26 アントワーヌの考察 主語編
今話から更新が週2(火曜・木曜)になります。
9月に入り、舞花にひとつ目標を与えた。
「文で話す」
これは同時に、自分にも課した目標である。
まだ、ひらがなとカタカナを読めるようになっただけで、「カンジ」には踏み込めていない。
ただ、その迷宮の扉を開ける前に、日本語というものの理解を進めておいた方がいい気がする。
9月からもらった1時間で、私は文作りを始めた。
文に何が必要だろうか?
それは、主語と動詞である。
だから、まずは基本的な代名詞を教えてもらうことにした。
それで完成したのがこの一覧だ。
Je 私
Tu 君
Il 彼
Elle 彼女
Nous 私たち(わたしたち)
Vous あなた/あなたたち
Ils 彼ら(かれら)
Elles 彼女たち(かのじょたち)
舞花の説明から、日本語には複数形がないと認識していた。
しかし、あるではないか。
「〜たち」「〜ら」
これが、どういう使い分けがされているのだろうか。
「君たち」「君ら」は?
「犬たち」「犬ら」は?
舞花に聞いたら、どれも正解とのこと。
どれも正解?
試しに「私ら」「あなたら」「彼たち」「彼女ら」
そして「ペンたち」「ペンら」「机たち」「机ら」「権利たち」「権利ら」
の正誤を尋ねたら、〇△〇〇 〇△〇△△△と返ってきた。
△?!
使えないのか?使えるのか?
日本語話者にとって
あるのに、ない複数形。
曖昧な使い分け。
複数形の扱いですら
全貌を見せない日本語。
一度だって全貌が見えた試しがない。
高等教育をする学力がある以上、言語もある程度整備されているはずなのに、だ。どうして舞花は複数形はないと言ったのだろうか。彼女のフランス語レベルが説明出来るレベルまで達していないのが、もどかしい。
一旦、複数形は「〜たち」とし、「〜ら」もあり得ると、結論づけておいた。
さて、文作りに戻る。
まず作りたい文は2つ
「Je marche.」
「Je mange du pain.」
もしフランス語と同じ語順ならば、多少の揺れはあっても、
「私 歩く」「私 食べる パン」となるはずだ。
舞花が書いた。
「私は歩く。」
「私はパンを食べる。」
語順は予想の範囲内だった。目的語は動詞の前に置く。
それよりも語と語の間にスペースがない。
だから、「は」がどこに所属するのかが分からない。
「私/は/歩く」?「私/は歩く」?「私は/歩く」?
すると舞花は「私は/歩く」と区切った。
「は」は主語に所属するらしい。
続いて、発音もお願いする。
「私は歩く。」
舞花に続いて言う。
「私は歩く。」
後ろで、舞花がブツブツと独り言を言っている。
何か発音でも悪かったのだろうか。
次を求めると、舞花が切り出した。
「En japonais, il y a beaucoup de "je". Quel je voulez-vous ?」
(日本語には「私」がたくさんあります。どの私がいいですか?)
耳を疑った。
理解が出来ない。
Je がたくさんある。
舞花のフランス語が間違っているのか?
私の理解力が足りないのか?
ひとまず聞き返してみる。
「Pardon?」
「Quel je voulez-vous ? 私 ou 僕 ou 俺 ?」
もっと具体的になって返ってきた。
「Est-ce qu'il y a trois je en japonais ?」
(日本語には3つのJeがありますか?)
事実確認をしてみる。
すると舞花は答えに窮し、指を折り、数え始め、そしてついに悩み始めた。
「Je ne sais pas. Il y a beaucoup de je.」
(わかりません。Jeはたくさんあります。)
無数のJeという驚愕の事実。
「Je」というものは、話し手を代替する記号に過ぎない。
その代替記号が無数にある。
もうそれは代替出来ていない。
それに選択基準は何なんだ。
とりあえず、仮にこの事実が本当だとしてみよう。
なぜ私には3つしか提案されないのだろうか?
「Le reste n’est pas pour vous.」
(残りはあなたのためではありません。)
すでに何かの基準によって、3つに絞られているということらしい。
それは舞花の判断なのか?
スタンダードなものなのか?
ひとまず、3つの候補の違いについて尋ねてみた。
私:公式の場で一番使われる。日常では女性が使うことが多い。
僕:男性が日常的に使うもの。公式の場で使える。丁寧な男性がよく使う。
俺:男性が日常的に使うもの。一番よく使われる。公式の場では使えない。
ひとまず、一番使われると言われた俺を選択してみる。
「俺...は、歩く」
「ごめんなさい!無理!ちがいました!!」
舞花に謝られた。主語か。助詞か。あるいは、動詞か。何を誤ったのだろうか。
そして、舞花は笑い始めた。
しかも、今までで一番といっていいほど笑っている。
「お腹いたい。。Tu peux utiliser 僕.」
誤ったのは、主語の選択だったらしい。
それは、涙を流す程おかしいものなのだろうか。
今度は「僕」を指定された。
「僕...は、歩く」
悩む舞花。
「私は?」
「私...は、歩く」
さらに悩む舞花。
「もう1回」
なぜ何度も言わされているのだろうか。
今度は真剣だ。
何がダメなんだろうか。
何を悩んでいるのだろうか。
説明してほしい。
共有してほしい。
Jeが唯一無二だから、参照先の一意性が担保されている。
しかし、舞花はその人に対する最適な「Je」を選ぼうとしている。
その様子は、私の夜会に着ていく服装を選ぶのに類似している。
日本人は自分に合う、場に合う
人称代名詞を選ぶのか――。
ここでひとつの仮説が浮上する。
「アイデンティティの選択」
そんな話すたびに、アイデンティティの選択を迫られるのか?
「Pourquoi "僕" ne marche pas ?」
(どうして「僕」はダメですか?)
「Vous êtes trop sérieux.」
(真面目過ぎるんです)
真剣過ぎると、「僕」はダメなのか?
現時点の最有力候補の「僕」が示すアイデンティティ像が揺れてくる。
「Maïka, avez-vous utilisé "僕" ?」
「Oui, je suis jeune comme Chloé. Juste un an.」
舞花に教わった定義は定義ではなかった。
「僕」の一側面に過ぎない。
真剣過ぎてはいけない「僕」。
でも、丁寧な男性が使い、公式な場でも使える。
さらに、少女も一時期使う?
これは定義可能なのだろうか…
いや、定義出来るから、選択出来るはずだ。
「Vous pouvez utiliser “僕” pour la vie privée et “私” pour la vie professionnelle.」
(プライベートでは「僕」で、公では「私」を使うといいと思います。)
何の引導を渡されているのだろうか。
私には「僕」を引き受ける覚悟が出来ていないし、
無数のJeがあるという事実も受け入れられていない。
Jeという記号に選択を迫られる
それはもはや記号ではない。
悪夢でも見ているのだろうか――。




