20 満を持して
「Entrez,」(入ってください)
扉をノックするとマキシミリアンの声が聞こえた。
就活である程度面接の場数はこなしてきたと思った。年の近い社員の方から年の離れた地位のある社員の方まで。親しみやすいものから、圧迫面接まではいかなくとも、笑みひとつない緊張感のある面接まで、色々と経験した。そうやって気持ちを落ち着かせてきたが、扉を開けたら全てが吹っ飛んだ。
就活の面接なんか比にならない緊張感が部屋の中を満たしていた。
これは初級語学者用の口頭試験なのだろうか。裁判の間違いではないだろうか。私は重い足取りで、被告人席に向かった。面接官のマキシミリアンは、その完璧すぎる容姿が放つ輝きを威圧感に変え、視線で私を刺しにきていた。
「Asseyez-vous.」(座ってください)
言われた通り、肘掛け椅子に、浅く腰かけた。マキシミリアンの隣にはアントワーヌ先生が筆記用具を携えて座っている。
自信はなくはない。
口頭試験が決定されてから、それなりに努力をした。
アントワーヌとの授業で行った対策は、残らず写し、何回も言って、暗記をした。
Je m'appelle Maïka Hassébé.(長谷部舞花です)
J'ai 22 ans.(22歳です)
Je ne suis pas Française.(フランスではありません)
Je suis Japonaise.(日本人です)
Je viens du Japon. (日本から来ました)
Je suis invitée en Valdore. (ヴァルドールに召喚されました)
J'habite à l'hôtel Beaumont. (ボーモン邸に住んでいます)
J'apprends le français tous les jours. (毎日フランス語を勉強しています)
紙がなくとも、つっかえずに言えるようになった。アントワーヌの前でも、ジョゼットの前でも問題なく言えた。
家族の話や毎日のルーティン、好きなものについて、日本の説明も準備したし、質疑応答も対策済み。そしてvousを使って話すことも練習した。あんなに多用していた「ça」も進められて、一時的に封印した。文法の基本事項も確認も大丈夫。
否定文を作る時は、動詞をneと pasで挟むこと。
Japanは男性形だし、Valdoreは女性形。
22 ansはリエゾンする。
……
こんなに頑張ったのは大学入試以来だ。
「問題ないでしょう」
最後の授業でアントワーヌに言われた言葉を胸に、小さな自信を胸にやって来た。
「Présentez-vous, s'il vous plaît.」(自己紹介をどうぞ)
「Je m'appelle Maïka Hassébé. J'ai... 22 ans.」
「Je ne suis pas Français... Je suis Japonais. Je viens de Japon.」
「Je suis...invitée... en Valdore. J’habiter... à l'hôtel Beaumont.」
「J'apprends le français tous jours.」
アントワーヌが何かを書き込んでいる。悪くないと思う。
次だ。
「Que pensez-vous de la la Valdore?」(ヴァルドールについてどう思いますか)
クーポン?こんな時は焦らず
「Comment?」(何と言いましたか)
「Que pensez-vous de la Valdore?」
分からないけど、多分ヴァルドールのことを聞いているのだと思う。でも、何を聞かれているか分からないから、下手なことは言えない。
「C’est… bien ici. Je suis contente.」(ここは…いいです。満足しています)
後に続く言葉が出てこない。
「Pourquoi êtes-vous contente?」(どうして満足していますか?)
「Parce que...」(なぜなら...)
なんでだろうか。そもそも満足なのだろうか。そういうことではない。嘘でも本当でも何か適当な答えを言わなければいけない。
「Parce que… il fait beau.」(なぜなら...天気がいいです)
「...D’accord.」(...わかりました)
やってしまった。今「c’est beau.(きれいです)」と言いたかったのに、なぜか「Il fait beau(天気がいい)」と言ってしまった。致命的なミスだ。
「Ensuite, imaginez que vous prenez le thé avec un comte. Vous voulez du sucre et une cuillère. Puis, vous devez parler un peu avec lui. 」
(次に、お茶を一緒に飲みましょう。あなたは砂糖とスプーンがほしいです。そして、少し会話をしてください)
お茶会のシュミレーションだ。これは想定通り。ここで気持ちを切り替えて、巻き返さなければ。目の前にお茶の準備が整う。砂糖はマキシミリアンの横。かき混ぜるためのスプーンはない。
「Merci monsieur comte … pour votre invitation. Je suis contente d’être ici.」
(今日はご招待いただきありがとうございます。来れて嬉しいです。)
「C’est moi qui vous remercie.」(お礼を言うのは私の方ですよ。)
「Excusez-moi, passez-moi du sucre, s’il vous plaît. 」
(すみません、砂糖を取ってください。)
「Tenez.」(どうぞ)
「Merci. Et..., est-ce qu’il y a une cuillère?」
(ありがとうございます。スプーンはありますか?)
「Pardon. Une cuillère, s’il te plaît. 」
(すみません。スプーンを持ってきてくれ。)
使用人の人からスプーンを受け取った。
「Merci.」(ありがとうございます。)
「Vous aimez le thé ? 」(お茶は好きですか)
「Oui, j’aime bien ça… J’aime bien le thé.」(はい、それ好きです...お茶好きです)
「J’espère que vous aimez bien ce thé.」(そのお茶も気に入ってもらえるといいのですが)
――沈黙が訪れた。
「Cela suffit.」(もう十分だ)
試験の終了が告げられる。
「Ce n’est pas acceptable. 」
余韻もなく、即座に合否が言い渡された。
不合格だ。
「Antoine,」
マキシミリアンはアントワーヌに向かって、講評を述べ始めた。
悔しい。
練習通り上手く言えなかったことも悔しいし、言葉が出てこなかったことも悔しい。でも一番悔しいのは、この講評が私ではなく、アントワーヌに伝えられているということ。私は話のわからない小娘で、話が通じないだろうから、代わりに親に話しかけられているみたいだ。どうして私の話なのに、目の前の私はスルーされるのだろう。不合格なこと以上に、マキシミリアンに見向きもされないことの方に無償に腹が立った。
そんな私を一瞥することなく、マキシミリアンは部屋を後にした。




