40 背水の陣
秋のサロンまであと3日――。
午前中に、マノンたちが緊急だと駆け込んできた。
馬車から降りたマノンは、挨拶もせずに、真っ青な顔で飛び込んできた。
「Maïka, … les robes… nos robes…(舞花...ドレスが…ドレスが...)」
彼女は言い切る前に泣き始めてしまった。いつもサバサバして、物事を進めている彼女の姿はそこにはなかった。
「Qu’est-ce qui se passe ?(どうしたの)」
その答えは、後ろから降りてきたクララの手にあった。桜色のドレスがズタズタに引き裂かれ、大きなシミが何ヶ所もついている。
「朝、工房を開けたら、こんなことになっていたんです。他のドレスや浴衣も、全て使い物にならないようになっていました。」
目を真っ赤にしたクララが、震える声で説明をしてくれた。
「ごめんなさい。ごめんなさい...。」
胸元でマノンが謝罪の言葉をくり返しつぶやく。一緒に泣きたくなる気持ちを抑えながら、マノンをぎゅっと抱きしめる。
心臓がバクバクと鳴り響く。でも、ここで私も一緒になって泣き出したら、収拾がつかなくなってしまう。大きく深呼吸をした。
「外部の仕業でしょうか?」
アントワーヌがクララに尋ねる。
「多分。鍵が壊されていました。」
「犯人の目星は?」
「ありません。」
「裾だけではなく、留め具のあたりや胸の刺繍の部分など、補修がきかないように徹底的に傷つけられています。服飾の関係者の可能性が高いですね。」
「衣装は作り直せそうですか?」
「浴衣に関しては、単純な作りなので、生地さえあれば作り直せます。でもドレスは、一点ものなので、今からでは、デザインを変えないと厳しいです。」
そこにクレモンスを乗せた、カトリーヌの家の馬車が到着する。
「何が――」
二人ともクララの持ったドレスを見て、絶句する。
こんな形で終わってしまうのだろうか。
誰かのせいで、諦めなくてはいけないのだろうか。
怒りなのか、悔しさなのか、わからない強い感情が身体のなかで渦巻いている。その激情を抑え込みながら、何か打開策はないのだろうかと、懸命に頭を動かす。
「Que s’est-il passé ici ?(一体何があったのだ)」
聞き覚えのある声がすぐ後ろからした。最悪だ。彼が気づかなければ、衣装をどうにかして、サロンのオープニングに間に合わせることもできただろう。でも、もうその望みすら絶たれてしまった。
振り向くと、すぐ後ろにマキシミリアンが立っていた。
「デモンストレーション用の衣装が何者かによって、全て駄目にされてしまいました。」
アントワーヌが一連の騒動を説明する。
「Dans ces conditions, il n’est plus possible de maintenir la cérémonie d’ouverture. La gendarmerie sera immédiatement dépêchée à l’atelier afin d’enquêter.(なら、オープニングイベントは中止だな。工房には憲兵を送り、調査をさせる)」
マキシミリアンは迷いの一切ない冷たい声で言った。
「Attendez !(待ってください)」
「Hmm ?」
「Attendez !」
マノンを胸から離し、マキシミリアンの前に進み出た。
「Attendez, ne décidez pas encore.(まだ決めないでください)」
「Mais les responsables de l’atelier affirment que c’est impossible.(でも、工房職員が無理だと言っているんだぞ)」
「Si on réfléchit calmement… peut-être une solution.(ですが、落ち着いて考えてみれば、何か解決策が浮かぶかもしれません)」
「Avez-vous une idée ?(何か策があるのか)」
「…Il y a peut-être une solution.(……あります)」
その場にいた全員の視線が私に向けられた。
「何だ。」
「今は言えません。確認したいので、時間を下さい。」
「わかった。正午までにまとめて、報告しなさい。そこで判断する。そこで私が無理だと判断したら、デモンストレーションは中止にする。かんざしはあるのだから、かんざしプロジェクトとしては、展示さえできれば十分成功だ。気にするな。」
そう言って、マキシミリアンは屋敷に戻っていった。
マキシミリアンの意見は正論だ。あくまでもかんざしの展示がメインであり、デモンストレーションはそのおまけにすぎない。でも、私たちにとって、少なくとも私にとっては、そうではなかった。カトリーヌとアントワーヌの好奇心も、エロディの大量のYukata案も、工房中の生地を引っ張り出して悩んだことも、ドレスの細かい刺繍に注がれた工房の職人さんたちの情熱も、なかったことには出来ない。
「策って何なの?」
クレモンスがこっそり尋ねた。
「知らない。」
「え?」
「……今からみんなで考える。」
「…… わかったわ。みんな急いで行きましょう。」
私たちはいつもの小応接間に向かった。私の「策」に安心したのか、マノンたちも少しずつ冷静さを取り戻していた。
「ごめんなさい。うちのセキュリティが十分じゃなかったわ。」
重い雰囲気が漂うなか、マノンが全体に向かって謝罪を口にした。
「やめてマノン。あなたのせいじゃないわ。これは犯罪よ。責めるべきは犯人よ。」
クレモンスが強い口調で犯人を糾弾する。
「犯人を探し出して――。」
「クレモンス、その前にやるべきはデモンストレーションの準備よ。舞花の策って何?」
カトリーヌの言葉で、藁もすがるような視線が、私のところに集まった。
「ごめんなさい。何もないの。考える時間がほしくて。」
私は勢いよく頭を下げた。ここで何も出さなければ、デモンストレーションは中止だ。
衣装はすべて失った。
でも、何もかも失ったわけじゃない。
やり方を変えれば、まだ間に合うかもしれない。
「でも、私たちに出来ることはあると思うの――」
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