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15/30

15.夏が終えても、あなたとなら次もその先もずっと楽しみにしてる

 山田先輩と磯山先輩の姿が見えなくなった途端、花沢さんが私、秋谷奈月を思いっきり睨んだ。


「ちょっと、あんた図々しいんじゃないの」


 低い声にうんざりする。

 わかりやすすぎでしょ。


「何がでしょうか」


「なーに、両方はべらせてんのよ、ずるい! ずーるーいー」


 花沢さんはきれいな顔をくしゃっと歪めて、わめいた。


 なんていうか、きれいな大人のお姉さんだと思ってたけど、予想よりずっと愉快な人かもしれない。


 吹き出さないように気をつけながら、テーブル中央の網に火をつけて、向かいに座る花沢さんを見た。

 できるだけ無表情のまま、淡々と口を開く。


「別にはべらせてないですよ。磯山先輩、今フリーですし」


「そうなの?」


 笑っちゃうくらいの勢いで、花沢さんが立ち直った。瞳がキラッと光っている。


「社会人になってすぐのころから付き合ってた、結婚秒読みの彼女さんがいたんですけど、先日別れちゃったそうです」


「なんで?」


 花沢さんが眉間にしわを寄せて身を乗り出した。

 わからなくはない。


 磯山先輩は背が高くて、スポーツマンタイプのかっこいいイケメンだ。彼女さんのこともそれはそれは大事にしていたし、先輩から聞かされる限りでは、彼女さんも磯山先輩のことが大好きで末永くご一緒しそうな雰囲気だった。

 でも、破局は思わぬところから起こったらしい……って話を、先日の部署の飲み会で聞いた。


「彼女さんのお爺様が大反対したそうです。どうも彼女さんのお婆様が生前に悪徳商法に騙されて、葬式代までむしり取られたらしくて、それ以来“営業”を名乗る人は敷居を跨がせるなって」


「えー……マジ?」


「先輩の憔悴っぷりを見るに、マジですね」


「意味わかんないけど……なくもなさそうっていうか」


「そういうわけで、どうですか花沢さん」


 花沢さんをじっと見ると、彼女は手を顎に当てて、私をじとっと睨んだ。


「あんたがいかない理由は?」


「私、別の人に十年片思いしてるんで」


 手でばってんを作って見せると、花沢さんは目を丸くして、それから吹き出した。


「重っ。それに付き合ってる山田くんも重過ぎでしょ」


 花沢さんが呆れた顔で振り返った。つられてその向こうを見ると、磯山先輩と山田先輩が並んでトレーを運んできていた。上にはビールのジョッキや唐揚げ、フライドポテトが積まれている。……肉は?


