05.その顔を私以外に見せないで。国が傾く危険があるわ
月曜と火曜は先輩に会えて浮かれてたのに、水曜は会えなかった。
定時ごろ、山田先輩から
『今日は客先から直帰だから、いつもの電車には乗れない』
と連絡が来たのだ。
あからさまに顔に出てたみたいで、隣の席の営業の磯山先輩に
「最近遅い日が続いてるし、帰れるなら早めに帰りな?」
なんて心配された。
まあ、週の頭から終電続きだったし、週半ばの今日はそろそろ早く帰ってもいいよね。
昨日、先輩と会うために仕事を多めに片付けてあるし、今日は余裕がある。
「ではお言葉に甘えて、早めに上がらせてもらいます」
「はいよー、お疲れ」
振ってるのか追い払ってるのか分からない磯山先輩の手に軽く頭を下げて、珍しく定時すぐに会社を出た。
よし、それならマニキュアを塗り直そう。せっかくだし、違う色にしようかな。いつもより混んでる電車の中で、スマホを開いて流行りのカラーをチェックしたり、ネイルの情報を眺めたりした。
電車の中だけじゃなくて、駅も駅前もいつもよりずっと混んでいた。ぶつからないように歩くだけで精一杯で、空や花壇を見る余裕もない。
駅ビルのドラッグストアで少し悩んで、マットなオレンジを選んだ。……まだマニキュア初心者で、あんまり冒険はできない。
ついでに新しいヘアオイルも買って、軽く夕飯を済ませてから帰宅した。
お風呂を済ませて、マニキュアを塗り直す。
髪にも丁寧にオイルをなじませて、早めにベッドに入ると、なんだかちゃんとした人になれたみたいで嬉しい。
明日こそ、山田先輩に会えますように。
そう思っていたのに、翌日は私が客先から直帰になった。
仕事が終わったのが定時ギリギリで、会社に戻って事務作業をするつもりだったのに、一緒に外出していた磯山先輩から
「今日は帰っていいよ」
と言われたのだ。
いつもならありがたいけど、今日はちょっと微妙……。
磯山先輩と別れて、すぐスマホを取り出した。
山田先輩に直帰だとメッセージを送ると、すぐ返事が来た。
『今どこ?』
「え、えっと……」
駅名を送ると、またすぐに返事が来た。
『俺今○○駅。帰社しようと思ったけど、やっぱり帰る』
今いる駅と、家の最寄り駅の間だ!
慌てて、ちょうどホームに入ってきた電車に飛び乗った。
電車の中で、そわそわしたまま数十分。
電車がゆっくりホームに滑りこむ。ついドアの窓にへばりついて、山田先輩を探してしまう。
――そして、見つけた。
ガタンと揺れて、電車が止まった。
山田先輩は列の先頭で並んで待っていた。
「おつかれ」
「お疲れ様です!」
我ながら顔が緩みまくってた。先輩は私の顔を見て、ふっと笑った。
「秋谷、尻尾振ってそう」
「あったら全力で振ってますよ」
「相変わらずだな、ほんと」
もし私が犬だったら、全力で山田先輩にじゃれつきにいくのに。でも先輩、猫派なんだよねえ。
今日は車内が混んでて、並んで座れない。でもそれはそれで、山田先輩と並んで立っていられるし、電車の揺れにまぎれてちょっとくっつけるから問題ない。もうちょっと混んでても、全然大丈夫。
「秋谷、明日もこれくらいの時間に上がれる?」
山田先輩が「そういえば」と前置きをして私を見た。
頑張れば上がれなくもないけど……いや、ちょっと厳しいかな。
「今日よりプラス一時間くらいで、上がれると思います」
「ならいいか。明日は金曜日だし、帰りに飯食いに行こうよ」
「行きます!!」
つい声を張ってしまって、周りのサラリーマンたちにじろっと見られた。山田先輩は片手で口元を押さえてうつむき、肩を震わせた。
「す、すみません……えっと、ご一緒させていただけたら嬉しいです」
「あはは、いいよ。どこにしよっか。秋谷っていつもどの駅で電車乗るんだっけ」
