42 かんざしをあなたに
「Ah bon !? Le Salon d’Automne ne commence pas aujourd’hui ?」
(……え、サロンって今日からじゃないの?)
ショーの開演まで、あと一時間。
人気のない展示会場を見回して首をかしげた私に、アントワーヌは信じられないものを見るような顔をした。
「Vous ne le saviez pas ?」
(まさか、知らなかったのですか)
そこで初めて、私は知った。今夜行われるのは、秋のサロン本番ではない。“Vernissage”――正式開幕前夜に開かれる、限られた招待客だけの披露会だということを。
つまり、ここに来るのは一般客ではない。この国の流行を決める人間たちが、一足先に作品を見定める夜なのだ。
アントワーヌはこの会の重要性が分かっていない私に一生懸命その価値を説明してくれる。彼が日本の話題以外でここまで熱くなるのは珍しいが、怒涛の三日半で疲労が極限に達し、妙な昂揚状態に入っているらしい。
ただ私には「重要な人たちが見定めに来ている」という情報は頭に入ってこなかった。
「Antoine, c’est Maïka.」(アントワーヌ、舞花らしいじゃない)
カトリーヌがアントワーヌの熱弁を遮る。
「それに、彼女がヴェルニサージュを知らなくとも、支障はないでしょ。それよりも舞花、浴衣の準備よ。帯を結んで。」
マノンは私の手を引きつつ、アントワーヌの方を見た。
「それでは私は舞台の確認が済んだら、会場から見ていますので。」
「Bon spectacle.(良いショーを)」
アントワーヌが控え室から出ていった。私たちは浴衣の着付けにとりかかった。
思えば、この数日はすごかった。
ドレスからYukataに変更が決まり、アントワーヌとカトリーヌと一緒にマキシミリアンの説得に向かった。”何が何でも許可してもらう”と息まいて向かったが、マキシミリアンに衣装の変更などを告げると、あっさりと継続の許可が出された。
そのことがもうずいぶん昔に感じるくらいだ。
カトリーヌとクレモンスに展示場のチェックや新しい説明書き作成等を丸投げし、他のメンバーは衣装の制作に集中することになった。工房では、エロディやマノンたちがYukata作りでヒートアップしていた。
「この襟幅じゃ野暮ったいわ!」
「でも細すぎたら帯とのバランスが崩れるでしょう!」
「だからそこをどう処理するかって話よ!」
工房の中央で、エロディとマノンの声が火花のように飛び交う。そのたびに、周囲の職人たちが無言で新しい型紙を切り始め、新しい試作品が出来上がっていった。
そのころ、すぐ隣で、私はクララと生地作りに励んでいた。結局、生地の模様をステンシルで付けることになった。クララと模様のデザインを決めたあと、私たちはステンシル用の油紙を切り抜く作業に入る。工房の職人であるクララはもちろん、私も手先は器用な方だ。けれど、細いナイフで寸分の狂いもなく模様を抜いていくのは、想像以上の集中力を要した。 しかもこの喧騒の最中。シンプルな模様にしたものの、失敗した油紙が増えるたびに焦りも募る。
「Pardon.」
試作品を持ってマノンが、切り出し作業中のクララに腕が当たってしまった。すると、クララが顔を上げた。
「舞花さん、ボーモン家の小応接間をお借りすることって出来ませんか?」
いつも優しいクララの口調に苛立ちが見え隠れする。見れば、切り線が枠から大きくズレていた。完成間近の雪の結晶が台無しだ。
部屋の隅で黙々と記録を取っていたアントワーヌが、そこでようやく顔を上げ、すかさず答えた。
「屋敷の使用は構わないですよ。ちなみに雪の結晶には定まった形がないので、挽回できます。こんなのはどうですか?」
クララのミスが隠れるような新しい線を、油紙に書き込む。
「ありがとう……」
ナイスフォロー過ぎて驚いた。
猫も手も借りたい時だ。アントワーヌの手も使っていこう。
移動後、彼は初代ステンシル大臣に任命され、ボーモン家の使用人総出で布にステンシルの絵付けが行われた。
その後も問題が絶えなかった。
「なんで帯がこんなに柔らかいの!? ……というか短い! 結べない!」
「誰のせい?」
「私だよね!」
言いたいことを全てフランス語で言えるわけもなく、開き直って日本語でひとりワーワー言いながら、作業を続けている。最初こそ戸惑っていたものの、途中からは“また始まった”とでも言いたげに見守るようになった。私のおおっぴらな自問自答が収まると、どうすればいいのか聞いてくれる。さすがマノンの部下。効率がいい。
そして、この数日で驚いたことは、職人の技術力とかではなく、実は働き方だったりする。日本なら、この状況で作業が夜をまたぐのは当然だった。
しかし、ヴァルドールではそうではない。毎日、遅くならない内に解散となった。「大丈夫なの?もう少しやった方がいいんじゃない?」と聞いてみたら、「戦場じゃあるまいし……。それに無理して、体調を崩して、どうするの?」と、若干引き気味な感じで答えが返ってきた。
限られた時間の中で最大限の精度を出し、それ以上はきっぱり手を止める。
だからこそ、時間内で遠慮は不要だった。
それに、今日も疲れてはいるが、倒れそうな程ではない。
この会を楽しむ心の余裕も――。
――そう思ったのも束の間だった。
着付けも終わり、化粧やヘアセットも終わり、後はスタートの合図となる音が流れるのを待つのみ。カトリーヌが髪の毛バサッにこだわったせいで、私がトップバッターの春の浴衣モデルになった。
数時間前に確認した立ち位置や流れを頭の中でおさらいする。
私がヘマをしたら、このデモンストレーションは終わる。
会場が暗くなり、「さくらさくら」をアレンジしたピアノ曲が流れ、歩き始める。
お茶会で喜ばれた葡萄のかんざしから始まり、
かんざしを作り、
四季を伝え、
浴衣からYukataが生まれ、
ここまでたどり着いた。
私ひとりでは来られなかった。
一緒に作ってくれた仲間
背中を押してくれた人
たくさんの人の顔が思い浮かぶ
日本文化をヴァルドールの人に届けたい。
ステージの真ん中までたどり着き、
反対側から歩いてきたもう一人の春のモデルと合流する。
どこからか数枚、桜の花びらが落ちてきた。
私は、大きな動作で、髪につけたかんざしを抜き取った。
髪がばさりと落ちる。
客席がにわかにざわついた。
私はYukataを着る彼女の髪に、そのかんざしを挿し、
自分の髪を新しいかんざしでまとめ直し、
そして彼女と並び、夏を待った。
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