、ごめんなさい。今日行けなくなっちゃって」


『マジか。仕事?』


「はい。急な呼び出しで……予約していた店はキャンセルしておきます。他の方と行かれます?」


『いや、秋谷と行きたい』


「すみません、本当に。今度、埋め合わせします」


『いいよ。無理しないで』


「してません。私が先輩とごはんに行きたいんです。また連絡します」


『……わかった。行ってらっしゃい』


「山田先輩……えっと、行ってきます」


 優しすぎる反応に、思わず「好きだ」と言いたくなった。でも、そのまま飲み込んで電話を切った。

 残念だけど、仕方ない。

 帰る人たちの波をかき分けて、執務室に戻る。

 磯山先輩から受け取った資料をカバンに突っ込んで、そのまま会社を飛び出した。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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