「お待たせ、とりあえずすぐ食えるもん持ってきた」


 笑顔の磯山先輩が私と花沢さんの前にビールと食べ物を並べる。

 磯山先輩が揚げ物好きなだけじゃん! って言いたくなったけど、山田先輩が


「サラダや肉は今から持ってくるから、ちょっと待ってて」


 と言って、私の前に箸を置きながら目尻を下げたから、言うのをやめた。

 代わりにパッと立ち上がって、そのまま山田先輩の隣に立つ。


「あ、それ私が行きます。磯山先輩、花沢さんと先に食べててください」


 花沢さんは白い目を私に向けてから、磯山先輩に


「ご一緒してもらってもいいですかあ?」


 と、さっきより半音高い声を向けた。


「山田先輩、肉を取りに行きましょう」


「う、うん」


 磯山先輩が花沢さんに誘われて隣に腰を下ろしたのを確認してから、困った顔の山田先輩と歩き出す。


「先輩、次は二人で来ましょうね」


「……うん。俺も同じこと思ってた」


「でも今日も花沢さんを焚きつけておいたんで、多少は二人でゆっくりできると思いますよ」


「何してんのさ」


 山田先輩が呆れたように笑って歩き出した。

 私も遅れずについていく。


「……だって、先輩のこと、取られたくなかったんですもん」


「俺のこと欲しがる奇特な人間は秋谷しかいない」


 そう言って少し前を歩く先輩がどんな顔をしているのか、わからなかった。

 ていうか、花沢さんがあからさまに先輩を狙ってたのに、気づいてなかったのか、この人。


「そんなこともないんですけど」


「あるよ。秋谷、肉はどれがいい? 牛とか豚だけじゃなくて羊もある」


「羊いいですねえ。えっと、牛と羊を山ほどと、豚は味付きがいいなー。鶏は焼き鳥がいいです」


「はいはい」


 先輩は微笑んで、私が食べたいと言った肉を取り皿に盛っていった。

 それからサラダも受け取って席に戻ると、さっそく花沢さんと磯山先輩はいい感じで話し込んでいた。


「お肉お待たせしましたー」


「お、サンキュ。じゃあ焼くか」


「焼くのは私がやりますよ」


 花沢さんがニコッと微笑んで、山田先輩から肉の皿とトングを受け取った。

 山田先輩はちょっと首をかしげて、それから私の隣に腰を下ろした。


「秋谷の言うとおりだ」


「うまくいってよかったです。山田先輩、乾杯しましょう」


 ジョッキを掲げると、先輩がふにゃっと微笑んで、カチンとぶつけてくれた。


***


 たらふく飲み食いして、磯山先輩が花沢さんを送ると言うから、二人とは駅で別れた。

 改札に向かおうとしたら、山田先輩に引き止められる。


「この路線からだと遠回りだから、少し歩こうよ」


「そうですね。私も飲み過ぎちゃいましたし」


「俺の分まで飲んでくれたからだろ」


 並んで歩き出すと、アルコールで火照った顔を、夏の風が撫でていった。

 夏の夜の街を、先輩と一緒に歩いていく。周りには同じように酔っ払った社会人ばかりだ。


「……あのさ」


 赤信号で止まったとき、山田先輩が低い声で言った。

 答えずに先輩を見上げる。先輩は無表情で赤信号を見ている。


「さっきの磯山さんって、秋谷と親しいの?」


「まあ、新人の頃からお世話になってますけど」


 先輩は何も言わない。


「でも、私が入社したときには、結婚予定の彼女さんがいらしたんですよ」


「……うん」


「だから、仕事中はお世話になってますけど、それだけです」


 やっぱり先輩は何も言わず、青になった信号を見て、横断歩道をいつもよりゆっくり歩いていた。

 街灯が点々と私たちを照らしていて、その狭間では先輩の横顔すら見えない。


「仕事外でご一緒したのは今回が初めてですし、他の女性をけしかけるくらいには興味ないです」


「そうなんだ」


「ええ。単純に顔が私の好みじゃないので……私は丸顔で、メガネで、一重で、穏やかな人が好きなんです」


「秋谷は趣味が悪い」


 泣きそうな声で先輩が言った。


「十年前から言われてます。私の友達にも、先輩のお友達にも」


 通りは、いつの間にか人通りが減って、住宅街へと差し掛かっていた。

 大きなマンション群を抜けると学校があった。

 私たちが通っていた高校ではないし、たぶん中学校とかだけど、それでも先輩と学校の横を歩くのは不思議な気分だ。

 あの時とは違って夜だし、私たちは制服じゃなくて、スーツとオフィスカジュアルで並んでいた。

 ……でも、変わらず先輩は優しくて、自信がなくて、そんな先輩が好きで仕方ない。


「先輩」


「ん」


「私と行きたい場所ってありますか?」


「秋谷とならどこでもいいけど」


 先輩は立ち止まって、校舎を見上げた。

 真っ暗な校舎はちょっと怖いけど、先輩が一緒だし。


「富山はすぐには行けなさそうだし、猫カフェ、行きたいな」


「行きましょう」


「俺、猫に嫌われるんだけど」


「エサ買えばいいですよ」


「そうだな……大人だし」


「ふふ、大人ですから」


 先輩は歩き出さないまま、黙って校舎を見上げていた。


「高校の時にさ、俺体育嫌いだったんだ」


「言ってましたね」


「でも、体育祭は秋谷が応援してくれたから、頑張ったんだよ」


「……そうだったんですか」


「まあ、頑張ったところで大した結果じゃなかったけど。でも、うん、頑張ってよかったって思ってる」


 先輩はそう言って私を見た。

 逆光で、先輩がどんな顔をしているのか、わからない。


「秋谷」


「……はい」


「ありがとう、今もあの時も、俺といてくれて」


「いますよ。ずっと、先輩と一緒にいます」


「……うん、ありがとう。帰ろうか」


 歩き出した先輩と一緒に、駅に向かった。


 駅のホームには、夏の終わりらしいひんやりした風が吹いていて、汗ばんだ先輩の髪をそよそよと揺らしていた。

 思わずスマホを向けた。カメラの音に、先輩が振り向く。

 先輩は目を丸くして笑った。

 もう一度カメラのボタンを押す。


 最終電車が秋の風を連れて、ホームに滑り込んできた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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