62 知られざる意図
帰りの馬車のなかは、まるで夕食の席のようだった。アルフォンスとマキシミリアンが熱心に話をしている。いくらフランス語が上達しようが、なぜかこの二人の会話にだけは全くついていけない。何を話しているのかさえ見当がつかないことも度々だ。すでに、彼らの会話を理解しようと耳を傾けることすら諦めてしまっている。隣のアントワーヌは、彼も我関せずで、熱心に漢字の復習をしていた。
私はひとりで謁見の余韻に浸ったあと、本日の講評をきくためにアントワーヌに話しかけた。
「アントワーヌ、今日の私のフランス語はどうでしたか?」
「王があれだけ誉めていたんです。よかったですよ。」
もっと具体的な文法ミスなどの指摘をしてくると思ったところ、あっさり誉められてしまった。
「私、文法のミスとかしていませんでしたか。」
「してましたよ。接続法などあなたが知らない文法事項はまだありますから、半年という学習時間を鑑みると文法的な正しさはそこまで重要ではありません。」
いつもと比べると評価が甘い。いや、甘すぎる。
「でも以前、文法的な間違いをしたから、試験を課されましたよね。」
「そうですね。Vousyerとtutoyerの区別は、このような場で誤ってはいけないことですから。でも、現在形なのか接続法かの区別は失礼にはあたらないので、問題ありません。それに一般市民でも間違われる方はいますので。」
どこまで食い下がっても評価は甘いままだ。誉められているのに、どこか釈然としない。
「本日、あなたに求められていたのは、失礼なく王と意思疎通が出来ることでした。そして、あなたはその基準をきちんと超えた。」
少し間を置いて、彼は静かに言った。いつの間にか、マキシミリアンたちも私たちの話を聞いていた。
「Vous avez bien évité les problèmes.(しっかりと問題を回避しました)」
そして、アントワーヌはこれで話は終わりというように、再び漢字を書いた紙に目を戻した。しかし、私のなかの違和感は彼の最後の一言で一気に大きく膨らんだ。問題?そんな話は聞いていない。
「問題って何ですか?」
アントワーヌは顔を上げた。その表情は先ほどと変わらない。
「あなたは今まで危うい立場にいました。」
思ったよりも、物騒な単語がアントワーヌの口から出た。彼が大げさにいうことはない。つまり本当に危ういことがあったのかもしれない。
「危うい?」
「はい。」
「アントワーヌ。」
マキシミリアンが制止するように強めに名前を呼んだ。
「マキシミリアン、止めないでください。やっぱり舞花も知っておくべきことです。」
やはり彼も知っているのか。いったいこの人たちは私に何を隠しているのだろうか。私が抱いていた違和感が不信感に変わりつつあった。アントワーヌの言い分にマキシミリアンは不服そうだが、アルフォンスが黙ったまま頷いたので、アントワーヌが話を続けた。
「あなたは遠い知らない国から来た若い女性です。」
「そうですね。」
「この国では若い女性は無知だという偏見がまだ強いのです。」
「ああ。」
それに関しては驚きがなかった。アントワーヌが私が文字を読み書きできたことに驚いた時点で、そういった偏見に関しては気づいていたことだ。でもそれが、どう「危うい状況」に繋がるのだろうか。
「だから、あなたが召喚された当初は、この召喚の儀が失敗だという人が少なくはありませんでした。」
「......え。」
気づいていなかったわけではない。でも、こう改めて口に出して言われると、胸になにかこみ上げてくるものがあった。
「残念ですが、それが現実です。」
「勝手に召喚して、それってひどいんじゃないですか。」
別に彼がそう思っていないことは知っている。でも、私はこの気持ちをぶつけずにはいられなかった。そんな私の八つ当たりをアントワーヌは表情を変えずに聞いている。
「その通りだと思います。そして、失敗だと思っている人がそう思うだけならばいいのです。しかし、その失敗を修正しようという動きをしないという保障はありません。」
「失敗を修正?」
意味が分かるようで分からなかった。
「そうですね......。」
すると、ここまで黙っていたアルフォンスが口を挟んだ。
「アントワーヌ。そこまで説明する必要はないんじゃないかな。」
アントワーヌも少し考え、アルフォンスの言葉に従った。
「そうですね。」
多分、この話は今を逃したら二度と聞くことは出来ない。ここで止められては私は困る。
「いや......、教えてください。失敗の修正ってどういうことですか?」
「......本当に知りたいですか。」
珍しくアントワーヌが真剣な眼差しでこちらを見つめ、こちらの意思を確認してきた。やっぱり、彼もアルフォンスの子で、マキシミリアンの弟なのだ。瞳に妙な迫力があった。それでも、知りたいものは知りたい。
