25.十年が過ぎてようやく向かい合った。抱えていた思いを渡し合う。
私、秋谷奈月は、終電が出たあとの駅のホームで、山田尚也先輩と向き合っていた。
先輩は顔をくしゃっと歪めてうつむいたまま、私の手を痛いくらい握りしめていた。
初めて繋いだ先輩の手は大きくて、私の手なんてすっぽりと収まってしまった。
でも、私の手も先輩の手も冷えきっていて、冷たい風にさらされてさらに冷えていく。
「先輩、どこか温かいところに移動しましょう」
先輩は答えない。私たちの足元に、ポツポツと水滴が落ちる。
でも、最終電車が出たあとのホームにいつまでもはいられないから、私は先輩の手を引いて駅を出た。
駅前に遅くまでやっているカフェがあったから、そのまま入った。先輩を先に座らせたかったけど、手を離さないので、一緒にカウンターでコーヒーを買って、奥まった席に向かい合って座った。
それでも先輩は私の手を離さなかった。
小さな丸いテーブルの上にはコーヒーの入ったマグカップが二つ並んで、湯気を立てている。
それと同じように、私と先輩の手もつないだまま、テーブルの上に置かれていた。
先輩の眼鏡は外との寒暖差で曇っているし、うつむいていて表情がよくわからない。
「先輩」
「……うん」
かすれた、悲しそうな声が返ってきた。
私は繋いでいない方の手で、先輩の手を包むように握った。
「先輩。十年前の卒業式の日にできなかった告白、今していいですか?」
先輩が私の手を握り直して、もう一方の手で同じように包み込んだ。
ゆっくりと顔が上がった。
眉間にしわが寄って、唇が強く結ばれていた。
目尻に涙をためて、真っすぐに私を見つめていた。
やがて、ゆっくりと先輩が口を開いた。
「……ダメだよ」
かすれた低い声が、ささやくようにこぼれた。
私が言葉を選ぶ前に、先輩の手が強く私の手を握りしめた。
「秋谷。秋谷奈月さん。好きだ。十年前から、ずっと君が好きだ。俺と、付き合ってください」
一瞬息ができなかった。
何度か瞬きをして、先輩を見つめ返す。
その顔が涙でぼやけて見えなくなった。
ああ、私はまた先輩を困らせてしまった。
「……もう、私に言わせてくださいよ」
「やだよ。俺はもう、君を泣かせたくない。……って言ってるそばから泣かせちゃったけど」
「ご、ごめんなさい。嬉しくて、止まらなくて」
「いいよ」
押し殺したような声が聞こえて、手に熱いものが滴ってきた。
しばらく私たちは二人で泣いていた。
やがて涙が枯れて顔を上げると、先輩はまっすぐに私を見ていた。
「……先輩、コーヒー飲みませんか? すっかり冷めちゃいましたけど」
先輩は小さく頷いて、片手だけ私の手から離し、マグカップを手にした。
よく見ると、先輩の顔色がすごく悪い。
真っ青なのに目の下だけ真っ黒で、それにかなり痩せたように見えた。
「先輩、お疲れ様です」
「……うん。すごく忙しかった」
「お酒飲んでぐだぐだに甘えてくれていいですよ」
「今はやめておこうかな。胃が空っぽだから、酒飲んだら吐くと思う」
先輩は深くため息をついた。
それって、私とコーヒーなんか飲んでる場合じゃないんじゃないですか。
「何か食べ物買ってきましょうか?」
「俺も行く。今、秋谷から離れたくない」
「……私も、もう先輩と離れたくないです」
そう答えたら、先輩の顔がくしゃっと歪んでまた泣きそうになって、私ももらい泣きしないように必死に顔に力を入れた。
互いに少し落ち着いてから、カウンターでシチューとサンドイッチを買ってきた。
私もお腹がすいていたから、サンドイッチを半分もらった。
やっと私の手を離した先輩は、ぼんやりした顔で湯気を浴びながらシチューをすすっていた。
「いや、本当にやばくてさ」
食事の合間に、先輩はぽつぽつとぼやいた。
私は静かに相槌を打つ。
「はい」
「俺と、あと二人いたのに、二人とも新人で意味わかんない。さっき帰社したとき、切れ散らかしちゃった」
「そんなに……」
まあ、システムトラブルで客先に飛んで行ったのに、ついてきたのが右も左もわからない新人二人だったら、やってられない気はする。
「手を動かせるのが俺しかいなかったから、立ち合いのお客さんに説明しながらやってたんだけど、全然うまくいかなくて、ホテルにも三日に一度寝に帰るくらいしかできなくてさ。食事も一日一回できればいいほう、みたいな」
「あの、私とカフェにいる場合じゃないんじゃないですか」
ついそう言うと、先輩がすねたような顔で私を見た。
「やだ」
「やだ?」
「俺はもう、秋谷から離れたくない」
「それは私もそうですけど……先輩、寝ないとダメですよ」
先輩はじとっと私を睨んでいた。怒っているというより、困ってる? 迷ってる?
「……あのさ、俺、秋谷から離れたくないんだけど」
視線が一瞬逸らされて、すぐにまた私をうかがうように覗き込んだ。
「一緒に、帰ってもらってもいいかな……その、俺の部屋に」
先輩は不安そうな顔で私を見ていた。
私は答えを探して、うつむいた。
空になった皿には、何のヒントも書かれていない。
でも、ここで逃げるなんて選択肢はなかった。
再び顔を上げて先輩を見た。
不安そうな、悲しそうな顔に向かって、私は小さく頷いた。
***
カフェを出て、コンビニへと向かった。
下着と、お泊まり用の洗顔料やメイク落とし、化粧水などのセットをカゴに入れる。あと歯ブラシセットも。
ついでに明日の朝ごはんも買って、コンビニ前で待っていた先輩に駆け寄った。
……手をつないだままついて来ようとしたけど、さすがに下着を買うところを見られるのは恥ずかしくて、なんとか待っていてもらった。
「タクシー呼んだから、すぐに来るよ」
「ありがとうございます」
先輩が手を差し出すので、私はそっと手を重ねた。
今までは重なっていただけの手に、指が絡んできゅっと握られた。
見上げた先輩はやっぱり疲れた顔のまま私をじっと見ていた。
冷たい風が吹いて、先輩の髪をさらさらと揺らし、黒いコートをばさばさはためかせた。
空には星がちかちか光っているのに、先輩の目にはちっとも光が射していない。
何も言わず、その暗がりを覗き込んでいたらタクシーが来て、先輩は私を奥に乗せた。
タクシーの中でも私と先輩は何も言わなかった。
――やがて、タクシーは閑静な住宅街の中のマンションの前で止まった。
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