19.私がそうであるように、あなたも私の色に染めてあげるね
「ほんとーに、大変だったんですよぉ」
「そうみたいだね」
私のぼやきに、山田先輩はジャケットを脱いで、ビールのグラスを傾けながら頷いた。
その口の端についた泡をぬぐわせてほしい。
「もー、弊社エンジニアからは『ヒアリングもまともにできないバカ営業』と怒られ、お客様からは『ろくにシステムを用意しないで金だけ搾り取るクソ営業』と罵られ」
「それをマジで秋谷に言ったんなら、普通にハラスメント事案だと思うけど」
「ほぼ原文ママです。そもそも、お客様のお偉いさんがシステムを舐め腐ってるのが原因で、現場の方々は被害者でもあるから、なかなか言い返せなくて」
「まあねえ」
「うちのエンジニアだって行ってみたら聞いてた話と全然違うから、『はあ?』ってなるのも分かるんです。でも、だからといって私を罵っても解決しないんですよ」
先輩は相槌を打ちながらサラダを取り分けてくれる。ありがたく受け取ってもしゃもしゃ食べていると、湯気の立つ熱燗が運ばれてくる。先輩はそれもお猪口に注いで差し出してくれた。
「温かい……おいしい……」
「そりゃよかった」
お腹がじんわり温かくなってきた。お刺身と交互に飲み食いすると、あったかいのと冷たいので永遠に食べられる。焼き鳥も運ばれてきたから串からかじる。しょっぱくて美味しい。先輩はちゃんと私が好きな塩味を頼んでくれていた。最高、好き。
「だいたい私を罵るのだって、いかつくて声の大きい磯山先輩には言いづらいからです。だから現場の人たちは、こぞって私にあれこれ言ってくるんです。お偉いさんのヒアリングしたのは磯山先輩だってのに!」
「まあ、あるあるだけども」
「そうなんです。あるあるなんです。お偉いさんは、私みたいな小柄な小娘はかわいがってはくれますけど、一緒に仕事はしてくれません。ヒアリングは磯山先輩しか受け付けなくて、それ以外は全部私です。そのせいで、連中の暴言が全部こっちに来るんですよ……ふざけんな」
「よしよし、酒を飲みな?」
先輩が頭を撫でてくれたので、ここぞとばかりに擦り寄った。
いやほんと、マジでふざけんな。
こっちは仕事だから、できる限り笑顔で、はいはいと話を聞いてやってるだけだ。
お前らの八つ当たりを受け止めるほどの給料、もらってないっつうの!!
受け取ったお猪口を傾けると、先輩がすぐにお代わりを注いでくれた。
「んもー、この数週間、私に優しくしてくれるのは山田先輩だけなんです。なんなのあいつら、仕事だよ仕事! なにもこぞって私ばっかりに言わなくてもいいじゃないですか。弊社エンジニアにカス仕事を行かせてるのは申し訳ないとは思いますけど、別に私だって『この仕事はカスだからあいつらにやらせたろ』って考えてるわけじゃないんですよ。悪かったからって下手に出てれば、調子に乗りやがって……」
「そもそも、行ってみたら聞いてた話と違うなんていくらでもあるけど、秋谷のところのエンジニアはなんでそんなに切れ散らかしてるのさ」
山田先輩がグラスを傾けながら言った。
スマホでその顔を撮ってから、私もお猪口を傾けた。流し目ありがとうございます……っ。
「いやー、最初の要件定義のときに、お客様の現場担当者からめちゃくちゃに罵倒されたみたいで」
「あらー」