「......はい。」
「召喚人の......立場を貶め、排除するように仕向けることです。」
éliminer(排除する)という単語が耳のなかでこだましていた。
「......ですが、安心して下さい。過激なことが行なわれていたのはもう百年ほど前の話です。前の召喚人の方は寿命を全うしました。」
彼にとっての優しさから、このように補足してくれているのだろうが、むしろ「éliminer」と相まって、「危うい状況」のおぞましさが引き立ってしまっている。私はなんと返事をすればいいのだろう。混乱したところに、マキシミリアンが私の名前を呼んだ。
「舞花。」
顔を向けると、いつものように鋭い視線が私を捕えた。
「君はこの短期間で多くの功績をあげた。そして、先ほど王がそれを公式の場で認めた。だから、もうそんなことは誰も思っていない。」
どうやら怒っているわけではなさそうだ。彼の言葉が頭に全く入ってこない。
それよりも、もしかしたら、この人も私のことを「失敗」と思っていたのだろうか、という考えだけが頭を支配していた。何か指示があっても私でなくアントワーヌに伝えていた頃のマキシミリアンを思い出した。だからあんなに冷たい態度だったのかもしれない。点と点が繋がった気がして、妙に納得してしまった。
「君は召喚人として価値があるということを自分の手で証明したんだ。誇っていい。」
彼は少し熱のこもった口調で締めた。誇ってもいいと言われたが、何のことだろう。価値? 私に対する価値が見つかったのだろうか。頭が全く話に追いついていない。
「もう誰も失敗なんて思っていません。」
アントワーヌの静かな口調が隣りから聞こえてハッとした。やはり「失敗」という言葉は私のなかで重く響いていたようだ。その楔が深く刺さるまえに、アントワーヌが抜いてくれる。そして、ここにきてやっと、彼ら兄弟は王のように私の功績を誉めてくれているということに気ついた。
「いや、でもそれは偶然で。周りの人の力もありますし。」
しまった。思わず、この世界ではやらない方がいいと言われていた謙遜をしてしまった。だが、訂正する前にマキシミリアンがその言葉に反応した。
「偶然でも、その偶然を引き当てるために、考えて行動したのは君。君の行動の結果だ。」
確かに、秋のサロンの途中から、マキシミリアンの私に対する態度が柔らかくなった。それが結果だったのだろう。
「私たちの方でもあなたが困らないようにしように誘導していましたが、秋ぐらいからあなたは自分で球を転がし始めていました。今は私たちが教えるのではなく、教わる側です。パフェや手作りキットのように。」
え。一瞬アントワーヌの言葉が理解できなかった。どういうことだろう。私のフランス語の解釈が間違っているのかもしれない。
「ちょっと待ってください。あの試験とかって、嫌がらせじゃなかったんですか。」
「は?」
最初に反応したのは、マキシミリアンだった。また眉間にしわを寄せ、こちらを睨んでいる。しかし、答えたのはアントワーヌだった。
「ああ。あの試験ですね。突然でしたし、そう思われても仕方がありません。ですが、公の場で不用意な発言をしないためには、必要なことだったんです。」
「え?」
やはりおかしい。
「あの試験は、マキシミリアンがあなたを心配して行なったことなのです。」
「L’inquiétude? (心配)」
私は必死に頭のなかの辞書をめくり、「L’inquiétude」に別の意味がないかを確かめた。
「当たり前だ。」
照れることなく総即答したマキシミリアンは、私が嫌がらせだと思っていたことが不本意であることを隠そうとしていなかった。
「ああ。分かりました。」
そう答えたものの、私は思わず手で口元を覆った。
マキシミリアンが心配していたことにも驚いたが、それ以上に、それを当たり前のことのように言ったことに驚いた。
今まで怖いとか、厳しいとか、むしろ敵に近い存在だと思っていた。
分かっているのか。
足りない。
気をつけろ。
全て、私に対する不満の言葉だと思っていた。なのに、その全部が心配だったなんて。微塵も気がつかなかった。
私が鈍かっただけなのだろうか。
いや――そんなの、分かるわけがない。
アントワーヌが言わなければ、一生気づかなかったかもしれない。
不器用すぎる。
そう思うと、笑えてきた。
自分が虐げられたかもしれないことより、マキシミリアンが私を心配していたという事実の方が、ずっと衝撃だった。
それから帰り道の間、私は向かいのマキシミリアンの顔を見ると口元がゆるみそうになるので、手で覆ったまま、ずっと彼の胸元ばかり見ていた。
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