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13/30

13.私の前で誰かの話をしないで。そう言えてたら、こうはなっていないけど

 ある金曜日、山田先輩からいつもより早く仕事が終わったと連絡があった。

 私も適当に仕事を切り上げて、駅で先輩と待ち合わせた。


「案件に人を追加してもらえたんだよ」


 駅で合流した先輩が、少し肩の力が抜けた顔で嬉しそうに言った。


「よかったですねえ」


「ほんとだよ。これでしばらく落ち着く……かもしれない……」


 先輩は遠くを見るような目で、少し苦笑いを浮かべて言った。

 駅のホームは、がやがやとした帰宅中の社会人で混雑している。やってきた電車も、ゴールデンウイークほどではないとはいえそれなりに混んでいた。


「秋谷、こっち」


「はあい、わわ」


 先輩の後について乗り込むと後から一気に押し込まれた。

 ドアとドアの間あたりで、掴まる場所がない。


「俺に掴まってていいよ」


「……では、失礼します」


 先輩のシャツに掴まらせてもらうと、ふわりと洗剤の匂いがした。先輩に見つからないように深呼吸しようとしたら、途端に電車が動き出して、近くに立っていた女性がバランスを崩して私にぶつかった。

 よろけて先輩の胸にぶつかってしまう。


「あ、山田くん、ごめんなさい、大丈夫?」


「花沢さん。……俺は平気だけど」


「おつかれ。同じ電車なんだ、気づかなかった」


 その女性は可愛い声で先輩に話しかけていた。

 いや、私に謝れって言いたいけど、先輩の前でそういうことを言うのも大人げないし、先輩が私を支えるためか、ぐっと抱き寄せてくれていて、私は先輩の腕と胸に埋もれたままで声を上げづらい。


 ……まあ、いいか。

 そのまま便乗して、シャツを掴んでいた手を離し、先輩の背中に伸ばした。


「あ、ごめん秋谷。苦しくなかった?」


 先輩はそう言いつつ、抱き寄せる腕を解く気配はないままだ。


「一生このままで大丈夫です」


「プロポーズかよ。じゃあぶつかったりよろけたりしないように、そこにいて」


「えへ」


 先輩が甘ったるい声で言うから、お言葉に甘えさせてもらった。


「山田くん、えっと、そちらは……?」


 ここぞとばかりに深呼吸していると、女性が困惑した声を、こちらに向けてきた。

 先輩は「んー」と、考え込むように唸った。


「なんだろうな。高校のときの後輩なんだけど……」


「そうなんだ。そうだよね、彼女って感じじゃないなって思ったんだ」


 お?

 喧嘩なら買うが?

 顔を上げようとしたら、先輩の手が私の頭を押さえた。なぜ。けっこう苦しいです先輩。

 先輩のシャツ、めっちゃいい匂いだし、しっとり汗ばんでて最高なんだけど、息が苦しいです……!


「ちょ、先輩、苦しいですって」


 顔を上げたけど、微妙に逆光で先輩の表情がよく見えない。


「ごめん、つい」


「なにがついなんですか、もー。ところで先輩、こちらの方は……」


 女性のほうに首を向けようとしたら、また先輩の手で遮られた。

 なんなんですかね。


「秋谷、たしか降りるのって次だろ?」


「え? えっと、そうです」


「じゃあ、花沢さん。また会社で。お疲れさまでした」


「う、うん。あ、山田くん。明日のランチ、よさそうなところ見つけたから楽しみにしててね」


 車内アナウンスと重なって、先輩がなんて答えたのか聞き取れなかった。


 ていうか、なんだあのわかりやすいマウント。

 電車が揺れて、駅に着いた。

 先輩の手が離れたから顔を上げると、不満そうにジトッと私を見ていた。


「先輩?」


「……なんでもない。行こうか」


 歩き出した先輩の背中を追って、改札へと向かった。


***


 目的の焼き鳥屋さんのカウンターで、私はジョッキをあおった。

 一瞬で空になったから、通りすがりの店員にお代わりを頼んで、隣で焼き鳥を串から外している先輩を見上げた。


「さっきの方は、先輩のお知り合いですか?」


「うん。今俺が担当している案件に追加で入ってくれた人」


「へえ」


 つい、低い声が出てしまった。

 あんまりちゃんと見られなかったけど、すらりとしたきれいなお姉さんだった。

 そうか。先輩と一緒に仕事をしてる人なのか。

 面白くないな。

 唇を尖らせていたら、先輩が私に皿を向けてきた。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 チョロい私は、それだけで機嫌を直して口を開けた。


「秋谷、焼き鳥は何が好き?」


「ぼんじりと皮と砂肝が好きです。塩か柚子胡椒でお願いします」


「もう何本か追加しよう」


 先輩は店員に声をかけた。同時にビールのおかわりがやってきた。

 受け取ったビールを傾けようとしたら、また先輩が焼き鳥の皿を差し出してくるから、ありがたく受け取る。

 先輩は手元のビールグラスを傾けてから、焼き鳥を串から外した。


「先輩、食べてます?」


「あんまり。秋谷に食べさせるほうが楽しいから」


「ぶー」


「どうした?」


「どうもしないですけど。先輩、さっきの方とは親しくされてるんですか?」


 聞かなきゃいいのに。

 つい口から出てしまった言葉は戻せない。

 山田先輩は焼き鳥を見ながら、僅かに目を細めて首を傾げた。


「いや? そもそもさっきの……花沢さんが追加で入ったのってゴールデンウィーク明けからだからさ」


「あー、そうなんですね」


 ……その割には、馴れ馴れしいな、とか。

 完全に嫉妬とやっかみだから、言わないけど!


「同い年らしくてさ、でもすごい仕事できる人だから助かってるよ」


「へえ」


 ああ、ダメだ。私の愛想は、もう本日の営業を終えてしまったらしい。

 先輩は私の様子に気づいているのかいないのか、花沢さんの仕事ぶりを褒めていた。


「……というわけで」


「は、はい」


 ムカついて全然聞いていなかったのに、山田先輩はやけに嬉しそうに私を覗き込んできた。


「優秀な同僚が俺の溢れ返った仕事を助けてくれるようになったから、前よりはこうやって秋谷とごはんに行きやすくなったんだよ」


「……はい?」


「前に行けなかった、焼き魚の店も行こう。あと夜パフェ行きたい」


 先輩は私がポカンとしているのにも構わず、スマホでおしゃれなパフェがずらりと並ぶ写真を見せてきた。


 そうか。


 先輩は優秀な同僚が入ってきたぶん、その空いた時間を私にくれるのか……。


「先輩」


「うん?」


「このピスタチオとチョコのパフェを半分こしたいです」


「そうしよう」


 テーブルに追加の焼き鳥が運ばれてきた。

 ぼんじりと皮と砂肝が塩とタレで二本ずつ、柚子胡椒が添えられた皿。あと、先輩が頼んだらしい春菊やアスパラガスの豚バラ巻きに、椎茸やエリンギ。いや、多いでしょ。


「今の俺はそんなにダメじゃないから、秋谷は酒飲んでぐだぐだ甘えてくれていいよ」


 見上げた先輩は、ビール一杯で目尻を赤くして、蕩けそうな笑顔を私に向けていた。


『彼女って感じじゃないなって思ったんだ』


 さっきのセリフが頭に浮かぶ。

 そうかもしれないけど、そうじゃなかったとしても、この先輩の顔は私だけのものだし、あんなクソマウントごときにめげる私じゃない。


 こちとら、片思いを十年も拗らせているのだから。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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