「その後、エンジニアと現場担当者で再度打ち合わせをしたんですが、やっぱり空気が最悪で、最終的には罵り合いになってしまって」
「……それ、撤退しちゃダメなんだっけ?」
山田先輩の当然の指摘に同意しかない。当然、磯山先輩と私も営業部の上長に状況を報告して撤退を勧めたし、上長も撤退やむ無しと理解してくれた。
エンジニア側の部門長もそれで納得してくれたのに、納得しなかったのはお客様の上役だった。
最初に提示した価格が魅力的だったのと、磯山先輩をいたく気に入ってくれたから、らしい。
でもね、最初に提示した価格じゃ、御社の現場に納得してもらえるシステムは用意できないのよ……。
「私たちは撤退する方向で話を進めてるんですけど、先方が納得してくれなくて」
「大変だねえ、よしよし」
「ほんとですよ、もー! 先輩が毎日メッセージでよしよししてくれるから、ぶち切れずに仕事できてます。ありがとうございます」
言いながら先輩にもたれかかって、頭を撫でてもらった。
あー好き。癒される。
先輩のペットになりたい。
でもそれだと他の女が先輩の彼女になっちゃうからダメだ。もし先輩の部屋に私以外の女が入ってきたら、噛みついてしまう。
「熱燗、もうないけどどうする? お代わりする?」
「んー、もうあったまったので、違うのにします。どうしよっかな。焼き鳥と合うもの……レモンサワーで」
「了解。大ジョッキがあるから、そっちにしておくね」
「ありがとうございます!!」
さすがです、先輩。私への理解度が高い。
……そこでふと気がついた。
先輩がネクタイをつけてるし、袖もまくって七分丈にしている。
私は体を起こして、スマホで先輩の写真を撮った。
十枚くらい撮ってから、垂れていたネクタイを胸ポケットに入れる。それからまた十枚くらい撮る。ネクタイをもう一度垂らし直した。
「先輩、ネクタイをちょっと緩めてもらっていいですか?」
「秋谷、酔ってる?」
「このくらいじゃ酔わないです」
「シラフでその行動は、本当にどうかと思う」
そう言いながらも、山田先輩はネクタイの結び目に手をかけてくれた。
真顔で写真を撮りまくった。
店員が大ジョッキと先輩が頼んだお茶を持ってくるまで無言で撮り続けた。
「はー……供給過多です。息切れしちゃう」
スマホをテーブルに置いて、ジョッキを傾けた。
焼き鳥のしょっぱさとレモンサワーの酸っぱさの組み合わせが最高だ。
「秋谷はちょいちょいバカだよな」
「しょうがないじゃないですか。高校のとき、写真撮れなかったですし」
「当時はスマホがなかったしね。学年が違うから、遠足とかも一緒じゃないし」
「先輩と修学旅行行きたかったなあ」
つい唇を尖らせると、先輩がふっと微笑んだ。
「今からでも行けばいいよ。俺らはもう大人なんだからさ」
「……一緒に行ってくれますか?」
恐る恐る見上げると、先輩はアルコールで赤くなった頬を緩めて、私を見ていた。そういう顔を見られるのも、きっと大人になった特権なんだろう。
「もちろん。秋谷は修学旅行どこだった? 俺は長崎だったよ」
「私は沖縄です。長崎で何見るんですか?」
「グラバー邸と中華街。あと阿蘇山。そっちは?」
「海で遊んで、首里城を見て、国際通りをぶらぶらしました」
「……行こう」
先輩は口をへの字にして言った。なんでそんな真顔に?
