50 結局は、あの人次第
「立ち話はよくない。ここは君の友人の工房なのかい?工房主は、そこのお嬢さんかな。良ければ、少し場所をお借りしても?」
その言葉に返事をする前に、場の空気が決まっていた。
私はマノンの工房の応接間で、フィリップ王子と向かい合ってお茶を飲んでいた。
「Je vous avais adressé une invitation à prendre le thé. J’ose espérer qu’elle vous est bien parvenue. Hélas, au lieu de votre réponse, j’ai reçu une lettre particulièrement véhémente de la part de votre très vigilant protecteur. Décidément… certaine personne prends son rôle auprès de vous avec un sérieux admirable. 」
(お茶のお誘いをお送りしたのだが、きちんと君まで届いただろうか。残念なことに、君でなく君の警戒心の強い保護者から、実に激しい抗議文を受け取ってしまった。まったく……彼は実に見事なほどの生真面目さで、お役目を果たしておられるようだ)
数ヶ月、毎日のようにフランス語を浴びてきたおかげで、意味そのものは拾えるはずだった。それなのに、言葉がそのまま頭の中を素通りしていく。同じフランス語のはずなのに、音の密度も、単語の選び方も、どこか違う。理解できるはずの会話が、理解できる形をしていない。
焦っていると、話は変わったようだ。急に内容が頭に入ってくるようになった。
「J’ai visité l’exposition du Salon d’Automne. C’était remarquable. 」
(秋のサロンの展示を見たよ。素晴らしかった)
「それに、ヴェルニサージのパフォーマンスもかなり良かったみたいだね。見れなくて残念だ。」
「そこで提案なのだが、かんざしを王家のクリスマスの献上品リストに入れさせてもらえないだろうか?」
「リスト?」
「簡単に言うと、王へのプレゼントのリストだよ。どうだろうか?」
「Ou…」
つい、今しがた、マノンからの提案を安請け合いして、アントワーヌに止められたことが頭をよぎった。そこで、アントワーヌの方を向く。
「あとで。」
しゃがんだアントワーヌが日本語で囁いてきた。
「他の人に確認してみます。」
この世界で二人にしか分からない言葉で指示を出され、悪いことではないのに、心臓の鼓動が急に速くなる。
「分かったよ。良い返事がもらえることを期待している。」
しかし、こちらの動揺はフィリップ王子にとっては、取り留めないことだったようだ。あっさりと引き下がってくれた。そして、立ち上がり、再び私の手を取る。
「J’espère avoir le plaisir de vous revoir très prochainement, mademoiselle Maïka. 」
(では、近いうちにまたお会いできるのを楽しみにしております、舞花さん)
そういって、工房を出ていった。
残された私たちは皆、しばらくの間、呆然としていた。沈黙を破ったのは、マノンだった。
「舞花、返事はどうするの?」
「返事?」
「王家のクリスマスの献上品リストよ。」
「それって何なの?」
「フィリップ様が言っていた通りよ。国民から王様へ送る贈り物の一覧。その中に入るということは、王家が正式に認めた品という意味になるわ。これに“かんざし”が入れば、工房の名前は一気に広がるわね。」
マノンの家は大きな商家とはいえ、彼女の工房自体は設立したばかり。秋のサロンの効果で、多少名が売れたが、お墨付きがもらえれば、全国的に名が知れ渡る。
「じゃあ、大きなチャンスじゃない!マノンは、どう思う?この提案を受けた方がいいと思う?」
「もちろん。でも......」
言い淀んだマノンはアントワーヌの方を見た。皆が頭に浮かべている人物は同じらしい。
「そうですね。これもマキシミリアンに確認してみましょう。ですが、難しいかもしれません。」
「そうよね......。カトリーヌから聞いたわ。マキシミリアン様、フィリップ様の手紙を......。」
そこでマノンが破る仕草をした。やはり不敬罪とかあるのだろうか。彼女が言及を避けた行為をしたマキシミリアンは、やはり普通ではなかったようだ。
「そうですね。そんなみっともない真似を皆さんの前でしてしまう人が、フィリップ様の申し出を受けるかは分かりません。ただ、贈呈品リストに載る利点も分かっていますので、舞花や工房に不利益なことはしないでしょう。」
「それなら良かったわ。」
やはり工房長のマノンとしてはリスト入りしたいのだろう。アントワーヌの前向きな返答に胸を撫でおろしていた。
「それなら、仕事しましょう!きっともっと忙しくなるわよ。」
「はい!」
やっぱりマノンはよい工房長だ。工房の人たちも期待に胸を膨らませ、作業に戻っていった。
帰りの馬車の中で、私はアントワーヌにフィリップ様のことを尋ねた。
「彼と話したのは、今日が初めてでしたが、「賢い」方ですね。舞花はどんな印象でしたか?」
「ザ・王子様って感じでした。優雅だし、言い回しも難し過ぎて良く分かりませんでした。」
「あれはですね…。」
先生モードにスイッチが入った。
「始めの部分や最後のところは、舞花でなく私に向けて話していたからです。厳密にいえば、私から報告を聞くであろうマキシミリアンにです。だから、皮肉もたくさん入っていました。でも、秋のサロンの話や贈呈品リストの話はどうでしたか?」
「そうなんです。急に分かりやすくなりました。」
「そこは舞花に向けて話していました。あわよくば、あなたの言質を取ろうとも……。」
「あっ!」
私は危うく返事をしかけたことを思い出して、息を飲んだ。私はフィリップの誘いに、まんまと載るところだった。今さらながら、事の重大さに気づく。
「そう、あの時、あなたが気がついてくれて、良かったです。献上品リスト入り自体は問題ではありませんが、もしあそこで提案を受け入れていたら、マキシミリアンが怒り狂ったかもしれません。」
「それほどなんですか。」
「私は政治の話は分かりませんが、彼の第三王子嫌いは相当なものです。」
フィリップも怖いが、やはりマキシミリアンは怖い。それにまた怒って何を言い出すか分からない。フィリップ様は「また今度」と言っていたけれど、その今度が来ないことを切に願った。
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