46 クリスマスって何ですか?
気づけば11月も終盤になっていた。木々はすっかり葉を落とし、吐く息も白い。秋の騒がしさがひと段落し、私は久しぶりに落ち着いてフランス語のレッスンに向き合う日々へ戻っていた。
「Que vous évoque le mois de décembre ? 」
(12月といえば何を思い浮かべますか)
「クリスマス。」
迷うことなく即答だった。あまりにも当たり前の答えだから聞き流されるだろうと思っていたら、アントワーヌがぴたりと筆を止めた。
「…Pardon ? Qu’est-ce que “Christmas” ? »
(……失礼ですが、“クリスマス”とは何ですか?)
ヴァルドールはフランスの文化を踏襲しており、異世界なのにキリスト教が主流である。なのに、クリスマスを知らない。それはおかしい。
「Euh… c’est un événement chrétien. C’est pour la naissance de キリスト. »
(えっと…キリスト教のイベントです。イエス・キリストが生まれた日を祝います)
「Qui est キリスト ? 」
(キリストとは?)
ええ!これでも分からない。予想外の反応に焦り始めた。
「神の子......だったと思います。」
色々と聞いたことがある気がするが、あやふやすぎて、思わず語尾がしぼんでしまう。
「その根拠はなんですか?」
「教会にいつも像があるし……こんな感じのが。」
私は十字架に磔られているキリストの真似をした。アントワーヌはしばらく真剣な顔で考え込んだあと、はっと顔を上げた。
「Ah. Vous voulez dire Jésus-Christ.」
(イエス・キリストのことだったんですね)
「Dans ce cas, “Christmas” correspond à Noël.」
(つまり“クリスマス”とはノエルのことですか)
「…Peut-être(多分).」
もうこれ以上、キリスト教について聞いてこないで、と願っていると、アントワーヌは思わぬ角度から斬りこんできた。
「日本もキリスト教徒なのですか?」
「いいえ、ちがいます。私たちはキリスト教は信じていませんが、木を飾り、ケーキを食べたりしてお祝いします。」
「何を祝うんですか?」
「えっと……クリスマスをです。」
「それは、説明になっていませんね。」
「……ですよね。」
笑って誤魔化すが、目の前の男性は心底不思議そうな顔をしている。真面目に信仰している人たちには、日本人が特に深い理由もなく、世界的な祝祭に便乗している感覚は理解できないだろう。そして、こちらもその感覚を説明することは出来ない。
「では、日本ではクリスマスにはどんなことをするんですか?」
「子どものときは、サンタクロースにプレゼントをもらいます。」
「Père Noël のことですかね。」
「白い髯に、赤い服を着たおじいさんです。」
「じゃあ、そうですね。」
「他にはクリスマスには何をしますか?」
「私の家では、毎年新しいクリスマスツリーの飾りをひとつずつ作っています。母は手作りで何かを作るのが好きです。だから、毎年その時に気に入っている方法で、飾りを作るんです。」
「例えば?」
「厚い紙に毛糸をまいたり、クルミの殻で人形を作ったり……。」
今まで思い出したことすらない、当たり前の、当たり前だった光景を思い出した。大学に入ってからは、一人暮らしを理由に、私はクリスマスが終わってから帰省するようになっていた。だから、ここ数年は一緒に飾りを作っていない。でも、帰省するたびに新しい飾りを楽しそうに見せてくれる。たぶん母は今年も作るのだろう。今は何にハマっているんだろう。でも、もう今年の新作を見ることはできない。そう思った瞬間、視界がぼやけた。
「……あ。」
手の甲にしずくが落ちて、ようやく自分が泣いていることに気づく。しかも、ぽたぽたと大粒の涙を流している。こんな風に泣いたのはいつぶりだろう。
アントワーヌを動揺させてしまって申し訳ないと、涙を流しながらも顔を上げて、彼を見ると、ひどく優しげな目が私をのぞきこんでいた。こんなに彼から温かさを感じたのは初めてかもしれない。
「Pourquoi… c’est moi…?」
(どうして、私なんですか?)
気づけば、私は彼の袖を握っていた。アントワーヌは強く握られた私の両手を取り、変わらぬ優しい目をまっすぐこちら見つめてきた。
「...Je suis vraiment désolé, mais votre présence ici n’est pas sans raison. 」
(本当にすみませんでした、でもあなたがここにいるのは意味があるんです。)
アントワーヌは、しばらく静かにこちらを見つめていた。それから、ゆっくりと言った。
「悲しみは、忘れようとしても消えません。でも悲しみを和らげることは出来ます。そのためにも、過去を語れるようにならなければいけません 。」
確かに、自分のなかに感情を押し込めておくと、ろくな方向に膨張していかない。それよりは、人に話して外に出していった方がいいかもしれない。いつもは斜め上をいくアントワーヌがくれた、まともなアドバイスが心にしみる。
「だから、まずはpassé composé(複合過去)とimparfait(半過去)を身につけなければいけません 。」
「……はい?」
あまりにも予想外すぎて、涙が引っ込んだ。数秒遅れて、笑いが込み上げてくる。
「passé composé(複合過去)とimparfait(半過去)です。現在形では、過去の出来事は語れませんから。」
「ふふっ……何それ……。」
泣きながら笑う。
「重要ですよ。」
アントワーヌは真顔だった。
「この使い分けは非常に難しいのです。特にフランス語学習者は、過去の継続表現と単発事象の区別で──。」
さっきまであんなに泣いていたのに。それなのに、今は笑っている。さっきの発言は訂正させてほしい。彼のアドバイスはやっぱり斜め上をいく。でも、今回はそれが嬉しくって、素直に従っておくことにした。
ひさしぶりにフランス語が出来て、私もうれしい。
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