「なにか、行きたいところがありましたか?」
「海って水着だったんだよな?」
「はい」
少し冷めた焼き鳥をかじりながら答えた。
「うちの高校、プールなかっただろ?」
「そうですねえ。先輩、そろそろ締め、頼みます?」
「塩ラーメンで。だから、秋谷の水着姿を見たいなとは思いつつ、我慢してたんだよ、俺は」
「私は豚骨ラーメンと塩握りとイチゴのパフェにしよっと」
「俺もパフェ食べる。チョコのやつ……ごめん、キモかった」
先輩は両手で顔を隠してしまった。
先輩はちょいちょい感情の落差が激しいときがある。おもしろいからいいけど。
「別にいいですよ。先輩がチョコのパフェ食べたって」
「そっちじゃねえよ」
「富山の次は沖縄の海で遊びましょう。私の水着は先輩が選んでください」
「変なの選ぶと思わないわけ? 俺、ぜんぜんセンスないよ?」
先輩は嫌そうな顔を私に向けてきた。
それを無視して、残りのレモンサワーを飲み干し、焼き鳥も全部食べた。
店員がラーメンとパフェを同時に運んできたから、箸を先輩に渡した。
「先輩のセンスでいいです。塩ラーメン、一口ください」
「……秋谷は俺をどうしたいんだよ」
「あんまり卑下しないでほしいです。仕事で疲れすぎてべしょべしょに泣いてた私を、こんなにも元気にしてくれたじゃないですか」
「それはたんに腹が膨れただけだろ」
「もー、そういうところです。山田先輩がイルミネーションを見せてくれて、お腹いっぱい、私の好きなメニューを頼んでくれたじゃないですか。言いましたよね、頼りにしてるって」
先輩はむすっとした顔でラーメンを食べようとして、ふと手を止めた。
そして私にラーメン鉢を向けてきた。ありがたく一口いただいて、私の豚骨ラーメンも先輩に味見してもらう。
「……俺はただ、秋谷に笑っていてほしいだけだよ。マニキュアも、次はどんな色を塗るのか楽しみにしてたのに、そんな余裕もなくて、しんどい顔してる秋谷を見ていられなかった」
「もう山は越えましたから、土日に出るってことはないと思います。先輩、次は何色がいいですか?」
「ピンク。最初に塗ってた桜色がかわいかったから」
「わかりました。休みの間に塗っておきます」
そのあとは黙ってラーメンを食べて、塩握りを半分こして、パフェも半分こして店を出た。
駅前のロータリーにタクシーがいなかったのでアプリで呼び出し、待つ間は寒さをしのぐためにコンビニで時間をつぶした。
「あ、先輩。この中ならどの色が好きですか?」
コンビニの棚には、塗ったあとペロッとはがせるタイプのマニキュアが売られていた。
山田先輩は首をかしげ、少し唸ってからピンクがかった茶色を選んだ。
「秋っぽい。秋谷だし」
「じゃあ、それ買ってきます」
水のペットボトルと、明日の朝ごはん用におにぎりを選び、購入する。
イートインスペースがガラガラだったので、カウンター席に先輩と並んで腰を下ろした。
「……キモいこと言うんだけど、そのマニキュア、俺に塗ってくれない?」
「いいですよ。手を出してください」
「左手の……親指だけでいい? さすがに全部だと目立つけど、目につくところがいい」
「わかりました」
ベースも塗っていないし、トップコートもない。磨いてもいないし、甘皮の処理もしていないけど、できるだけ丁寧に塗った。
先輩の手は大きくて、熱くて、固くて、たまらなく男の人の手だ。
「どうでしょう?」
「うん、ありがと」
塗り終えると、先輩は満足そうに親指を眺めていた。
私が顔を上げると、窓の外のロータリーにタクシーが入ってくるのが見えた。
先輩とコンビニを出て、タクシーに乗り込む。
私の方が先に降りるので、先輩には奥に乗ってもらった。私と先輩の間に置かれた手の親指の先が、私の色で染まっていた。
外では、空がゆっくりと白んできている。
もし先輩が迎えに来てくれなかったら、きっと私はこの空を見ることはなかっただろう。
「先輩」
「ん」
低い声が、ゆっくりと返ってくる。
「迎えに来てくれて、ありがとうございました」
「いいよ。俺が秋谷に笑っててほしかっただけだから」
「……先輩が、そう思ってくれたことが嬉しいです」
「そっか」
「そうです。私、先輩が思ってるよりずっと、先輩に頼って生きてるんです」
「……ずっとそうだと嬉しい」
「ずっとそうしてるつもりです」
なんだろう、この会話。
疲れと眠気とアルコールで、ぼんやりと浮かんだことを垂れ流していた。
たぶん先輩もそうなんだろう。
互いの顔を見ることも触れ合うこともなく、ただ言葉だけを重ねていた。
やっぱり私は、この人のことが好きでたまらなかった。
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