先輩は笑いながら、ポケットからスマホを取り出した。
そして、私が乗る駅名をスマホで検索している。
「駅前にチェーンの居酒屋がいくつかありますから、そこで……あ、でも今の時期だと学生が多くて騒がしいかもしれません。えっと、駅と駅の間になっちゃいますけど、個人でやってるお店もあります。先輩、お酒飲めますか?」
「嗜むくらいかな。詳しいんだ?」
「営業なので」
そう言うと、山田先輩は目を細めて私を見た。
「いや、子犬みたいについてきてた女の子がずいぶんしっかりしちゃって……先輩はちょっと寂しいです」
「な、なに言ってるんですか……えっと、じゃあここがいいかな。おつまみがおいしいんですよ」
「そこにしよう。仕事終わったら連絡してくれ。そっちの駅まで行くから」
「わかりました。えへへ、楽しみにしてます」
窓には穏やかに微笑む先輩と、三十前とは思えないくらい緩みきった私の顔が並んで映っていた。ちょっと恥ずかしいけど、嬉しすぎてどうしようもなかった。
***
金曜日は、そりゃもう必死で仕事を終わらせた。朝と昼はコンビニでささっと済ませて、夕方にはお手洗いに立ったついでにメイクもきちんと直した。
山田先輩を待たせないように、昨日伝えた時間より三十分以上早く終わらせた。
「っし、終わった! お疲れ様です、お先失礼します!」
「おつかれー」
磯山先輩は相変わらずひらひらと手を振ってくれるけど、忙しいのか顔はずっとパソコンに向いたままだ。こっちを見るときはだいたい私に仕事を振るときだから、そのままでいいです。
カバンを持ってお手洗いに行って、メイクと髪を直していたら、営業事務の後輩の早川さんがやってきた。
ギャル系だけどやたら器用な後輩で、自作らしいネイルアートが今日も指先で華やかに光っていた。あの長さでパソコンを打つの、邪魔じゃないのかなと思うけど、本人いわく慣れれば気にならないらしい。
「あれー、秋谷先輩デートですか?」
「なんで?」
「帰るだけなのに、秋谷先輩がメイク直しするわけないじゃないですか」
「失敬な……そのとおりだけどさ」
よく見てる後輩だ。私の普段の化粧っ気がなさすぎるだけな気もするけど。
「じゃあ、このいい匂いのするヘアオイルつけてあげます」
「ちょっとでいいよ。ごはん行くから」
「あー、じゃあこっちかな。あんまりこってりしない方がいいっすね」
早川さんが差し出してくれたオイルはさわやかでさっぱりした柑橘系の香りだ。
これくらいならアリかな。
「へいお待ち。いかがですか?」
「よいです。ありがとう!」
「がんばってくださいねー。上手くいったらコイバナ聞かせてくださいよ」
「任せといて」
お手洗いを出て、山田先輩に連絡した。小走りで駅に向かって、つやピカにしてもらった髪を指で整えながら先輩を待った。
金曜日の夜で、駅前は仕事終わりの人たちでいっぱいだ。
私と同じように待ち合わせしている人も多くて、相手が来ると、みんな一様にぱっと顔をほころばせてそっちに向かっていた。
きっと、先輩が来たら私も同じように顔が緩む。
二本目の電車で、山田先輩がやってきた。
「先輩!」
改札から出てきた先輩に駆け寄ると、山田先輩は眼鏡の奥の切れ長の瞳をふっと細めた。
「お疲れ様、秋谷。こっち?」
「はい、こっちです。歩いて十分かからないと思います」
先輩と並んで、駅前の通りから一本裏へ入った。
ちょっと薄暗いけど、おいしい居酒屋や焼き鳥屋、バーが並ぶ通りだ。
「……秋谷、ここってよく通る?」
山田先輩がきょろきょろと辺りを見回しながら言った。
「そんなには来ないですけど、部署の飲み会とか、終電を逃したときに少し食べて帰るくらいですね」
「秋谷」
「はい?」
先輩が口をへの字にしてジロッと私を見た。
なんでしょうか……なにか、怒っていらっしゃる?
