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43 アントワーヌの観測

 

 今夜、ヴァルドールに新たな美が芽吹いた。私の当初の予測を大きく上回る成果だ。


 デモンストレーション終了後、展示スペースには瞬く間に人波が押し寄せた。その密度は、ついに入場制限を設けざるを得ないほどだった。公式責任者たるマキシミリアンも、各方面から引っ張りだこで、とても声をかけられる状況ではなかった。ヴェルニサージュの話題も終始、「かんざし」と「浴衣」に集中していた。


 この夜を境に、ヴァルドールにおけるジャポニズム受容の土壌は決定的に整ったと言っていいだろう。かつて西欧美術が日本の感性に揺さぶられた時代に匹敵する揺らぎが、この国にも訪れる。


 これで舞花の存在価値を疑う者は減るだろう。すると、おのずと予算、人員、研究機関、必要なものは自然と集まってくる。――なんと理想的な研究環境だろう。これで、ようやく研究が本格的に始められる。



 まず記録しなければならない、日本からの最初の贈与、その瞬間を。 しかし、何から語るべきだろうか――。


 会場が暗転し、静かなピアノの旋律が流れ始めた。舞花が教えた「さくらさくら」という伝統的な曲を編曲してもらったものらしい。馴染みのない旋律が異国情緒を醸しつつも、シンプルなそれは耳馴染みがよかった。


 そして、春のモデルたちが現れた。舞台の効果だろうか。今朝のリハーサルの時とは異なる雰囲気をまとっていた。ステンシルで模様を施した浴衣に帯を締め、髪にかんざしを挿す。ただ、それだけ。にもかかわらず、そこには一切の不足がなかった。いや、だからこそ凛としていた。


 洗練された美。


 私はこれまで、美とは加算によって成立すると考えていた。色彩、装飾、構築、技巧。要素を積み重ねるほど完成へ近づくと。だが、舞花が示したのは逆だった。削ぎ落とすことでしか到達できない美が存在する。今回の衣装は不要なものを削ることで純度を高めるというraffinement(洗練)の語源を見事、体現していた。


 それは布の模様の配置にも明確に現れている。舞花は布地全体を均一に埋めることを避け、袖や裾へ模様を集め、あえて広い余白を残した。それを見て、私が未完成なのか尋ねたところ、少し考えて、困ったように笑った。


「余白が大切なんだよ。」


 その時は、よく分からなかった。だが、舞台の上で見た時、ようやく理解した気がする。描かれていない部分は欠落ではない。


 呼吸だ。


 余白が動きを生み出す。


 このダイナミズムが、技巧の密度と美しさが比例する我々の美の在り方の根幹を揺さぶる。


 そこに、数枚の桜の花びらが舞った。それを一枚一枚、目で追う。

 気づけば、私は息をするのを忘れていた。


 美しかった。



 演出の確認の際に、舞花は籠どっさりに用意された花びらに苦笑いし、そこからひとつまみとり、「これで十分よ」と伝えていた。これもまた余白の持つ美しさだというのか。フランス語にはこの美しさにあう形容詞を私は知らない。舞花が見せたかった春とは一体――。


「咲いたらすぐに散り始めます。美しい終わり。それが哀しいんです。 」

 いつかの舞花の言葉が思い出される。これが舞花の言っていた桜が散る美しさ、哀しさの伴う美しさなのだろうか。彼女の思う春の美しさを、ここに詰め込んだのか。いや、象徴などという曖昧なものではない。春の美しい一瞬を切り取ったような精度だった。



 そして、舞花が髪のかんざしを抜き取った瞬間、会場がどよめいた。長い黒髪が一気に落ちる。乱雑に落ちる髪に華やかさを感じたことがあっただろうか。観客たちから短い感嘆がもれる。彼女はそのかんざしを、Yukataを纏うもう一人の頭に挿す。


 これほど優美で明快に、異世界からこの国へ受け渡されるものを表す所作があるだろうか。彼女もまた、これまでの召喚人同様、異世界からもたらされる我々の特権(notre privilège)なのだ。



 夏、秋、冬。そして季節は巡っていく。どれもが異なる美しさを体現していた。彼女は花に何を感じているのだろうか。世界は彼女の目にどう映っているのだろうか。


 この場にいた多くの者が、同じ予感を抱いたに違いない。かんざしプロジェクトの熱狂こそが、その可能性の大きさを雄弁に物語っていた。今夜芽吹いたこの美が、やがてヴァルドールをどう変えていくのか。その最初の証人になれたことは、ここにいる我々の財産である。



 私はその全てを見聞きし、記録したい。自分たちの興奮も含めて、全て。我々の文化はひとりの召喚人を起点にどのように変化していくのか。観測は、まだ始まったばかりだ。

火曜日・木曜日・土曜日の21時前に更新しています。

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