「こんな薄暗い通りを、女の子一人で出歩くもんじゃないよ。しかも夜中に」
「す、すみません……」
でも、女の子って年でもないんですけど。
そう言い返せる雰囲気じゃなくて、黙って頷いておいた。
「今度から、終電逃したら連絡してくれ。迎えに行くから」
「えっでも、それはさすがに」
申し訳ないです……そう言いかけたところで、先輩がむすっとしたまま続けた。
「彼氏がいるならそっちに任せるけど」
「いません!」
「じゃあ、俺に連絡してくれ」
「……わかりました」
なんだか言わされた気がするけど、まあいいか。ていうか、先輩ってこんなに過保護だったっけ。高校の、それも委員会のときしかまともに話してなかったし、知らなかっただけかも。
やがて、目的のお店に着いた。
「今更だけど、予約なしでいける?」
「昼のうちに予約しておきましたよ」
「さすが」
「先輩に褒めてもらいたくて」
「秋谷は偉いねえ、しっかりしてる」
「えへ」
お店はこじんまりとした和風の内装で、落ち着いた静かな雰囲気だ。
カウンターに通されて、とりあえずビールで乾杯した。
「秋谷がお酒飲んでるの、なんか感慨深いな。あの女の子がねえ」
「それは私もそうですよ。山田先輩がお酒飲んでる!って、ちょっとびっくりしてます」
「そんなに強くないんだけどね。あともう一杯くらい飲んだら、お茶にしようかな」
「あ、ここお茶も種類豊富なんですよ。ジャスミンティーとラベンダーティーがおすすめです」
カウンターで先輩と並んで、のんびり注文用のタブレットを一緒に覗き込んだ。肩がちょっと触れて、顔も近くて、すごい勢いでお酒が回ってる。
「秋谷、顔赤いけど大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです。えっと、緊張してて」
「そう? まあ明日は休みだし、多少飲み過ぎてもいいんだけどさ」
「あんまり甘やかさないでください。緊張のあまり、何をやらかすかわからないので」
そう言うと、先輩はふふっと肩を揺らして笑った。
やばいな。
山田先輩がお酒に強くないのは本当らしい。色白の頬がほんのり赤く染まっていて、店の明かりを受けた瞳もわずかに潤んでいる。
そんな顔で微笑まれたら、色気で国が傾いちゃう……!
「あ、先輩、お魚食べましょう。焼き魚とお刺身とどっちがいいですか?」
「んー、悩む。どっちも好きなんだよ」
「じゃあお刺身の盛り合わせと、季節の焼き魚を頼んでおきますね。あと焼き鳥とサラダも頼んでいいですか?」
「任せるよ。悪いね、なんか気をつかわせちゃって」
「や、そういうのじゃないので、気にしないでください」
違うんです、本当は、先輩の色気に心臓が持たないから、気を紛らわせているだけなんです!
とは言えないので、メニューをめくったり、お通しを食べたりしてごまかす。
注文していた料理がテーブルに並び始めたころ、山田先輩がビールのジョッキをテーブルの端に静かに置いた。
「秋谷は大学ってどこ行ったの?」
「実家の近くですよ。私立の経済学部です。先輩は国立の工学系ですよね。私も行きたかったんですけど、ちょっと英語の成績が足りなくて」
つい目を逸らしたら、山田先輩は「そうだったね」と軽く頷いて、焼き鳥をかじった。
先輩、口大きいな。先輩は背が高くて、細身だから気づかなかったけど、節くれだった指とか、筋張った手の甲とかが意外と大きい。腕も私よりずっと太くて、がっしりしている。首も太くて、喉仏がくっきり出ていて、見ているだけでお酒が進んじゃう。
……写真、撮らせてくれないかな。喉仏だけでいいから。
私がそんなことを考えているうちに、先輩は湯気の立つお茶を口にしながら苦笑した。
「秋谷、英語苦手だったもんな。毎日宿題手伝ってた気がする」
「その節はご迷惑をおかけしました……」
恥ずかしい反面、覚えていてくれて嬉しいけど、それだけ手伝わせてたんだよね。申し訳ない。でも、あのとき付き合ってくれた面倒見の良さが好き。
今も、食べながらさりげなく私の方に皿を向けてくれる優しさも、全部好き。
そうしてなんだかんだ三時間くらい飲み食いして、気づけばいつもの終電の時間になっていた。
先輩は早い段階でノンアルコールに切り替えてたから、お店を出た後もふらつくことなく真っすぐ歩いている。私はちまちま飲んでたけど、弱くないから大丈夫。
二人でまた駅に戻って、最終電車に乗り込んだ。
並んで座ると、山田先輩がふにゃっとした笑顔で私の顔を覗き込んだ。
「おいしいお店を教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。お口に合って何よりです」
「……また、誘ってもいい? 次は俺が店探すから」
「よろこんで!」
「居酒屋かよ」
先輩はくすくす笑って、カバンを抱え直した。
その顔はかわいくてかっこよくて、やっぱり色っぽくて……国が傾きそうな笑顔だ。
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